新興宗教の謎 [宗教]

日本には、宗教団体と言われるものは沢山有ると思います。古来から仏に仕えるお寺は有りましたし、葬儀の儀式が無ければ、世間から笑われる程、国民に浸透しています。言ってみれば空気のような存在です。それとは別に、新興宗教と言うものも有って、人々の心の不安から興味を煽り教義を進めたり、社会の不安、理不尽さから、宗教団体に入体する人も居るかも知れません。そのこと自体可笑しな事でもなく、それを否定するのであれば、葬式も上げる事が出来なくなり、供養も出来ません。また、全ての生業も大小の違いこそあれある意味触れています。
これらの事は、それはそれで、認めるしか無いと思いますが、たまに大きく脱線する事も有りました。オウム真理教も、その一つだったと思います。今この事件が残りの指名手配の犯人が捕まった事で、地下鉄サリンの残虐さばかりを報じていますが、私自身、この報道の仕方に危うく自己を見誤るところでした。
あの時代を知っている人なら、その事件が起きた前後の時代背景を知っているはずです。事件が起きる前は、今に成ってバブルが弾けたと言っていますが、その当時は、JAPAN As No.1と世界から言われ、浮かれていた時代です。マスコミもジャーナリストも、それこそ鼻息も荒く、日本の経済発展は日本人の神髄が正しかった事の証明であるかの如き話が続き、好き勝手にお金を謳歌していました。少なくとも私にはそう感じられました。それが、1991年でしたか、浮かれていた国民に突き付けられた問題は、今でも問題がある中東の国での話であり、湾岸戦争でした。その頃私も若かったので、何が問題で戦争が始まったのか分かりませんでしたが、日本は、戦争の一部にも加わる事が出来ず、お金だけ出費する事と成り、それも多額です。その頃から日本は経済的に坂を下り出したのですが、それでも経済雑誌には、「どうした日本!」とか言う活字が躍っていました。オウム真理教集団も、その頃変化を遂げ大きくなったのかどうか知りませんけど、こと政治に関して言えば、政治体制は、今もその頃も同じで、ゾウの歩みです。完全に社会的隙が生まれたところに、事件がある種、功を奏して遂行された、と私は思っています。私自身は、その詳細な事件を知るのは、相当後だったので、当時の記憶としては、そうとしか言えません。

その年の強い思い出としては、ウインドウズ95が出た年として覚えていて、アップルモドキの製品が、ついに日本に上陸したか!と言う思い出の方が有るので、そちらを語らせてもらえば、創始者のスティーブ・ジョブズは自分の作った会社を解任させられているし、Mac OSの神髄は、ビル.ゲイツに奪われた格好と成り、いよいよ本物が生きられない時代に突入したのか、と肩を落とした年でした。と言うのは、新しい製品を世に送り出すには何ぶんにも資金が必要であり、開発もその分遅れるか、無くなるかに成ってしまいます。まして、億万長者のマイクロソフトが、同じものを出したとなれば、ユーザは離れて行きます。とは言え、スティーブは、頑張っていました。本物の良さは、やはりそう容易く消えないのだと。

話を戻すと、地下鉄サリン事件は、幕を下ろした事には変わりないのですが、その分派なのか残派なのか知りませんが、未だ活動しているようです。話によれば、あの大震災は、XXXのせいで、地獄に落とされたとか、福島原発爆発事故は、OOOの理由で天罰が下ったとか言っているそうな。
言うこと自体は、カラス(オウム?)の勝手ですから、刑罰にも当たらないし、こちらも自己判断で受け止めれば良い分けですが、問題は、その事を自己判断できない入門者が未だにいることです。まあ、そのこと自体も別に悪い事でもないし、責められるものでもない、と判断せざるを得ません。今の世の中、偉くなると貧しい人の事迄は、目が行き届きません。まして、この時代迄来ると、もう一度バブルをとか思っている人がいると言う事は、人それぞれ考えも見方も違うし、いくら制度を立派にしたところで、曲解して受け取る人間は、出て来るもんだと思います。
不幸の中には、両親が故有って、自分の子供を育てる事が出来ず、学校にも行けず、働いている子供も結構いるのです。知らないでしょうけれど。

