シリア情勢 [宗教]

最近賑わしている国際情勢の中に、シリア情勢が有ります。私も世界の情勢からは離れてしまって、自己理論に没頭していましたが、白い虚塔に住む学者でもないので、もはや無視できなくなりました。
アジアの片隅に暮らしている日本人に取っては、遠い国の問題であり、文化の違いや、宗教の違い、民族の違い、歴史の違い、経済の違いから何故そんな武力による弾圧が起こるのか、分からないと言うのが本音ではないでしょうか。日本では、未曾有の災害に見舞われ、その後も度重なる自然災害に見舞われそれどころではないと言う、国情下には有りますが、対岸の火事は、無視してても、異連れやって来ます。

経済的には、ギリシャの問題も有るのですが、世界史を相当勉強しないと、一般人には、多々理解できないところが多いのではないでしょうか。

そこで、私なりにざっとお復習いをしてみました。
時は、ローマ帝国前後に股がりますが、地中海近隣諸国は、圧倒的なローマの軍事力、兵士に守られた未完成な法治国家の支配下に有りました。その中でユダヤの王国から、イエスキリストが生まれ、人々はローマの圧政から解放して呉れる救世主が現れたものと勘違いし、それが違うものだと分かると、十字架に掛かる罪人のうち一人を免罪に出来、助けられるのですが、キリストではなく、イエス・バラバを選んでしまいました。運命だとしても、これが事態の発端です。バラバは、どちらかと言えば過激派です。つまり、近隣諸国は武力でローマの圧政を解決する道を選んでしまった、と言えます。こうなれば、いくら絶大な帝国でも反乱を押さえる事は出来ません。奴隷はいなくなり、戦う兵力も失われて行きます。
奴隷と言うと、変な誤解を与えるかも知れませんので、もう一つ気の効いた使い方をすれば、出稼ぎ労働者で無期限付きとも言えると思います。

ローマ帝国もさすがに、無駄な血を流す事に目が覚め、解決策にキリスト教を国教に据え、事態の収拾に当たりました。しかし、時既に遅く、ユダヤ王国は宗教二分し、人民はてんでバラバラになり、その後出て来たイスラム教徒とも対立する嵌めとなり、ユダヤ人は祖国を追われる様になりました。

地理的に見ればシリアは今のイスラエルに近く、当時のユダヤ王国を考えれば同じような領地だったのでは無いでしょうか。と考えるとシリアは昔のユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒と同居している国と考えられます。そこへ近代国家の統治政府が加わると、収支が付かなくなります。つまり、どちらがどうで武力弾圧が起きているのか、精通したものでないとニュース、報道だけでは分からないのです。

話は変わりますが、災害であれ、争いであれ、何であれ今迄住み慣れた土地を無くす事は、次なる環境に適応する迄大変です。まして、ユダヤ人のように異国と併存しながらでは、尚更です。もはや、先祖の血はどこえやらです。

イスラムの教えの国は、他にも地中海沿いに或ります。また、中東にも或ります。今の時代何かと争いの種になっているような気がしますが、では、イスラム教とキリスト教の違いは、何処がどう違うのでしょうか。私の主観で申し訳ないですが、イスラム教は、唯一絶対神のアラーの神を祀っていて、他はいっさい寄せ付けていません。私に言わせれば、抽象的(象徴的)な神で、実体が定かでありません。現に自爆テロとか、過去の航空機乗っ取りビル爆破自爆テロだとか、神の名を唱えて軽々しく命を捨てる行為が出来る宗教が、国際的に受け入れられるのでしょうか。
嘗て大戦時には、日本にも特攻隊と言った自爆テロ行為が有りましたが、これは天皇の名の下にだったでしょうか。
そんなことを言うと、お前は非国民か、と言われそうですが、まあ、それが気に触るのでのであれば、オブラートに言って、鬼畜絶滅行為となるでしょうか。とは言え、鬼畜なんていないと思いますが。
また、どちらかと言うとイスラム教は、思慮も無く、生めよ増やせよの教えだと思います。それで、増えて行った結果行き場を無くして、そんな行為に走る事になるのでしょうか。それとも、世界が全てイスラム教に変われば解決するのでしょうか。その結果が、今現実に起こっているシリアの情勢なのでは無いでしょうか。
国軍が、自国の民を武力で押さえつけ、残虐非道な人殺し迄するとは、日本では、考えられません?そもそもこれはNATO側の捏造であり、イスラム勢力の解体にあるとする、見解もあります。つまり、煽動されて情報だけが一人歩きして、引くに引けなくなる状況です。

この生めよ増やせよの理念は、何故か戦後の日本に似てますねえ。今度は、年金制度が崩れるから生めよ増やせよですか?その後年金制度が、仮に上手くいったとして、そのために生まれたのであれば、目標達成時点で、余剰になります。その余剰人員を今度どうするつもりなのでしょうか。そんな時には決めた本人達は、もう生きていないから、知らないよ〜ですか。そんな〜!


では、キリスト教はどうかと考えれば、あくまで教徒のための教義であって絶対神ではなく、イエスが感じ取っている天に居る父の教えです。死後どう伝わったかどうかは別として、実体はあります。また、生めよ増やせよ的ではなく、逆に教えの中に、肉体と魂を滅ぼすものを恐れよ、と言っている事から、人間は何もしなくても生まれて来るし、それを止める事は人間自体に出来ないし、目的は永遠です。
また、自殺は禁じていますし、ましてテロ行為はもっての他です。

こう比較すると、どちらが正しいのか区別付くでしょうか。
私の実感としては、どちらが正しいとか、正しくないとか比較対象にならないのです。キリスト教は、それが成就した時、その役目を終えます。イスラム教もその時には合流して役目を終えそうです。なので、ゴールは同じ結果となり、結果論ですが、人間同士の争いは無くなり、平和になりそうなのですが、成りません。
何がそうさせているのでしょうか。思うところ国同士が抱える経済問題だと思います。長くなりそうなので、次に回します。
タグ:シリア情勢
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