卵説 [科学]

前回では、光を無としました。仮に無から電子、反電子が生じたとします。しかし、これだけでは、すぐ電子と反電子が対消滅してしまい、光に還元します。つまり無に帰します。実際真空中と言われる宇宙空間では、起こりえる事です。
今の物理学では、光か電子かを厳格には、区別していないと思いますが、ここだけの話で区別すれば、光はこの世では、最高速度でC=一定で表されますが、電子は反電子の御蔭で質量を持ちますから、C よりは速度が減ります。
では、この場合、電子の大きさはどうでしょうか。測れるでしょうか。不確定性原理で測れないことになっていて、単に量子となっているはずです。
では、原子に付随している電子の大きさは測れるでしょうか。これも測れない筈です。何故なら、量子が有る一定の量集まった定量値が、一個の電子になっているからです。
では、原子核の大きさは、何を基準として測っているのかと考えました。
私は今まで、教科書にある通り、小さくてイメージし難いですが、有る一定の大きさで、原子核の種類事に、大きさは決まっているものと思って来ました。
しかし、よくよく考えると、迷信を信じているのと同様、有る一定の大きさと言うものも無いのではないかと考えないと、矛盾してしまう現象がある事に気付きました。それは、人間の瞳孔の動きです。目は光を当てると、瞳孔が収縮する事は知られていますが、それは、目の筋肉が調節しているからだとされています。それはそれで説明になっているので良いのですが、この筋肉の動きとは、条件反射みたいなもので、人間が自ら意識して動かしている訳ではない筈です。現に暗闇から急に明るい所に出ると、痛いくらいの眩しさを感じます。つまり、筋肉の調節を自らする前に、瞳孔が動いていて、後から筋肉が吊られて動くものですから、そう感じるのではないでしょうか。と言うことは、原子自体が持つ特性であり、人間の意志とは無関係なものとなりそうです。
さあ、そうするとどうでしょうか。原子は自らの運動状態や、周りの運動状態によって、大きさを変える性質があるということになります。
これは、原子の電子空間だけで考えても、成り立ちますが、私の理論は、原子核の物質も同様な量子として考えていますから、原子核も状態によって大きさを変える事となります。
一般相対性理論では、質量には触れていますが、大きさについては、何も触れてはいないし、それは、ジャンルの違う化学の世界の話で、そこまでは責任を負っていませんので、責めようは無いのですが、今の時代はそれでは済まないのだと思います。

さて、この考えをそのまま受け入れると、大きさを決める基準が、非常に曖昧となって来ます。地球と言う同じ重力場で大きさ質量を決めている分には不都合が無いとしても、初期の宇宙とか、他の銀河系とかとなると、違った尺度が出て来るかも知れません。大きさが曖昧となると、原子一個と言えども、大きいとも言えるし、小さいとも言えるし、小さい世界にも、宇宙と同じ営みがあるとも言えるし、今の宇宙像は、実は原子一個分の大きさで、宇宙はそれ以上に大きく、我々が見ている宇宙は、実は陽子のような、小さな球体の上から覗いている小さな小動物が見ている様な一小片の世界で、無限に大きい世界かも知れません。

そうやって拡張して考えて行くと、小さい世界と言えども、そこで起こりえる現象は、大きな世界でも起こっていると考えても矛盾は生じず、宇宙の初めは卵の様なものから生まれたとする卵説でも良い分けで、核爆発の様なビッグバンから生まれたとする理論よりはマシだとなった訳です。実際そうすると、ブラックホールとは、初期の星団とは、と考えた時上手く説明でき、今後の宇宙の活動も簡単に出て来ます。それは述べませんが、これでも問題は出て来ます。先に言った細胞分裂です。

生命が誕生する時は、その生命の形は卵の時に粗方決まります。つまり、魚になるか、鳥になるか、動物になるかです。その時細胞分裂で、形が出来上がった時、Hello World! となって世の中に出て来る訳です。そうだとすると、原子も細胞分裂みたいな性質を持っている事となり、初期の段階で分裂して行ったのが、それぞれの各原子と言うことになり、それだと、ウランのように陽子と中性子が沢山有る原子も、元々水素原子の様な単原子から分裂して行ったと言うことになり、質量は別個に考えても、大きさが何とも合いません。ここで困って考え直した訳です。

幸いにも、瞳孔という現象を見つけ出し、大きさが条件によって変わるものだったら、それを理論付けて展開する事が、可能ではないかと。
今は未だ、それを展開していませんが、可能となった場合、化学の常識が変わります。それは、想像してもらえれば分かると思います。

それでは、原子自体の分裂は、何処までも際限なく続くじゃないかと言う話にもなりますが、理論上はそうなります。成りますが、そんな事延々とやっても意味はありません。加速器を使ってやっている人達もいますが、意味は無いどころか、庶民が理解できないことを良い事に、庶民の生活を圧迫していますし、隠蔽も出来ます。彼らは、実験に使う陽子を何処から持って来ているかに付いては、不問にしています。さて、何処から持って来たかに付いては、一番近くに有った、福島原発の放射性廃棄物から持って来るのが、手っ取り早いと考えていた筈です。ところが、あんな事故が起きて、原発全停止の事体になると、困る訳です。実験が出来ません。そこで慌てて、問答無用で再稼働させるために、マスコミを使って、神の粒子なる荘厳な儀式を放送した、と考えれば辻褄が合います。
これが事実かどうかは別として、最近この手の事件報道が絶えません。
多分報道関係者は、誰もそんな知識を持ち合わせていませんから、本筋を見失いがちですが、しょうが有りません。政治家ですら何の事やら理解できないのですから。言ってみれば、AIJの社長みたいなものです。蓋を開けてみたら、犯罪者に成っていた、類いの話です。

話が又逸れてしまいましたが、それでは、その分裂を規制している物質の運動速度の話を今度はしたいと思います。
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