地震から見た日本の歴史 [歴史]

日本の歴史を理解する時に地震・津波・火山噴火の災害を無視して語れないようです。
通常、文科省で作る日本史の教科書には時代時代の変化に際し、地震の事には触れていません。
でも、日本の歴史の年表と地震の年表と突き合わせながら眺めると、明らかに相関関係が見られます。
今でこそ、復旧、復興はある程度スムーズに行われますが、車やら重機等が無かった時代、それは一つの時代の終焉を意味していたのではないでしょうか。
つまり、地震による死者が数百数千だったとしても、その後の物資の調達、年貢の減少、庶民の生活苦よる不平不満、方や暴動ともなれれば、その機構を維持できなくなり、やがては新興勢力が台頭して来て、自ずから新しい時代が出来ていったと。
一例を挙げれば、平安時代です。wikipediaでは、こうあります。

9世紀
平安時代(794年-1190年頃)
[新月] 818年8月頃(弘仁9年7月) 北関東で地震 - M 7.9、死者多数。
[新月] 827年8月7日(8月11日)(天長4年7月12日) 京都で地震 - M 6.5~7。
[新月] 830年1月30日(2月3日)(天長7年1月3日) 出羽で地震 - M 7~7.5。
[新月] 841年前半(承和8年5月3日以前) 伊豆地震 - M 7、死者多数。
[新月] 850年11月23日(11月27日)(嘉祥3年10月16日) 出羽地震 - M 7、死者多数。
[新月] 863年7月6日(7月10日)(貞観5年6月17日) 越中・越後地震 - 死者多数、直江津付近にあった数個の小島が壊滅したと伝えられる。
[新月] (864年(貞観6年5月)富士山噴火(青木ヶ原樹海を作った貞観大噴火)、阿蘇山噴火)
[新月] 868年7月30日(8月3日)(貞観10年7月8日) 播磨・山城地震 - M 7台。
[新月] 869年7月9日(7月13日)(貞観11年5月26日夜) 貞観三陸地震 - M 8.3~8.6、陸奥国地大震動、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人。多賀城損壊。津波堆積物調査から震源域が岩手県沖~福島県沖、または茨城県沖の連動型超巨大地震の可能性も指摘される[7]。東北地方太平洋側で繰り返し発生していると推定されるM9クラスの地震の候補とされる[8]。
[新月] 878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日) 相模・武蔵地震 - M 7.4、死者多数。京都でも揺れが感じられる。
[新月] 880年11月19日(11月23日)(元慶4年10月14日) 出雲で地震 - M 7。
[新月] 886年6月29日(7月3日)(仁和2年5月24日) - 伊豆諸島噴火。安房の国で降灰と地震。
[新月] 887年
[新月] (仁和3年)7月6日 越後西部を震源、M6.5。津波による溺死者は1000人にのぼったとされる。
[新月] 8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(東海・東南海・南海地震連動説有) - M 8~8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり。南海地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。
10世紀
[新月] 938年5月17日(5月22日)(承平8年4月15日) 京都などで地震 - M 7、死者あり。高野山でも建物損壊。その後も余震が多く、8月6日に大きな余震。
[新月] 976年7月17日(7月22日)(天延4年6月18日) 山城・近江地震 - M 6.7以上、死者50人以上。
11世紀
[新月] 1096年12月11日(12月17日)(嘉保3年11月24日) 永長地震(東海・東南海地震) - M 8~8.5、死者1万人以上と推定。東大寺の鐘が落下、伊勢・駿河で津波による大きな被害など。
[新月] 1099年2月16日(2月22日)(承徳3年1月24日) 康和地震(南海地震) - M 8~8.5、死者数万と推定。土佐で津波により大きな被害。興福寺、天王寺も被害。
12世紀
[新月] 1154年9月19日(9月26日)(仁平4年8月10日) 富山付近で地震。 富山付近で地震。新川郡で陥没、死傷者多数。
とあります。

この時代は、摂関政治、今で言う官僚統治機構が、ほぼ達成したかのようですが、このくらい地震の被害があれば、そう巧く機構が回らなくなったというのが実情ではないでしょうか。
話がそれますが、この末期頃に登場する、平氏政権が、今年の大河ドラマ「平清盛」というわけで、私の歴史観からは、かなりずれたドラマになりそうです。

次に台頭してくるのが、源氏で、鎌倉幕府なのですが、これも成立とほぼ同時に、地震の被害に遭っています。
地震年表をみると、明らかに地震津波で自動消滅した感が否めません。

ここで時代を飛ばして、江戸時代に進むと、やはり結構大きな地震に見舞われています。
徳川家は、伊達家ともタッグを組んでいますから、江戸も仙台も結構被害に遭っています。
よくこんなんで、江戸幕府が、300年も持ったもんだとしか言いようが有りません。
明治時代を迎える後期15年間は、地震のオンパレードです。

こうやって見てくると、日本とは自然災害との戦いであり、こんな国はそうそう有りません。
ヨーロッパでは地震が起こる国は限られており、イギリスで産業革命が先に起こったのも必然と言えば必然なのかもしれません。
歴史を読み解く方法としては、まだ方法が有るかもしれませんが、非連続的に教え込まれる日本の歴史にはもの凄く抵抗が有り、アメリカ・ヨーロッパは合理主義で、日本はそうでないと教えられました。
しかし、地震を入れて考えれば、日本とて合理主義的に歴史を理解できますし、そう教えてこなかったツケが、今回の地震・津波・原発事故の災害だったのではなかったのでしょうか。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。