quantum Higgs [雑学]

「神の粒子」が、紙面を踊っています。
神と言う言葉は、宗教でも争いの種になるので、そう容易く使えない言葉です。
なので、英語で検索してみると、God Particle で出て来て、素粒子の扱いではない様です。量子は英語で、quantum ですので、Got quantum で検索すると、検索には、出て来ません。なので、quantum Higgs で検索すると、出て来ます。
どちらでも良いではないか、と思うかも知れませんが、哲学、科学、宗教の区別が付かないと、このブログの意味が無くなりますから、私にとっては、厳格に区別しなければなりません。

私も、宇宙の成り立ちにはかなり言及して来ました。今でもある程度そうだと思っているし、大幅な変更は有りません。追加と訂正で、水素原子が大量に出来る際、電子が飛び出して(電子の海)、銀河系ならその内部を包み込み、それが、重力収縮を引き起こし、核融合を起こし、核分裂ならぬ星々の放出が始まるとした、単純な図式です。それ以上言ったところで、ヒューマンガイドラインに抵触してしまいますので、私にとっては意味が無いし、一般の人に取っても意味はないと思っています。

素粒子理論は、日本の物理学者が先行し、世界でも実験が行なわれて行った、と記憶しています。アインシュタインの「晩年に思う」は、その南部陽一郎先生のグループの翻訳であり、二人は会っています。「君は今何をしているのか。」の質問に対し、「素粒子の研究」と答えており、アインシュタインのお墨付きの認可サインを貰っています。科学の進歩が遅かった日本では、アインシュタインの存在はさぞかし大きく見えたことでしょう。本人もその様なことを言っています。
でも、学者たるものそれでは駄目なのです。学問は、大体成人に成る迄でその人の体勢、骨格が決まります。年老いてからは骨格が無いものに、肉付けは出来ません。私もそれ相当に歳は行っていますが、私の骨格は、高校時代迄で大体出来ており、この時点で、かなりの自信が生まれないと、新しい展開は生まれて来ないのです。つまり、踏み入っては行けない世界です。

ヒッグス粒子は、高加速器で粒子を衝突させて出て来た17番目の最後の粒子とされているらしく、取り敢えず実験は終了となるわけですが、反物質の問題も有るので、これは、未だ続けるのか知れませんが、さて、反物質と原子核内部の粒子との関係は、何か分かって来ているのでしょうか。何か分かった様な人が、「それは今は、何も恩恵は無くとも、これから先多くの事が解明され、何十年後かには、原子力エネルギーの如く役に立つ時が来る。」と言う人がいます。そう言われると、返す言葉を無くしてしまいますが、言い換えればそんな保証は無く、逆に東京電力電力が侮った爆発事故が起こるとも言えます。

私自身は、そんな研究には興味は無く、宇宙創世も、生命誕生も、進化論も独自で理解しています。ブログでは未だ足りない所が有るのですが、大方、論理矛盾無しに、説明出来ます。そう成れば、道徳で言うところの、徳が生まれ、誰もが恩恵に預かれます。
素粒子のこの手の研究理論は、ざっと考えても、初めから論理矛盾しているのですが、主旨から逸脱していますので、止めておきます。
しかも、南部先生もそうなのですが、この手の学説である理論にお目にかかった事が有りません。未完成だからと言う理由は分かりますが、黄金の宝の山を発見するために、多額の費用と時間と労力を費やした結果、宝の山は無かった、と言う結果に成らない事を願うだけです。

前にも何回か触れているのですが、映画の世界なら神と言う言葉を使っても、その世界だけの話なので、割り切れますが、科学の世界で神と言う言葉を使う場合、宗教で神を持ち出すのと、今の時代、同じ比重の言葉だと思います。
宗教で言うと、イスラム教が、一番これに傾いている宗教ではないでしょうか。カトリック教もそうなのかも知れませんが、イエスの教義は継承していないし、どの立ち位置に成るのか、教徒ではないので分かりません。

そこで、例によって喩え話です。最初、霞ヶ関を壊す理由で、民主主義の定義に載っとり、やむを得ず民主党に迎合した少数党は、本分を果たし政権を取って、イザ霞ヶ関を解体する段に入ろうとした瞬間、濡れ衣を着せられ、舞台から引きずり降ろされました。やっと、濡れ衣が晴れて、党に又迎合した時には、時既に遅く、霞ヶ関に牛耳られており、壊そうと思って用意していた、鋼鉄の玉は霞ヶ関をかすめ、方向転換してしまい、何故か自ら居る民主党に打つかってしまい、党は分裂、破壊してしまいました、とさ。

笑うに笑えない話ですが、官僚の立場なら、目出たし、めでたしで、お終いになるかも知れませんが、待ち望んでいた庶民には、堪ったもんでは有りません。これは、素粒子探しの実験にも言えます。

原子核が分裂した場合、物凄いエネルギーが出る事を、理論的に立証し、核爆弾で実験をし、成功を収めた暁に、それを最初に落とされた国が、日本であり、怖さを体験しているにも拘らず、理論的にもまだまだ立証されたとは言えず、未だ実験段階で、陽子同士を衝突させ、安定である陽子を壊し、飛び散る量子を計測するとは、いつ何時、自らの身に降り掛かって来るか分からない実験です。
後に、アインシュタインは、核爆弾の事を時の大統領に進言した事を、深く後悔しています。「そう、私が落としたのです。」と。勿論、本人が落とそうと思ったのではなく、本人の意思とは無関係に、核の開発に理論的に貢献してしまったからです。

ですので、事の起こりは、思わぬところで波紋を呼びます。そこに、神の粒子なぞと名前を付けられた、他の宗派、特にイスラム教にとっては、胸を逆なでされる思いに曝されると、想像できます。
ようは、今後の火種を自ら用意し、ハンマーが振り落とされるのを待っている様なものです。
9.11の教訓は、忘れたんでしょう。

これも宇宙開発同様、日本としては担ぎ出された様なものです。

私自身が、争いに巻き込まれませんように!
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