つまり、あの事件を起こした、又は起こさせた根本理由は、霞ヶ関の人間達であり、作用反作用の原理で、起こりべくして起こった、と言ってもそれ迄です。これが事実だとすると、無差別ではなかった事に成ります。あれから17年ですか、霞ヶ関どうこう、永田町どうこうと言う政治家が現れては消えて行きましたが、何も変わっていません。変わっていないどころか、庶民いじめだけは、着々と進行しています。

ここ迄来ると、信仰心を持たない普通の人は、信者を笑えません。実際の話、どちらがどうだとは言えなくなるのです。よっぽど強い信念を持っているか、運が良いかでない限り、消え行く運命です。アレフとか言いましたっけ、彼らは未だ何もしていません。他人がどう思うかは知りませんが、彼らの言っている事も、私としては残念なのですが、一理あります。魚を捕り過ぎたと言うことも事実であり、津波に関して言えば、私もかなり触れましたが、第一原発に波が集中したのは、単なる偶然で私も片付けていますが、そうでは無いと言うことに対しては、言わせておけばとしか言い様が有りません。それに比べても今の政府のやり方は、一理も有りません。どっちが正しいんだと言われると、疑問符です。

報道は中立の立場に立っているとは言え、どうしてもどちらかに偏ってしまいます。ここは、冷静に推移を見守るしか有りません。

六角形の物質 [生物化学]

医薬品や健康食品等の化学成分を調べているのですが、特に脳、神経系の医薬品には、炭素結合に他物質が結合するベンゼン環のようなものが、多く現れます。遺伝子細胞には、炭素だけの分子構造は無く、必ず窒素が入ります。では体の中に、この分子が丸っきり無いのか、と言うと有りそうです。コレステロールもそのようです。ベンゼンとは少々違いますが、どちらも体には良いイメージが有りません。
でも待って下さいよ、医薬品ですから、たまにしか飲まないとは言え、この様な分子構造が混じっていると言う事は、何処か神経が麻痺すると言うことではないですか。私も医者通いで、神経系の薬は飲まされていましたが、思い出すと、車の運転は避けるようにとは言われてました。

なので、論点を変えて考えてみました。この六角形の構造は、生物の中にも良く見かけます。蜂の巣等はよい例ではないでしょうか。ミツバチは複眼を持っており、図形の六角形を複眼で認識するようです。と言う事は、体を構成する物質が、それから出来ており、答えは自ずから出ます。花粉です。
人間も花の蜜を食べられない分けではないですが、面倒なので、ミツバチの巣からちゃっかりいただいている次第なわけです。
さて、複眼には六角形、五角形と有るようで、よくよく花を見ると、五角形か六角形の花が目立ちます。ベンゼン環は芳香性もありますし、花にもそれぞれ固有の臭いが有ります。彼らは、臭いと花の形を臭覚と目で確認し、花粉を高性能一眼レフで見るように見分けているのか知れません。そうだとすると、巣を作るのはお手のもんだと言うことになります。目でなぞって決まった位置で折り返せば良い分けです。直線は初めから見えています。

そう言えば、ベンゼンは分子量は、C₆H₆ で78に対し、水は18 なのに水に浮き、混じり難く、化学式だけで考えれば、燃え易い物質です。しかし、この対称的な閉じた構造は、酸素との激しい反応を抑え、密度を減らしています。と言うより、水の方が、ずば抜けた磁石のような綿密な結合をしていると言った方が正しいのかも知れません。この辺は、事象をもっと拡張して、色んな方向に持って行けそうですが、薬の話から脱線し過ぎなので、止めておきます。

