認知症 [生命化学]

医学用語で認知症と言われるものが有ります。平たく言えば、記憶を呼び戻せなくなるか、すでに消えている状態を言うと思うのですが、これも又症状によっては色々な呼び方が有ります。私も、程度の差はあれある程度、認知症に掛かっているかも知れません。掛かった人は、掛かっている事を認知できないから、他者が認知するしか有りません。
医者に、あなたは認知症です、と言われても、それを認知できない程悪化しているのであれば、認知できません。現在の治療では、これ以上悪化させないようにするのが関の山で、直す事は将来とも不可能な事だと思います。

パソコンで喩えれば、誤ってデータを消去してしまった、と言うことでしょうか。今では確認のダイアログで、再度確認するようにユーザに促しているので、人が誤作動することはかなり無くなりました。企業等では必ずバックアップを取りますので、尚更です。が、人間の場合、物理的バックアップは、当然行なえません。復習は出来るかも知れませんが、同じ脳内です。それも出来なくなれば、認知症です。

そう考えれば、この病気はかかる前に、かからないように注意するしか有りません。iPS細胞が有るじゃないか、って言ったところで、その細胞にどうやって記憶を移植して行くのでしょうか。そんな事をするなら、子孫に遺伝子を残して行くのが自然ではないでしょうか。医療には、明らかに多くの矛盾が有り、よっぽどのミスが無い限り、司法・立法・行政が踏み込めない巨塔に守られていて、行政は無知なるが故の後押しさえしているところが有ります。生活保護者の不正診療受給もそうです。これは人間のモラルの問題なので、法で規制したところでイタチごっこです。

ここでやっと記憶のシステムの話です。人間は成長期には、多くの知識を細胞の成長と供に吸収できます。成人になれば成長はある程度止まりますから、記憶力もある程度止まります。人によっては横にも成長しますから、その後も記憶は成長するでしょう。前に人間の記憶領域は無限に近いと言いましたが、暗記した記憶には、組織だって有りますから、その記憶とある条件が一致した知識が重なった場合、前の記憶を消去するか、違う構成を組み立てて、新たに記憶するかしなければなりません。政治家を見ると良く分かります。答えが色々な質問攻めに合う度に、色々な答えを用意していて、’さっき言っていた事と違うじゃないか’と言われると、その事に対しても逃げの答弁が有るのです。こうなると、頭は肥大化します。それを頭が良いからと判断するのは支援者だけであって、無関係な人から見れば、単なる頭脳の贅肉です。
さて、贅肉は落とさなければ体に負担になります。仕事が終わった時点で、この贅肉なる記憶細胞を落とさなければなりません。又は記憶を入れ替えるかしなければなりません。こうなれば、脳梗塞か認知症です。
そうだとすると、この様な病気は社会性を伴うにしろ何にしろ、自業自得です。

又他に、環境の大きな変化による認知症も有ります。先の東日本大震災で避難所生活を送っている人達です。この災害は突然襲って来たので、記憶は未だ昔のまま残っています。家族を無くしたのであれば、受け入れたくなくても、葬式等の儀式で、徐々に受け入れなくてはなりません。ところが、生活基盤である土地、家の場合、その線引きがはっきりしません。なので、昔の記憶が残り、必ずフラッシュバックが襲って来ます。テレビ等の報道では復旧が進んでいるところを多く流しますので、そんな些細と思われる個人の変化等注視する事は無いかも知れませんが、その当事者本人が、番組の構成に誘導され、見せかけを作ろうとすればする程、脳が事実を消去、修正するのには、かなりの時間、年数が掛かります。中には、認知症に掛かるかも知れませんし、場合によっては命を落とすかも知れません。

そう考えると、医療にはある種限界があります。これも、ヒューマンガイドラインが整備されている訳では無いので、行き過ぎや、誤診は免れません。ですが、これは最小限に食い止めなけれななりません。診療の時点で、どの部分、どの時期の記憶が無いのかは質問で分かります。しかしここまで来ると、物理的機械的医療は使えません。CTやMRIとやらの検査は、受けた人なら分かりますが、体にかなりの負担が掛かります。医療は、治療のリスクを考慮しないと、返って悪化させる事体も想定されます。とは言うものの、ここまで来ると、金銭が伴う治療はできません。ヒューマンヘルパーという職業はないし、生活も成り立ちません。気の効いた言葉で言えば、ボランティアでしょうか。

3.11以降も色々な災害が有り、事件事故も有り、国会もいつもガタガタしていて、もう3.11の事も記憶から薄れて来ています。誰も大きな変化は望んではいないはずなのに、あの津波は大変化であり、あって欲しくない変化だったのに、あって欲しい変化である国政は頓挫して、悪い意味での大変化が起きています。
3.11の災害は忘れてはいけない出来事のはずなのに、忘れたい悪政は、未だに人の心に、はび込んでいます。
これは、大衆心理なのでしょうか。解決できるはずの問題を、党利党略?で解決しないで、解決が難しいからこその問題を解決しなければならない問題は、先送りか棚上げです。紙一重の違いのように見えますが、隣同士並んでいる原子では、例えば窒素と酸素は、全然違う性質です。取り違うと大変な事になります。

医療については、医療分野が分かれていますが、結構社会情勢を理解していないと、原因を特定するのには、かなり難しい事となります。それを、医師会だけの世界だけで解決しようとすると、上記の政治の世界と同じ事となり、学ぶ時間がない程医療に従事しているのであれば、人の命は預けられません。
実際私自身は、そう言う立場になったら、預けたくないと思っているので、預けたとしたら梅ちゃん先生のドラマで言っていた単なる人体実験の実験材料です。喩えで出した窒素と酸素を取り違えても、何とでも後で言いくるめられます。つまり、犯罪者にはならないのです。

余り追求すると切りがなくなるので、次は時間の認識に付いてに、挑戦したいと思います。
タグ:認知症
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

ヒューマンガイドライン時間の認識 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。