安心な大地と不安心な大地 [雑学]

安心な大地と不安心な大地で日本を考えてみました。
第二次世界対戦を挟んで大きな地震に見舞われた日本では、地震による死者の数は兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が突出している以外、目立って今回のような大きな被害には有っていません。防災側にしたって主に人口密集地に重点を置いていたはずですので、今回の東日本大震災は、ある種防災の盲点を突かれた感じだったと思いますが、想定はしていたものの想定外と言ってしまえばそれまでです。
とは言うものの、日本と言う国は、正確には大地は、誰かが言うように(プレート、マントル、マグマに付いては考え方が違うとは言え、)実に脆弱な地盤の上に成り立っています。
何を言いたいかと言うと、日本が先進国と言えるなら、住むだけで大変なリスクを払わなければならない国だと言う事です。そうではないでしょうか。そんな不安定な大地に土地の値段って有るんでしょうか。
特に、今回被災され避難生活を送られている人達のほとんどは新たに土地を購入しなければなりません。
しかも不憫なところに強いられます。そもそも、町や市とは即席ラーメンのようには出来ないことは人角の人物なら言わずもがなです。

では安心な土地ってあるんでしょうか。私から言わせれば有りません。むしろ戦後の復興期にこんなに自然災害が少なかったのが不幸中の幸いだったのか、鬼の居ぬ間の洗濯になってしまったのか、むしろそれが仇となったきらいが有ります。津波の避難訓練を日頃していた地元の人達でさえ、半信半疑で、いざ津波を見るまで信じられなかった人が多かったのではなかったのではないでしょうか。昼の東北震災ニュースでは間一髪助かった人たちの声を良く耳にします。
もし仮に安心な土地が有るとしたら、それは人の心の中だけだと思います。物理的な土地は心理的な土地の付属的なもので、物理的な土地は、明治維新の時に廃藩置県した東北の土地は、今でも有り余っています。
と言うと誰かさんなんかは余ってなんかいないとか言うかもしれませんが、東京電力が東北の福島に二つの発電所を作るくらい余っていた事は確かです。しかも、ここは安心な土地と言う振れ込みの元に。

なので、土地に値段が有るとは無駄な価格競争を起こさないための便宜上のもので、有って無いような錯覚だと私自身は思っています。被災地の人達はこのような事にこれからも翻弄されるのかどうか、復興庁が巧く対応してくれるのを祈るばかりですが、今日もローカルニュースで、被災地の丹精込めた養殖のカキが盗まれたのが発見されたとか、心痛む話を聞きました。有り得るんですかねえ?

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