意志2 [哲学]

前の意志としての内容は、足りないところが多過ぎたので追加です。
では何を持って意志とするかで表現が違って来ます。
化学的に考えれば、脳の情報伝達細胞による電気反応に入るから、脳科学に分類されるかも知れません。これには人間の記憶能力、学習能力、思考能力、言語能力、洞察能力等々絡んできますから、そこ迄は踏み込みません。
物理的にはどうでしょうか。例えば地球がある意志を持って地震や津波を発生させたと言う表現が出来るでしょうか。粗方の人はナンセンスと思うでしょうが、もし意志と言う言葉が意味を持つ、或は存在する意義があるとしたらこういう使い方が正解なのだと思います。

怪しくなって来たので、ここでちょっと聖書の言葉の助けを借ります。
マタイ5:3に"Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven."というのがあります。山上の垂訓の一説ですが、これは編纂されていて正確ではないのでしょう。私はこう覚えていました"Spiritual Poverty, you have the heaven."日本語では「心の貧しい者は幸いなり、天国はあなたの物なり。」
このスピリットなのですが、日本では心意気とかで使われているのではないでしょうか。ここはイエスも弟子達に、ヒステリックになったのではないかと思います。「何故お前達には分からないのか」
英語では心の単語にmindもあり、日本語の意志には、willやvolitionが使われています。なので御当家キリスト教国と言われる人々もspiritの捉え方が様々のようです。第一、創造主を信じたり進化論を信じたり二分しています。私から言わせればどちらも当てはまるのですが、どちらか一方と言う訳には行きません。これは光の性質にもあたります。方や波であり方や粒子という相容れない性質を認めているではないですか。

なのでここは少々飛躍して言わせてもらえば、spiritを私の言う意志に置き換えると巧く説明できます。例えば、嘘をつこうと言う意志、盗もうと言う意志、姦淫しようとする意志、人を殺そうと言う意志。つまり本来有り得ない行為に対する使われ方です。なので地球がある意志を持って地震や津波を発生させたと言っても本来有り得ないのですから、かなり苦しいですが間違いではないでしょう。
まあそんな使い方は後にも先にも無いでしょうけれども。

ですからキリスト教の教義である、やっては行けない意志(spirit)が貧しいほど天国に近づけると解釈した方が親しみ易くなります。心の貧しい人と訳すと馬鹿かアホかの話にも捉えられるので誤解が生じます。しかし、この教えを守るのは、簡単そうで簡単ではありません。人生には色々な誘惑があり、まるで意志がない者は、生きられないような仕組みがいっぱいあります。それを避けながら生きるのは至難の業です。
仮にそれを乗り越えられた人がいるとすれば、天国の門は開かれます。その人から見れば、誰が良くて誰が悪いのか判断できます。

私は早くそういう世の中が訪れないかと期待しているのですが、まだまだのようです。政治家を見て下さい。彼らは意志の固まりです。なので他者の力を利用できません。結局何も出来ないのです。せいぜい足の引っ張り合いとでも言いましょうか、そのくらいです。

私もなるべく意志を持たないようにはしていますが。他人と接すると地震や津波のように爆発する事たびたびです。

美しい花が何の報酬を求めずとも花を咲かせるがごとき、植物が実を結ぶがごとき、魚が海で生長するがごとき、人間が何の報酬を求めずとも世界が自然に人類の花を咲かせる事が出来れば、いうことなしです。
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