脚本家としての官僚 [科学]

イエスは、子孫を残していませんから、このバーチャルな鏡の様な電子の分身は、大地に落ちます。落ちて、又身を宿せる物質を探し出します。その間は、世界を彷徨う事に成ります。植物の種であれば、同様に大地に落ちなければ、また、実を結べないのと同じ事です。又は、子孫を増やせないのと同じ事です。

今の科学、特に医学では、この概念は有りません。倫理に触れて複雑怪奇になるからです。事故による怪我の治療ぐらいであれば、何の問題も生じないとは思いますが、心理療法となると、医療器具の発達とは無関係になりますから、注意が必要だと思います。つまり、この分身の分配を授かった人間は、ひとたび、一人でも異常が生じると、無関係に存在していると思われても、それ相応の傷を負う事に成ります。医者にはこの事象は、到底理解できませんので、お手上げ状態と成り、誤診にも繋がります。これは宗教で言うところの、霊魂不滅です。
そんな筈はないだろうと、多分思うでしょう。しかし、医師にも患者になった人にも聞きたい、過去にそういう患者はいませんでしたか、そんな症状を患った事は有りませんでしたか。
この手の症状は、表沙汰には当然なりません。外部には謎とされて、病名だけは与えられます。しかし、今のところ、誰が見ても、誰が考えても、とんちんかんちんの世界です。これは、世間一般にも見られる現象なのですが、誰でも掛かると言うものでもありません。医師と言えども人の子ですので、完璧を求めるのは患者のエゴでもありますから、取り敢えず認め合うのが、関の山です。薬は副次的なものでしか有りません。

さて、落ちた分身は、試行錯誤をしながら、成長しやがて又実を結ぶため、運動、又は行動し、引き合い、求め合います。
その際に副産物として生まれるのが、文学であり、科学であります。

こうして見て行くと、ある程度人の運命は決定されているかのように思えます。
実際そうだとは思うのですが、人生は、筋書きのないドラマの様なものです。脚本が有って、それを演じる役柄が決まれば、それに適任の役者が選ばれ、筋書きを知らされていない客は、想定が出来なく、事実に近ければ近い程、架空の現実に引き込まれます。それがドラマと再確認した時、夢から覚めるように、やはりドラマだったと気付きます。つまり、決定されていた、と気付く筈です。
実際人生は、もっと複雑です。天気を予測するのと同じように、地震津波を予測するのと同じように、ある程度は予測可能でも、詳細となると未だそうはいきません。また、上り詰めるのは、苦労が伴いますから中々上手く登れない場合が有ったとしても、落とし穴に嵌った場合、どこ迄落ちるかは、その時の運としか、言いようが有りません。つまり、うっかりは出来ないのです。奈落は底が有りませんから。

それでも、同一の電子群だったものが、また一つに集合するだけだから、比較的容易ではないのか、と思うかも知れませんが、時間が経過すればする程、これらも成長変化して、見抜くのは相当の知識と、洞察力と、判断力が求められます。どっかの試験問題とは、打って違った世界です。まして、お金に目が眩むと、大失敗です。奈落の底が待っています。
まあ、良い例があるので、又引かせてもらうと、今の政治の世界がそうです。政治の世界も、似た様なところがあって、決めなきゃならない法案は、つまり、筋書きは出来ているのですが、こんなドラマでも、何年も役者を演じられるのは何故かと言えば、一つには、時間が経過しても報酬が変わらないと言う保証制度が確立している事も上げられます。完璧だったと思える議題が、考える頭脳ばかりが増え(議員数)、論点を見え難くし、数の論理で自らの自縛に縛られると言う結果が、今の状況なのだと思います。つまり、ドラマの中には大概が主人公が、一人で、脇役が固める訳ですが、この主人公一人の定員に対し、3、4、5、6人も居る状況です。増して、あいつが主人公なれるなら、党を分裂させて、こちらからも主人公を擁立させようと動けば、ドラマはしっちゃかめっちゃかです。面白くないのは観客の方ですが、筋書きを作っている脚本家、つまり官僚も困ります。そこに、柳の下のドジョウが現れてくれたので、「坊ちゃん一緒に遊びましょ」とばかりに、これを担ぎ上げようとしている訳ですが、騙し通せるかは、次の選挙次第でもあり、それ迄の法案の決まり方次第ですが、すでに、奈落の底は、用意されています。何故かって言われれば、前にも言っている通り、時間が大幅に過ぎているし、頭かずも増え過ぎですし、私自身でさえやっとこさ避けた事を、平気で受け入れています。

私自身は、学問の立場から、物事を考え頂上決戦とも言える世界に備えているつもりでは居るのですが(他人が私をどう思うかは自由だとしても)、世の中はそんな人ばかりで成り立っている訳でもないし、分配されている、一部で判断せざるを得ないので、与えられた最善を尽くすだけです。

ここ迄来ると、科学と宗教は、切っても切り離せない世界と言うことになり、特に宇宙の運行は理解できない筈です。理解しているのは、人の頭脳なはずです。つまり、頭脳の中にそれ相当の事象が生じない限り、イメージも出来ません。特に先駆者はそうです。頭脳の周りで流れている電子の海の風をどう読み取れば良いでしょう。その結果として出て来たのが、太陽系であり、銀河であり、宇宙論です。
勿論、必ずしも全ての人が知っていなければならないものでもなく、関係しない人が殆どだとは言え、それ故、捏造され易くもなり、デタラメな方向にも流れます。
私は、今の教育制度を作った人と言うのは、その多くの関係しない人から選ばれた代表が作ったのではないかと思います。なので、学校が大きく揺れた時代も有りました。学級崩壊もそうです。私は、体験はしていませんが、試験のために学問が有る訳ではないのですが、生徒が多ければ、ふるいに掛けなければ、治まらない事も有るようです。最近は子供の数が減って来ているので、又は、そう言った生徒が子供を生徒として持つようになって来たので、そう言う話は聞きませんが、問題が解決されている分けではないと思います。

次は、喩えとしての頂上決戦と行きたいところですが、その前にまた問題あれこれとなりそうです。
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