と思ったのですが、長年の懸案事項の中に、ふと思考が脳裏をかすめたものが有って、忘れないうちに、メモってみました。蜂は、植物の受粉機構が呼び出したオブジェクトと言えると思います。まだ蜂が存在しなかった太古の時代、受粉が成功できない植物が多かったに違い有りません。植物には意志は当然有りませんから、種子を残せず大地に落ちるものが多かったと想像で来ます。これだと死んだ状態のままのように感じるかも知れませんが、活動は太陽光と水が有る限り止まりません。プラスとマイナスの性質を持つ二種類の花粉は、他の栄養素を取り込みながら、引き合い別の種を残します。この種は、何処から来たのか、自分自身を知り、今後どうすれば良いかもある程度、突然変異の形で現れるとすれば、それが、蜂の卵になっても矛盾は生じません。蜂は自分を作ったオブジェクトを知り、行動できます。つまり、受粉を手伝えば、新たなる新天地が開けるのです。
こう考えると、これは全ての昆虫類に共通に言える事です。前に、サクラの花のタイトルで、書いたブログとも矛盾はしません。あのブログは、今のアイドルグループの歌手の主題歌に沈滅してしまいましたが、あれも、かなり自信が有った作品です。
この一連の自然現象は、時間が掛かるように思えるかも知れませんが、自然はコンピュータ用語で言うところのマルチタスクであり、事象が未知で可能性が青空天上の場合、あっという間に起こりえます。速度は、スーパーコンピュータ以上です。

話を薬に戻しますが薬は、時と使用方法と誤診による病名違いで、思わぬ副作用や更なる悪化も起こりえます。かと言って、一般人は薬の成分に付いて知識を持ち合わせている人は、皆無ではないでしょうか。言ってみれば医者を信じて、使用するしか有りません。私に言わせれば、OOXX宗教を、疑う事無く信じるのと変わり有りません。
私も薬に付いては、最近やっと果敢に調べてはいますが、この六角形の部分が、神経伝達を塞いで、一時的に麻痺させ、残りのこの部分が悪性な部分と正常な薬の成分と交換させるとか、考えているわけで、かなり難が有ります。比較対象できるものが有れば良いですが、二輪草とトリカブトの違いでさえその場になれば、判断に迷う事を考えれば、薬は尚更区別が付きません。
考えたくはないのですが、脳死状態を作る薬を投与されられているのに、最善の薬だと言われても、誰も判断できません。医学の世界は、機密性が高く公開も専門用語が多くネット上でも情報がそんなに有るわけでもありません。wikipedia等は善良な人達が無償で行なっているだけで、それだけの知識を持ち合わせていないと言えば、それ迄です。最善の策は、病気にならない事と成りそうですが、社会性が強いので、それも難しいとも言えます。

今回は、ここで閉じて、次はオウム真理教の分派についてです。
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諸問題 [雑学]

最近余り地震についての記事を上げていないのですが、気にしていない分けではなく、これと言って前兆になる現象が見つからないからと言うのが圧倒的理由です。未だに、余震ごとき地震は続いていますが、新たなる大地震に繋がる兆候では有りません。ただ、何処かの報道で言ってた、「何時来てもおかしくない状況」と言う無責任な発言は止めて欲しい気がします。気象については、気象衛星が今は有るので、それを頼りに予想は立てられますが、これが仇となって、本来人間が持つべき気象予知が麻痺しまっているのです。これも、そのために大気圏を壊して衛星を打ち上げ、気象の異状を作っていながら、この異常は気象衛星が有るから分かるのです、とはトキならぬ、本末転倒です。あの大震災でさえ、まだ観測技術が進んでいないからと言って、地盤を壊しながら機器を設置して行ったら、地震が余計起こるようになったとなったら、シャレにならないじゃないですか。私に言わせれば、そう言うのに限って、地震との関連付けが出来なくて、「ほろげ!」るのです。ほろげとは方言ですが、平たく言えば、大事な予兆を見逃していると言う意味です。

それで最近気になるのが、海洋の異常なのですが、東北の太平洋岸は一部を除いて、未だに復興みち中場なので、はっきりとは分からないのですが、大部、海が汚染されていると言う気がします。これは今に始まったと言うわけではないにしろ、今年は顕著です。もはや、放射能汚染水をどう処理しているのか、してたとしても、処理しきれない水が漏れ出ている分もあるわけで、東電は料金値上げの報道の陰に隠れて、公表には至っていません。それに加えて川から流れ出る工場汚染水もあるでしょうから、特定はさらに難しくなります。他にも世の中の動きが有って、情報が流れる景色状態となって、問題を先送りしています。私も、福島の復興なくして東北の復興無し、と思ってはいるのですが、地方以外の誰かには言われたくないとは思っています。

