東洋医学への選択肢 [雑学]

今迄は西洋医学的な、視点から論じて来ましたが、医学と言えども人に優しいと言われる東洋医学も存在します。呼び方はどうあれ、化学物質の薬剤を使わない、生薬を主に使う医学で、鍼灸(しんきゅう)療法も、体に対するかなりの知識が必要になりますが、日本では金儲けにならないのか、余り浸透していません。見方によっては、こちらの方が形として見え辛いので、うさんくさく感じる場合も有り、例の麻原彰晃も若い頃それを生業としていた訳ですので、今では尚更信憑性に欠けた存在です。しかし、それはどの世界でも言える事ですが、医師次第です。なので、どんな場合でも、医師になるには知識と経験を積まなければなりません。
どちらを選ぶかは、時と場合に選りけりで、選択の余地は患者側に残されています。私としては、軽い慢性疾患であれば、きゅう師を選んで、病気の原因を聞きながら、治療する方を選びます。化学物質の薬剤は、症状を抑えるには有効かも知れませんが、元々体の組成にないものを使う訳ですから、副作用は覚悟しなければなりません。

西洋医学では、西洋人の体系が大柄で、比較的症状が見分け易いという理由から、そちらを重んじられているのでしょうけれども、東洋人にそのまま当て嵌まるとは、疑う余地は有りそうです。

西洋医学では、体の構造を分解出来る迄分解し、合理的に治療を行なう仕組みですが、では何故原子レベル迄掘り下げないのでしょうか。せいぜい細胞迄です。しかも、そのレベルでは何千通りの組み合わせが有り、当然真の正体は分かりませんから、事有る事に翻弄される事になります。原子レベルであれば、体を構成している原子は数種類しか有りませんし、原子の性質が分かれば、組み合わせが多くなっても、翻弄される事は有りません。また、他の分野にも応用が効きます。

私から見れば、今の医学は未だそのレベルであり、多くの試行錯誤が続くものと思われます。で、今回はその話ではなく、その逆になるかも知れませんが、老子の言葉に「五官を閉ず」と有ります。この意味が分かるでしょうか。
これは解釈としては色々考えられますが、医学的に考えれば、目、鼻、耳、口、脳の事だとすると、病気であり、極端な話、死を意味しています。
そもそも、老子の言葉は、短いのに最初から難解です。と言うより、誰でも理解出来るような構成には成っていません。
この意味は「自殺のすすめ」とかの意味ではなく、私自身は、世間のしがらみを振り払うと言う意味に解釈していて、普通の人であれば五官を閉じる様な事をすれば、病気に成ります。又誰もそんな事を進める事はしないし、受け入れられません。
しかし、ここには重要な意味が隠れています。中には、生まれつき、盲目であったり、難聴だったり、唖だったりする子供もいますが、健康体で生まれて来れば、子供の頃は、何の疑いも無く世間一般の常識を受け入れ、五官から取り得る情報を全て吸収します。しかし、この一般常識が、本当の常識かどうかは、暗黙の了解みたいなものが有って、誰も保証はしていないと言うのが、老子の考えだとしました。それが、曖昧であっても時代の流れで変わることは、今では常識と成っています。例を挙げれば、安全神話がそうでした。それまでは、事が起きる迄、安全神話こそが常識でした。その他にも、日本の歴史上では、悪い例が沢山有ります。戦国時代がそうであり、世界大戦もそうでした。

この例からも、病気に成る事は必ずしも悪いものとは成らず、所謂、拒否反応とも取れます。つまり、空即是、善即悪、悪即善と成る時があるとの喩えです。
これに従えば、学校の成績が優秀な人間が、必ずしも善行を行なうとは限らないし、未来に繋がる展望を開いてくれる訳でもないとも言えます。
かと言って、そう言う人を否定する気は毛頭無く、問題になるのは、時代の流れ、空気を読めず、過去の栄光に酔いしれ、そこの留まってしまうのが災いする時です。

