重力場 [物理]

前のブログの延長線で、出て来た問題なのですが、光が伝わる媒体に付いてです。
これについては、もう色々説明が出ているし、それなりに納得できてはいると思いますが、そこに出て来る真空と重力場、古典に出て来る媒体としてのエーテルの概念が、曖昧ではないかと思い、私なりにまた解釈してみました。

これは私が最初にアップしたブログのテーマでもあり、その後何のアップデートもしていないので、ちょうど良い機会です。最初のブログでは、エーテルが無いとしたのは間違いだった、で終わりにしました。つまり、光が伝搬するには、やはり媒体がなければ伝わらない、としたものです。それがその後、真空と言う何もないものに変わりました。これは、アインシュタインが、一般相対性理論を発表する前です。その後、時空の理論が展開され、物質が存在すれば、時空が生まれその空間の性質が重力を作り出すと言う重力場の提唱がありました。
さてそうすると、太陽系を駆け回っている光は必ず大なり小なり重力場を通ることになり、重力場という媒体があることになります。(過去のブログでは、安全策を取って重力場ではなく時空を使ってますが、同じ意味で使っています。)
もちろん重力場自体、質量があるとか目に見えるとかという性質のものではなく、言ってしまえば、真空みたいなものでも通用するのではないでしょうか。当然電磁場も、物質が作り出す重力場の空間を媒体として伝わることになります。
と考える、哲学的表現になり、作者の意図を見失うと、もう目をそらせざるを得ません。この手の学びの世界は、日常生活には、ほとんど関係はないし、実用、実践的でもないので理解できてもできなくても、関わり無い人には一生関わりのない世界でしょう。しかしこの区別がつかないと、落とし穴が待っています。

ここで、同じことを言っているはずなのに、名称が三つ出て来ます。エーテル、真空、重力場です。古典力学ではエーテルは、一瞬に伝わるものとしていましたから、明らかに区別できそうですが、その当時、光の速度を測るとかは想像できなかっただろうし、器具も当然有りません。直感的に考えれば一瞬として表現しても可笑しいとは言えないところがあります。
では、真空と重力場は何処が違うのでしょうか。真空は、重力場を取り除いた空間のことと表現できそうですが、重力場は、今の物理学では時間空間とセットであり、重力場のない空間は、存在しないことを意味します。
しかし、日常生活では、真空と言った表現が染み付いていますし、真空状態とか、真空パックといえば誰もが理解してくれます。しかし物理学の定義で言えば、宇宙空間で、重力場が存在しない空間はないので、光は重力場を媒体として伝搬する波と言う方が、ぴったりします。真空は正確には重力場の空間に物質が存在しない状態、と言った方が、良いのではないでしょうか。つまり重力場の特殊な空間ということになります。

ところがここで問題発生です。重力場を媒体とする光の波とすると、重力場は一様でないので、光速は一様でないことになります。もちろん過去のブログでも、光は測りようで変わるとしていますから、私自身は論理矛盾はしていないのですが、光の速度が変わるので、光速を用いた方程式の実際の値が若干変わることになります。
とはいえ、値を決めないと泥沼状態になるので、近似でもそれで出してから、若干の修正をした方が早いと思います。

それと、太陽系は、完全な体系でないので、何十年に一度重力場の隙間を縫って彗星がやって来たりします。

ここまでは良いのですが、量子論では、電磁場、弱い力の場、強い力の場、重力場を統一した大統一理論なるものがあって、平たく言えば、重力場だけが量子化できないでいるとあります。
重力場の量子は、重力子(グラビトン)と言われるものなのだそうですが、果たして方程式上で統一することに意味が有るのでしょうか?または、重力場は、そもそも量子化できるものなのでしょうか。アインシュタインの夢でもあったのですが。

今この世界は、一般素人が立ち入りできない程、難しい記号と表現と方程式で満ちあふれています。それでいて、まだ未解決な部分も有るということであれば、普通であれば机上の空論であり、何の役にも立たない、で終わってしまいます。少なくともそれがどういう結果をもたらすものか分からないのであれば、意味が有りません。
中には、その考え方が大事で、実験でこれから分かるのだ、という人もいますが、今人類に経済的なそんな余裕があるのでしょうか。

ブログの原子のイメージで説明したように、粒子にはすべて反粒子があることで、安定を保っている、としました。では、重力場の反対は何かと言えば、当然それを作り出している物質ということになります。仮にその物質が消えてしまえば、同時に消えてしまいます。物質は色んな原子の集合体とも取れますけれども、その全体をまとめて一つのプラス物質と捉えれば、時空としての重力場をマイナスと捉えることが出来ます。勿論、電気としてのプラスマイナスの性質ではなく、便宜上そう表現しただけです。
そうすれば、重力場はマイナスということになり、人間と言えども、物質を有しているので、重力場に引かれることになります。
これは前にも書いたのですが、もっと正確にいえば、中性子の反物質いわれるものが重力場であり、中性子が無くならない限り、存在し続けます。この理論こそが、ブログを始めた最大の目的だったのですが、読まれるどころか抹殺状態です。カッハッハッハッハァ!

とはいうものの、ここで、私にも思わぬ疑念が頭をよぎりました。それは、被災地の人達には申し訳ないとは思いますが、あの大震災があったからこそ、浮かんだ疑念です。

原子力発電とか、高速加速器による実験とかは、原子の核分裂した時にでる熱を利用したり、原子の衝突した時に出る反物質を取り出したりする実験なわけですけれども、どちらも殻で守られない中性子が出て来て、重力場と反応して、どちらもなくなってしまいます。つまり、空間が無くなるのです。勿論地球レベルから考えれば、微々たるものですけれども、僅かならでも、その隙を埋めるために、物質を引っ張る力が働きます。
もともと、東北太平洋沿岸地域は、潮汐力で引っ張られる力が働くところですが、それを助長する力がさらに働くことになります。引っ張った分、ある臨界点に達して、一気に戻ったとすれば、今回の地震になる訳です。
そう考えると、この地域には北から青森六ヶ所再処理施設(これは余り関係ないとは思いますが、詳しいことは分かりません。)、女川原発、福島第一第二原発、東海原発、J-PARC(稼働しているのかは知りません。)という茨城県に加速器があります。
そう考えると、過去の歴史に無いような規模の地震・津波が来たとしても不思議ではありません。
まあ、過去の資料が余りにも情報が乏しいので、過去との整合性がどのくらい取れるかも疑問ですけれども、こういった考えも全面否定できないはずです。

話がずれて、取り纏めが出来なくなったので、整理が付いた時にまたアップしたいと思います。
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