電子記憶前書き1 [生命化学]

神経、情報の分野に進む前にどうしても触れておかなければならない原理があり、先に前提としないと、今定説とされる分野と同じ袋小路に入ってしまうので、この時点で述べる事にしました。
これは何処を検索しても見つからないし、疑問にも登らなかった事だと思います。
それは、遺伝子を構成する原子の炭素、窒素、酸素、水素の電子の役割で、通常広く情報として扱われるのは、最外殻の電子、又は正孔で電子価に値するものばかりだったのではないでしょうか。それは、1個から4個くらいで事足ります。
これは、流動的であり増減が伴いますが、それでは残りの電子は、何の働きも無いのでしょうか。

確かに物理的な機械工学、電気工学と言った無機物の世界では無視しても、理論上何の問題も無いとは思いますが、有機物、特に生物に取っては無視すると、どうしても論理矛盾してしまいます。

問題となる例を挙げれば、暖かくなると出て来るハエや蚊です。
最近は人間に近いロボットやコンパクト化したスーパーコンピュータとか出来て来ました。これからも、もっと進化するでしょう。でも、ハエのようなロボットを作るとなるとどうでしょうか。どのくらいの大きさになるでしょうか。それとも作る事は将来とも不可能でしょうか。結論から言えば、遺伝子操作で新種のハエを作る事は出来ても、人工知能を埋め込んだロボットのハエを作る事は不可能、と言うことです。

では、何が不可能にさせているのか説明します。先に言った残りの電子にあります。炭素なら6個、酸素なら8個、窒素なら7個、これらが結合した時は、波としてより粒子性が強くなり、固定化されます。テレビ等の電波と同様、これらはある種情報を持っているのですが、固定化される事により、動けなくなり記憶されます。細胞は、これらが膨大に集積された物ですから、情報量としては莫大です。
ハエはこの情報を元に、自分自身を作った物を探し当てます。そこは、情報がミクロに詰まった時間空間です。
これが正しいとすると、今のコンピュータが、如何にマクロな世界なのか解ってもらえると思います。いくら半導体の集積化が進んだとしても、無理が有るのです。さてそうするとどうでしょう。ハエはその情報を頼りに行動しますから、情報伝達処理速度は、相当高速です。バッテリーに相当するものは、元々存在する分子の回転エネルギーだけで済みます。今現在居るハエの様な生物は、幼虫、成虫の2段階成長で、最初は遺伝子だけの情報だけで成長し、飛び立つと補食で環境情報に合わせて生きて行きます。
これは、人間でも胎児期と生人期があるのと同じだと思います。
とは言うものの、ハエは成虫になると、自在に体をコントロールして目的を果たします。しかも、人間の手で捕獲できない程俊敏で、飛行技術は天下一品です。
これは、自身を構成している原子、分子の位置と運動量が分かるが故です。
ところが、人間となると今の時代においても、自分の体を自在にコントロールできる人は少ないのではないでしょうか。なので、医療に掛かったり、不確定性原理で禁制されているだとか、訳分からないジレンマに落ちいっているのではないでしょうか。前に人はタコよりタコかもと言った覚えがありますが、これでは、ハエより下等生物になる事になります。
「それはいくら何でも言い過ぎだろう」と思うかも知れませんが、人間の人間たる所以は、ハエよりも高度な生活を営なまれる様にと、先祖又は創造主が設計したはずなのに、私が感じる限り今のところ、まだハエの方が利巧だなと思う事が多々あります。

創造主なんて言葉を使うと、今の科学者に、「そんな物は無い、科学は日々進化し、それを科学的に証明しているし、病気による死者も、現代医療の御蔭で激減した」と一蹴りされそうですが、適当な言葉が見つからないので使っただけで、無きゃ無くても私自身は良いのです。
しかし、最近の出来事を良く考えてみて下さい。

ハエは、地震や津波が襲って来たとしても、それで命を落とす事は殆どありません。年金制度がどうのこうの、消費税がどうのこうのと、思い煩うこともありません。死を恐れる事もありません。それでいて、ちゃんと何億年と子孫を残しています。
地方では、衣食住と不自由がないのに、公務員は別として、今マトモな職場がありません。地方の分際で贅沢を言うな、と怒られそうですが、戦後焼け野原となった都心を、被害もなかった地方の人間が復興を見守りながら、経済政策の弊害を受け苦々しく思って生きて来た人間が居る事も忘れないで欲しいのです。
何を言いたいかと言うと、戦後マトモな地方は、都市の復興のためにハエにもあるようなあるべき人間の自由な発想を、押さえつけられながら、ある意味我慢して来たのです。教育も都会に合わせた先行逃げ切り、アメリカのコピーみたいな詰め込み教育(洗脳)だったのではないですか(地方に対する真珠湾攻撃か?)。まして上京となると、資金が必要となります。
それに対応できず、いざ、学問から失脚諦めてしまえば、理論は正しくても学会は認めません。
それはそれでも、今の日本の学会、学者がしっかり社会をガードしてくれていれば良いのですが、公平であるべき機関が、経済効果があれば良し、なければ駄目と言った構造になると、問題は深まるばかりです。今このほころびが、やっと始まったのだと、私はそう思っています。この問題の続きは、何時か折が有ったら言いたいのですが、無いかも知れません。

話を戻して、この電子の記憶構造を、電子記憶と名付けます。度々使うと思いますので、なるべく単純名にしなければなりません。また、この構造は単純ではありません。原子核から近いかどうか、運動しているかどうか、原子同士の結合時、結合後で、性質が変わりますので、その都度使い分けなければなりません。これをどうするか、悩んでいるのですが今のところ保留にしました。

これは、多くの人を対象にはしていません。何となれば誰からも読まれなくても良いのです。ただ、ネット上に残ってくれれば良いのです。私が今は亡き老子を初めて読んだ時感銘を受けたのと同様に、残っていてくれるだけであり難いのです。

また、この考えは極めれば極めた人程閃く思考なので、予想ではここ数年でソ連、アメリカ、ヨーロッパのどこからか出て来るでしょう。そうなれば、日本はまたコピーですかね。何故なら、日本に固執する限り、その方が統治し易いからです。
また、電子記憶理論では、電子が鍵盤となって音を奏でられます。そうしたら、心に響く音楽が何処で鳴っているか分かりますよ!
タグ:電子記憶
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