次は、脳死による臓器移植の話です。これは、医療の世界では、高度な医療に入るのでしょうけれども、倫理や社会に与える影響に付いては何も確立していない分野です。嘗て、アメリカ等では、成功事例とか報道が有ったような気がしますけれども、最近はどうなのか、関係筋でないので、丸っきり分かりません。これは、その後の社会復帰迄が、完了形でしょうから、その後の情報も聞いた事が有りません。でなけれ、モルモットの変わりに人間を使ってミタの話です。
先に結論から言わせてもらえば、これは、私のヒューマンガイドラインに抵触していて、やっては行けない行為となるのですが、生きている世界が違うので、見守るしか有りません。

そこで、私なりに、脳死とは何か。移植とは何かを考えてみました。
生命化学の話は、まだまだ序章で、ここ迄辿り着けてはいないのですが、脳死の判定は、本当は厄介な問題なのです。脳以外の部位が未だ活動しているのであれば、中枢神経を通して中枢迄まだ情報を送っている事になります。その情報が処理されずに、無信号のまま戻って来るわけですから、臓器側は私を必要していないと判断して、活動を停止します。勿論水も食料も取らなくなる分けですから、時間の問題で、異連れ停止します。しかし、今の医療では、点滴で外部から必要な栄養は補給する事が出来ますので、臓器だけは未だ活動は出来ます。その時間を縫って、臓器を取り出し、移植した分けですけれど、果たして、臓器が未だ停止していない状態で、脳が反応しないからと言って、その人の死と断定できるのでしょうか。本当に脳は死んだのでしょうか。一時的に停止したのではないのでしょうか。
それは、名医の判断だけで、一般人には分かりません。死んだと言われれば、両親は、そう信じざるを得ません。それで良いのでしょうか、眠れぬ森の美女の話も有りますから。仮に、体が全停止しない限り、死を認めないと言う法律が有れば、これは、臓器を切り取ると言う、一種バラバラ殺人と言う犯罪となり、死刑又は重犯罪に当たりますが、そのような法律は有りません。この頃は、法務大臣も無責任な人が多く、コロコロ変わります。法務大臣と言えども、人の子ですからで済む話なんでしょうか。

医者になるには、それなりの、学問の成績、論文、実績がなければ成れませんし、お金も相当掛かります。そう容易く誰でも成れるものではないとは思います。とは言うものの、今の学問は、私の見る限り、明らかなるバグが有り、究極的には、学校で習うような綺麗な方程式は無いし、化学反応式でさえ、辻褄合わせだと思っているし、歴史観も偏った物だと思っています。その中で喩え成績優秀だとしても、それだけの事だと、まずは疑って見るのも私には必要です。

では、臓器移植でしか生き延びる事が出来ないと言われている患者の場合どうでしょうか。今回はグッドタイミングで、臓器提供者が出たと言う話になっていますが、これでさえ疑えば、本当にそうだったのでしょうかの話になります。医学会は、前にも触れましたが、捜査の及ばない白い巨塔に守られている世界です。増して、サリン事件のようにはっきりした事件ですら、何十年と解明が続いています。医療ような事件となれば、倫理が絡んで来るので、何百年掛かるか分かりません。今のような法務大臣の元では、「そんなことやめようよ。」で済んでしまいそうな気がします。

この提供を受けた人の人生は、今後続く生命化学の話にも続くので、慎重に考えたいのですが、私の理論では、例え生き長らえたとしても、人並みの社会復帰は出来ません。出来ないところか、治療無しでは生き長らえる事も出来ません。これは、社会的に世間を騒がす行為であり、社会そのものを歪めます。こんな事をして得をするのは誰でしょうか。
一体この医療費は、誰が負担するのでしょう。
そもそも、他人の臓器は、心臓の場合、機械的なペースメーカーの様に使うのかも知れませんが、前にも言ったように遺伝子が違いますから異物です。どの部分迄移植するのでさえ明らかにしていませんが、遺伝子組み換えは、かなり失敗を繰り返し、手術を積み重ねないと、是非の判断さえ出来ません。食料となる植物の遺伝子組み換えさえ、安全は不完全な状態で、この問題ですら余り知られていません。輸入自由化とか言っていますが、その時ですら、この安全性には触れられていません。植物は人体と比べても、比較的実験結果が出るにも拘らず、まだ未解決な問題が山積みになっているのです。
そのような状況で、この手術が公認されているかの如く行なわれるとなると、社会の次なる連鎖が起こることが容易に想定できます。電子波は、風と供に容易に人の体に入って来るのです。
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周波数と記憶 [科学]

