論理破綻の制度 [雑学]

今まで、マクロの宇宙やミクロの原子等、物理的な要素について、多く述べて来ました。
読み手側からすれば、面白くないし、今の世の中では仕事にも、評価主義の学歴社会では何の役にも立たないと思うことでしょう。

私自身から見れば、これらの解明は、知らなかったから、又は社会の常識に迎合してしまったから生まれた、私自身の人生の失敗、教訓から生まれた産物です。
つまり、「あの時これを知っていれば、こんなに苦しまなくて済んだはずだ」、「あの時社会の通念に捕われなかったら、もっと明るい未来が開けたはずだ」と。

しかしそれは、多くの人も何らかの形で、そういった体験、気持ちは持っていることでしょうし、避けられない人生というのもあることは確かです。人生の生き方としては、そういった自然の摂理とは無縁に生きるのが成功者になるのかもしれませんが、遅かれ早かれトラップに落ちてしまいます。
話が脱線するのですが、今消えた年金でAIJなる者が取りざたされていますが、あのお金の中には、私が掛けていた年金も僅かながらあるので言いたいのですが、
あの人達も、運用に成功してれば、成功者として、報酬をもらっても、誰も何も言わなかったでしょう。しかし、いざ大半が消えてしまっても、失敗報酬として、同じ金額をもらえるので、あら不思議。
これは、すでに論理破綻しているのですが、本人は、失敗とは思っていないようです。
と言うより、私自身は、そんな人にお金を預けた覚えはないのですが、何故か知らないうちに、株だか投資だかのギャンブル(私から見れば)に使われていたみたいです。
普通ギャンブルであれば、自己責任が当たり前なはずですが、これを正当化している日本の制度って何なんですかねえ。しかも、この年金はXXの投資資金に使われています、なんて会社側も従業員に何も知らされることなくです。
昔から、御上目線というものがあって、「あなたの物は私の物、私の物は私の物。」ということがありましたが、昔のことと思っていましたが、今でも相変わらず、そうなんですねえ。こんなこと言ってると切りがないので、止めますが、これは私自身、泥棒に遭ったと思って諦めるしかないと思っています。そんな人を取り締まる法律はありませんし、これから作ったとしても時効です。

私の理論は、そんな煩わしい浮き沈みとは関係ない不変な物を求める理論です。気付かないかもしれませんが、その理論が正しければ、科学と言う分類に捕われること無く、生き方そのものもにも通用できます。
何故なら、人間も自然の産物だからです。とは言うものの、今は幸か不幸か、医療が発達して、不自然な産物も増えているのかもしれませんが、お金を掛ければ、良い方向に行くとは限らないことは、年金制度を見ても明らかです。
ですので、「お金が回らなければ、税収が入らないじゃないか」、と言うのも本末転倒な話にもなることは、考慮しなければなりません。少なくとも私には、誰かの、何かの組織の思惑としか思えません。
私自身はそんな話には関係ないし、期待をしているわけでも有りません。

例えば、地球のメカニズム、宇宙との依存関係がかなりはっきり解明できて、地震や津波が、何時何処でどのくらいの規模で襲って来ることが分かれば、見えない恐怖に怯えなくて済むし、今回被災に遭われた人達も、それなりの対策を取って、暮らして行けたはずです。
想定できないのが、自然災害だ、と言う割には、それらを解明するのに多額の予算を使い、どうなるか分からない原子力発電に何世代にも渡る借金をして迄、開発をして来たそのこと自体、論理破綻しているのですが、まあ税収が入って生活が成り立つ人達には歓迎できることなのでしょう。
結局、災害は、最悪の被害になり、原発は電気も作れない、金食い虫に成ってしまいました。
特に福島第一原発は、逆に東北電力の電気を奪っています。
これは結果論ですが、何もしなかった方が、人間生活は幸せだったのです。

いくら言ったところで、私の声は殆ど届かないみたいなので、このブログもそろそろ閉鎖しようかと思っています。これ以上語ったところで、混乱情報と間違われそうなので、妥当だと判断しました。

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