風や光は、五官を開いていれば、否応無く吹き荒れ、受容してしまいます。逆にその風を利用して、上手く世間を利用する人達も当然出て来ます。見立てでは、若い人達であれば、アイドル歌手や、芸能人、スポーツ選手が挙げられるか知れません。でも長く活躍出来るのは、ごく少数です。活躍出来なくなれば人生終わり、とけじめがつけられる人であれば、それはそれで良いのか知れませんが、一旦階段を踏み誤れば、どこ迄落ちるか未知数です。まあ、どちらを選ぼうが成功者はごく少数だと捉えれば、その道も有りとなるのですが、何分にも両極端となります。

それを踏まえた上で、医療を考えれば、西洋医学では、五官を閉ずの発想は、まず有りません。病気は医者が直すものであり、そのためには、医薬品は欠かせない事になり、治療しなくても直るもの迄、薬で治そうとします。それが、病気が病気を呼ぶ副作用であり、延々と続くことに成ります。

ここで、視点を変えて、個人レベルではなく、社会レベルで見てみましょう。
国の中枢機関がある中央を頭部、地方を手足として考えれば、戦後の経済成長を上手く説明出来ます。しかし、最近頭脳の方が、脳軟化症(ジキルとハイド)になって来ているのか、血の巡りが悪くなって来て、もっとちゃんと血液(税金)を回して欲しいと命令が下ります。しかし、今迄も輸血(赤字国債)で持たせて来ているので、これ以上の輸血には支障が出て来て、手足の方も上手く動けません。そこに心臓破裂(原発爆発事故)という重い疾患に襲われ、応急処置で入院手術となり、取り敢えず一命は取り留めたものの、予断は許せない状況となりました。心臓近くの部位は、がんが発生し出し、これもちょっとやそっとじゃ治療出来ない状況で、名医もお手上げ状態です。何とか完治させたい訳ですが、体力そのものも衰えて来ており、もっと輸血量が無いと、手術は難しいとの報告が有り、様子を見る状態が続いています。
体が弱ると、色々な所に病気を併発してしまい、今度は尿漏れ(洪水、土砂災害)が止まりません。パンパースも品切れ状態です。そこに、隣国で悪いウイルス(オスプレイ)がはやり出して、一番先っぽの親指が危ない状況になると警告が出されました。名医の一人(沖縄知事)は、断固防ごうとしていますが、脳の方は疲れて来ているのか、親指の足ぐらい切ったって大した事は無いと判断しています。それと、又肺(若狭湾の原発)に転移しているがんが、何時体に襲いかかるか分からない状態が続いています。

こう見れば、日本が今如何に危険水域に居るか分かりそうなものですが、名医だったらこの病状をどう判断するのでしょう。「お金が掛かりますが、お金が出せないと言うのであれば、申し訳有りません、ご末期症状です。」としか言いようが無い筈です。

この病気と日本の状況は、根本が同じ問題です。先に、病気が病気を呼ぶと言いました。後のは、お金がお金を呼んでいて、当然解決できないのです。これが、少しでも人道的なやり方であったなら、人道的な解決方法が取れたかも知れませんが、残念ながら、論理的にも他の解決方法は有りません。
イエスが、宮入りの際、道端の露店を蹴飛ばして進んだのを、気が狂ったと思ったでしょうか。
違うのです。撒いた宗教は、何も無ければ宗教だけで刈り取れます。つまり、撒いた種を自分で刈り取る事が出来るのに際し、それを利用しようとする商売人も仲間に入れてしまえば、刈り取る時に、商売人を仲間に入れなければならず、これが刈り取りを難しくし、ややもすると失敗します。政治家でマスコミを嫌う人がいるのは、それを知っている人です。マスコミの思惑次第で、足を掬われるのです。とは言え、政治に思惑があっては行けませんが、仲良く解決するにはお金が手っ取り早いのも事実です。

資本主義を掲げて国造りをして来たアメリカも、国民自体が変化して来てるみたいです。
さて、日本の行方は?
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