生命化学の話は、まだまだ未完なのですが、その前にどうしても触れておかなければならない、話があります。それは重力場を流れる光、電波です。
今現在知られている光の速さで計算すれば、光は一秒間で地球を7回半だかする速さとなっています。当然これは宇宙空間のような真空を想定しての話です。
それはそれで、話としては良いのですが、例えば東京スカイツリーのような高さから、電波を飛ばした場合、その電波は何処迄届くのでしょうか。関東人でないので、良く分かりませんが、関東近辺でしょうか。電波は光と同じ速さとしていますが、関東圏と言うと、ざっと半径300kmでしょうか。光(約300,000km/s)に換算すれば、0.001秒しか波として存在しなかった事になります。この場合、電波は光の速度では無いのでしょうか。それとも、受信側が電波を拾えなかった、と考えるべきでしょうか。
確かに大気中には沢山の原子が存在していて、真空中のようには伝わらないと言うのは理解できますが、こうも伝わらないものなのでしょうか。
そこで調べたのですが、空気伝達率とかで検索してみても、これと言った答えらしきものが有りません。マクスウェルの方程式は、Ɛ₀(真空の誘電率) = 1/μ₀(真空の透磁率)c² とだけ関連方程式があり、更に調べると、空気の誘電率は、真空の1.00059倍らしいです。別段こんな事を知らなくても、生活上困らないし、これだと試験問題にもならないでしょう。しかし、これは明らかにバグです。解り辛いし、これを使って表している例題も見つかりません。

ここも諦めて独自の理論を構築するしか有りません。Mac にはAirMac と言う機能が有り、無線LANの機能が有ります。これが結構曲者で、試しに外部からの電波を拾ってみると、大気の状態で大部変化するのです。ここで分かるのですが、無線LANの電波は重力場を伝わるのではなく、大気中の原子の開いている電子部分を伝わって来るとしか言い様が有りません。だとすると、大変な修正になりそうです。
確かに宇宙空間から見た地球は、はっきりと綺麗な星に見えます。しかし、地上から見た大地の景色は、東京スカイツリーの高台から見たとしても、富士山が見える程度の距離か、雲に隠れれば視界が殆ど見えない事も有ります。
私の予想では、天気の悪い日は、受信し難いとなるのですが、テレビ等は電波が強いせいか、差程気になりません。他にも言えるとすれば、パソコンより、テレビの方が増幅機能が優れているからだと思います。

これらの事を考慮して、太陽からやって来る光は、大気圏でどう伝わっているのか考えてみます。太陽は年中無休で休む事無く光を送っていますから、上記のような疑問は起きないのだと思いますが、今現在ここに届いている光は、計算上では、約500秒となっていますが、実際は波の性質上、干渉、回折、屈折、反射等していますから、どれがどの光なのかは、区別が付かないと言うのが本当のところではないでしょうか。まして、重力場では、空間が曲がっているとされています。平面のX, Y軸の曲がりでZ軸を沈み込む図を良く見かけますが、あれは、便宜上分かり易くしただけで、そんな絵では表されないと言うのが、私の考えです。敢えて言うなら、片乙レンズを通してやって来る光が、地上に届く光です。

最近観察して分かったのですが、植物の花の咲く順番です。殆どの人はそんな事に関心は無かったかも知れませんが、春になると、咲く花の色がある規則に従って、咲いて行きます。白っぽい色から始まり、ピンク、薄紫、橙、赤、黄色、紫と変わって咲いて行きます。これは、太陽の入射角度の変化と比例関係です。つまり、重力レンズ(プリズム)が見事に働いている証拠です。当然それには例外もあって、咲く目的が違う場合、種子の残し方が違う場合は、季節が逆転する事も有り得ます。
この色の違いと言うのは、周波数の違いでもあります。これだけ取っても、光は複雑な動きをします。しかし、植物も上手く適合し、子孫を残そうとし、その周波数に適合した遺伝子を残して、絶滅を避けていると考えられます。

