空を選んだ鳥2 [進化論]

地震や潮汐力による津波やら考えている内、地球の変化、進化について考え直さなければならず、その賜物として、鳥類の進化に付いて面白い発想が出て来ましたので、報告かたがたアップしました。
過去のブログで、「空を選んだ鳥」を書いたのですが、それに追加するものです。

進化論的立場から言えば、空を選んだ鳥と言う表現はおかしな表現だったかもしれません。普通今現在から見れば、何億年も前の地球も今の地球と状態で考えてしまいがちですが、当然その当時の地球が今の地球の状態であったはずがなく、そこから考え直さなければならないと思ったのです。
まあ、あくまで仮定の話で、正確さを求めるものでもないので聞き流しでも良いのですが、今の進化論では鳥に関して余りに少ないので、ある程度の参考にはなると思います。

まずその当時の地球の状態がどうだったかを仮定すると、地球は今よりもっと早く自転していた、と言うのは変わりありません。それに付け加えて、地球は今のような球形ではなく、大げさに言えば卵のような変形の楕円形だったとします。大地と海は大体今のような姿になっていた。そうなけば、月の公転も今より不安定で楕円軌道も変化が大きかった。生物は海洋生物がほとんどで、陸上では針葉樹が多く、昆虫もまだ少なかった。
また生物はすべて化石からも分かる通り、大きかった。とします。

この状態だと、大気中には今程酸素は多くなく、窒素、二酸化炭素といった火山性ガスが多かったと推測できます。また、潮汐力による干満の差は今よりずっと激しく、重力波(私が仮定した波)も激しく変化していた。
仮にこのような状態で、火山噴火、地震、津波が陸地を襲っていたとしたら、相当大きなものだったと思います。実際ハワイの山々の火口を見ると、こんな大きな火口が何時の時代に出来たのだろうと思ってしまいます。
とはいえ、その当時は海洋生物が主であり、陸に押し寄せる波は、海に無い物質の流出による恵みをもたらします。こうなると、海洋生物の食物連鎖が止まりません。中にはその連鎖から逃れるために空中を飛ぶ魚が出て来ます。この魚の子孫は今でもいます。
トビウオです。
この当時の大気は、地球の重力も少なく、自転も速かったとすれば、偏西風や貿易風は強かったと思います。そこに比重の重い二酸化炭素の空気性化合物(自名称)、または液体性空気化合物(自名称)が多く、波も高かったとすれば、飛ぶのは今よりずっと容易だったと推測できます。
ところが逃げ惑っているうち、陸に上がってしまい中には死んでしまうもの、干潟に移るもの色々分かれます。
しかし、よくよく考えると、大気は酸素が少なく、この魚が酸素を多く取り込むことも無く、酸素過多による死は少なかったし、重力も少なかった、重力波も強かったことを考慮すれば、陸に生活圏を移すことは容易だったのではないでしょうか。餌は干潟であれば今でも沢山あります。

そうなると、問題が二つ出て来ます。羽毛と紫外線の問題です。
まず紫外線(主にUV-C)なのですが、その当時でも紫外線は大変強かったと思います。今のオゾン層も無かったはずでし、紫外線を嫌う広葉樹(これは過去のブログのナラ枯れで述べています。)は、針葉樹の陰に隠れるか何かの陰に隠れない限り、繁栄できません。では、この魚は紫外線を浴びても大丈夫だったのでしょうか?
とはいえ、生物で紫外線を浴びると生きられないのは、皮膚にまともに浴びる生物だけです。つまり、細胞膜を持ち紫外線をまともに浴びる生き物だけです。
とすると、この魚は最初から紫外線をブロックできたことになります。と言うことは答えは一つ、うろこは紫外線をブロックできると言うことです。
そうなれば、空を飛ぶ翼はもうあり、後は鱗を羽毛に変えるだけです。鳥をよく見れば、鱗の数程羽毛があります。ところが紫外線がこの羽毛を作るのに一役買いそうです。

オゾン層の無い地球に降り注ぐ紫外線は、化学変化を増進し、新陳代謝を促進するとあります。
つまり、羽毛が欲しいと願えば、そう変化できるということでしょうか。

最初の見直しに戻れば、私の考えであれば、空を選んだのは又は選ばされたのは、食物連鎖で追い詰められた魚であり、その進化した生き物を鳥と言わなければならなかったようです。この手の誤解は大したことの無いように思うかもしれませんが、今の時代の立場で過去を考えたり、過去の立場で考えていた人達をそのまま現代に当てはめたり、つまり現代の人が100年後を見通して物事を考えたりするのは、結構誤解を与える表現があったり、計算違いがあったりとするものかと思います。
今日本が抱える問題は、すべてこの手の問題です。100年安心とか安全神話に塗り固められた安全とかという言葉は、あくまでそうあってほしいと言う願いそのものであり、見直しはその都度しなければならないと言うことでしょう。

私の進化説では、誰もが知っている進化論では無くなってしまいました。この延長線の進化説は、人類の先祖がアフリカから始まったとも全然違っています。何を信じるかは自由なのかもしれませんが、それが間違っていれば、自然淘汰されるか、歴史のページに残るか、消え行く運命なのだと思います。
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