釈迦と老子 [雑学]

前に仏教の教えの一つ以心伝心に触れましたので、釈迦とイエスに付いては結構これも人気の在る話題のようですが、時代背景からいえば、本当は釈迦と老子としなければならない処、老子の道徳は、儒家側からの不理解とモラル的な捉え方になり誤解を生む結果となりました。では老子とはどのような人物だったのでしょうか。資料が無く憶測でしかいえないのですが、ヒントは荘子に有ります。中国はその当時色々な国々に別れており、その統治の君主は、優秀な側近をおいていました。孔子の派はそれに取り入られようと儒学を編纂しました。老子はその当時の書を残していませんが、やはりその統治者に随分信頼され任されていたのは確かな事でしょう。でなければ、孔子がわざわざ老子に会いに行くような事はしなかったはず。その問答を書いたのが、荘子なわけです。荘子は老子の聖霊です。ですから老子の事が良く分かるのです。とすると、老子と荘子と孔子は、同時代を生きていないと辻褄が合わなくなります。ただ荘子の場合、後の時代で手が加わっているので、その時代の人ではないかという説が有るのです。ここで聖霊を持ち出しました。老子は聖霊という言葉は使ってませんが、「桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す。」これは比喩ですが、別に解釈すると聖霊の様なものがない限り、この様なことは起きないとしないと無理が有ります。その他にも随所に見れます。

老子は次第に孔子が人気を増して行く事で解雇されたのか、中国から去って行ったようです。その去り間際官吏に頼まれ書き下ろしたのが「老子道徳経」なわけです。何故去って行ったのでしょうか。その書に「大道廃れて仁義有り」という箇所が有ります。孔子は大道を理解できません。理解できないからこそ人気を博し得たのです。ですから孔子は仁義礼智から述べています。老子はそれは争いの元だと知ってましたから、去って行ったのです。そのまま西へ西へと行けば、釈迦の居るインドです。会ったという記録は有りませんが、仙人として忍び込めない事はなかったはずです。その当時インドにも沢山仙人は居ましたから、もしかしたら、釈迦が出家して修行の傍ら会っていたかもしれません。以心伝心は、やはり在るみたいです。出家の理由は定かでは有りませんが、仙人に教えを請いに行ったのは確かです。

私は釈迦の教えがあまり分かりません。おそらく釈迦が聖霊を理解できないのと同じ位なもんでしょう。しかし同類である事にお互い驚いたのでは!立場は違えども、表現は違えども、結論は同じです。つまりこうです、二人が出会ったと仮定して、お互い無いものものを持っているのに気づきます。ただ意気投合した所が、永遠の命です。その後、釈迦はある菩提樹の下で覚醒した事になっています。

私の印象では、釈迦は粒子としては中性子みたいな存在です。私の過去の記事を思い出して下さい。中性子は反中性子(空間)と供に重力時空をも作ります。その重力時空に乗っているのが聖霊です。これがないと聖霊も存在できません。また聖霊がないと、中性子は消滅します。だから言います、二人は消滅する寸前で出会う事になるのです。また、釈迦は、人間的には政治家向きです。老子は科学者や陰君子としては有用ですが、政治家向きでは有りません。

御釈迦さん、聞こえますか。あんたの出番ですぞ!ってが。

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