周波数を調べれば分かりますが、光はかなり広い大域を持っています。テレビの周波数も各局ごと違います。人もまた、自分の好みによって周波数を選んで、つまり番組を選んで見ています。さて、今は科学的に見えない物を見えるようにしている時代迄進みました。しかし、勘違いしているのが、昔も今もこの様な電波は有りました。人も生きている限り運動していますから、ある種、波を起こしています。ラジオもテレビも無い時代は、この波を拾う能力(以心伝心)に優れていないと、地域は成り立たなかったのですが、何故か科学が進んだ御蔭で、この優れた能力は古代種扱いとなり、絶滅危惧種となりかけています。最近佐渡のトキとか、絶滅危惧種を救おうとする動きが有りますが、私に言わせれば、本末転倒です。絶滅に追い込んだのは、人間の行為であって、これを、予算を掛けて復活させようと、微笑ましく美化していますが、残るのは借金だけです。
私もそう言う意味では、人間の中の絶滅危惧種であり、滅ぶのは時間の問題だとは思いますが、ここで、そんな時代でも生き残っている種が有ります。この間、言ったカラスです。
カラスは、人間社会の弱点を知っていて、社会の発展と供に増えています。これ程適合できるのも、珍しいと思います。
私事ですが、地方地方と言っても、官僚制度で成り立っていますから、色々な形で役人が出入りしたり天下って、実行権を行使しています。地域の実状などおかまい無しで、ああいう人達を見ると、思わず身を避けたくなります。つまり、波長が合わないのです。教師等もそうですから、同じ事で、その支配体制は、周りの状況を見ても分かります。

この事からも、人間は自分の周波数に有ったものを選択する能力が有ります。子供の時から人格を形成する上では、選択を繰り返しながら成長して行きます。母体に居る時ですら、何らかの波を拾っていると思われますが、基本は同じ事だと思われます。さて、この波は電子記憶として蓄積されますが、これは、触る事も出来ませんし、見る事も出来ません。これを何とかする事が科学の使命だと言う人がいるかも知れませんが、それでは、麻原集団と変わらないし、私のヒューマンガイドラインに反します。第一、今言って来た事が事実だとすると、過去の出来事の波も有りとあらゆる物質に隠れる事が出来(例えば何千年も生きている樹木)、波長が合ったところで、取り出せます。こうなれば、単純なはずの物質の構成でできている生物と言えども、単純には理解できない行動ともなります。

今回言いたかったのは、この事です。こうなれば、いかなる学問と言えども、太刀打ちできません。又アインシュタインの言葉を借りれば、「理性は理性に課せられた終わる事無き課題に比べれば…」となってしまいます。

次回は、雑談形式になるかと思いますが、気になる事あれこれとなるかと思います。
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時間の認識 [宗教]

時間については、過去にも書いているのですが、あれから大分時間も立っていて、私自身の認識も変化しました。つまり、時間が経ったと認識しています。あれはあれで今でもそう思っているのですが、かなり偏った表現だったなあ、と感じています。今はもっと具体的に表さそうと思います。
時間については、実在するものではなく概念だと考えています。なので、新しく考えた記憶の理論から言えば、時間は記憶の中にあり、記憶細胞の変化、つまりそれによる空間の変化が無い限り、時間の経過の認識は有りません。
よく年を取ると年の立つのが速いとか言います。これは、それだけ、記憶の変化、細胞の変化が無くなって来た、と言えるかも知れません。

ここ迄は個人の時間軸です。社会の中でしか生きられない人間は、環境の変化による時間軸も当然持たなくてはなりません。又は持っています。生まれて来る新たな命、亡くなって消えて行く命の変化も、人間の摂理として受け止めなくては行けません。

