東日本大震災調査報告書 [地震]

防災科学技術研究所で2012/01/31に出した主要災害調査第48号「東日本大震災調査報告書」new!
を読ませてもらったのですが、何故かしっくり来ません。そう思うのは私だけでしょうか。
というのは、3.11の震源地が一カ所だけな事です。あの日揺れたのは一回だけではなく最低でも三回は大きく揺れました。しかも一回目の衝撃的な揺れで、東北では至る所停電となり、震度計も正確には計れなくなったはずです。後の分析で、南北500km、東西200kmに渡る断層型地震だったはずです。つまり震源地は有って無いようなもので、マグニチュードもM9.0というより、もっと専門的に分析すれば、各時間ごとに発生したモーメントとエネルギーの積の和がM9.0と言った方が、私ならピンときます。

この解説の中に、津波についてあり、こうあります。
岩手県の釜石、大船渡、石巻などでは、津波の第一波が14時46分、すなわち地震の発生とほぼ同時に10〜20cmの高さで到達し、最大波は15時20分前後、すなわち地震発生の約30分後にこれらの地を襲っている。とあります。
来てしまったものを、今更どうこう言ったところで、どうでも良いような気もしますが、通常津波って地震より後に来るんじゃないんでしょうか。ではこの波をどう理解すれば良いのでしょう。考えられるのは、静止している海に対し、陸の方が海側に急激に引っ張られたために、相対的に海水が移動して盛り上がったように見えたと言えない事も無いようです。
これは洗面器にある程度水を張って、洗面器を移動させれてみれば分かる現象です。
でもこれを津波って呼ぶんでしょうか。そもそもそうすると、震源地も平均値的なものになるのではないでしょうか。だから震央にした?

それともう一つ、これはローカル版のニュースだと思うのですが、福島のいわきの漁師があの日、津波が来ると言う事で、自分の漁船を守らなければならず、仲間と供に沖へ船を出したそうです。転覆を避けるには船長の常識として波に直角に向かわなければならず、無線のやり取りで、津波は南から来ていたそうで、南方に向かったそうです。
震央が宮城県沖であれば、北北東方向に舵を切らなければならないはずが、何故南方向なのでしょうか。漁師が混乱していたとはいえ、そう容易く方角を間違うはずがありません。
とすると津波の発生源も一カ所ではなく、少なくとも2カ所以上有ったと言う事でしょうか。
実際、千葉の旭市も結構津波にやられていますから、これならある程度辻褄が合います。

まあ、これからの参考になるとも思えないし、どちらが正しいとしたところで、時間が震災前に戻る訳でもありませんし、実際私が見て確認したわけでもないので、混乱を増すばかりかもしれませんが、偏見と誤謬に陥るよりはましだと思っています。

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