もう一つの時間の定義が、今ではセシウムによる原子時計の時間です。この概念では、世界共通ですから、世界の出来事をその時間軸で表す事が出来ます。これは、何かを解明するのに重要なのですが、慣れないと日付変更線が有りますので、日本時間しか必要ない人には、アメリカ時間で言われると、今日なのか、昨日なのか、面食らう事が有ります。とは言え、この辺迄は勘違いも自ら気付きますが、時間って進むものなのか、後戻りはしないものなのかと考えた時、粗方の考えは、進むものと答えるでしょう。確かに同じ場面、同じ事象は、起こらないにしろ、とある周期で繰り返しています。人はそれを予言とか言ったりしますが、何年、何月、何時何分に日食が起こる事は、あらかじめ知る事が出来ます。しかし、これを予知とは言わないようです。科学的に証明されている検知となるようです。でも、私から見れば同じ意味なのです。

ここでふと思い出しました。話は逸れますが、聖書の行(くだり)には、復活の兆し見たいな行があって、「日傾き茜色になる時、日沈むを知る。地震が来るの、偽予言者が現れても未だだ。」と言った箇所があった?と思います。もう、聖書は目を通してもいなく、今は、改訂、捏造と言うことも多々有るので、定かではないのですが、聖書ではなく、誰かの著作だったかも知れません。当時の本は、Book-Offに消えてしまいました。
しかし、思い出すと、今の日本の状況を言っているかの如くに思えます。その当時今のイスラエルに地震なんて日本みたいに有ったのでしょうか。偽予言者が現れる程、宗派が乱立していたのでしょうか。ここは、イエスが時間空間をどう見て、天国をどう見据えていたのか分かりませんが、今のこの日本の状況に当て嵌めると、何故かピッタリします。余り架空の話はしたくないのですが、これを立証化すると、イエスは未来の世界で、とある事象の落とし穴に落ちて、その時空に産み落とされた事になります。今でも、20XX年から来て、何年にこんな事件が有ったとか訳分からない話をする予言者が世界にいますが、私にはそんな未来は見えませんので、架空の話と言うだけです。
只、そう考えないと、割の合わない体験も有り、その話は機会があれば、したいと思います。又そのころは、天動説で、時間を表していましたから、三日の後に復活すると言ったイエスの言葉は仮に間違っていたとしても、今の地動説の立場のその三日は、太陽が、ある絶対座標から見て3度目に元に戻る時間になるので、あながち今の三日ではない事にもなります。

それでさっきの続きですが、マクロな天界では、きっちりとした規則、法則で説明できますが、こと人間の大きさとなると、その働きである法則、周期が当然あると思っているのですが、定かでは有りません。まして、それより小さい化学反応が作用するミクロの世界では、不確実さは、否が応でも生じて来ます。ですが、時間が定かでなく、事象が前後したにしろ、当然起こるべき事象は有るはずです。その本来起こるべき事象が、ある確立で周期を乱す事象に遭遇した場合、例えば交通事故のような、人為的事故は、どうなる事になるでしょうか。例えばこの事故が、死亡事故だった場合、亡くなって困るのは、亡くなった本人では無く、本来この人を必要としていた周りの人と言うことになります。亡くなった人の時間は止まったままです。周りの人の時間は、物理的には進みますが、当然必要とする事象の時間は、御預けになり、止まったままになるのではないでしょうか。
この場合の時間は、概念的にはどう表現する事になるでしょうか。

周期は巡って来ます。しかし、同時進行ではないので、生きてるほうは死んでる方を待たなくてはなりません。ここは、抽象的表現になりますが、具体的となると説明に自信が無いので何とも言い様が有りません。つまり、人間時間とも言える時間合わせです。でなければ、外的調和は保てません。数的には虚数と言う概念も有ります。

ここで、頭をちょっと冷やして、西暦を考えてみると、紀元前と紀元後と分かれています。日本に生まれた者に取っては、他国の暦と言ったイメージが強いのではないでしょうか。日本には天皇制による年代の表し方が今でも継続して使われているし、それで記述したところで、何ら違和感は有りません。どちらでも都合の良いように使えます。
ところが、西暦は西暦で深い意味が有って、後付けにしろ、救世主の生まれた翌年から始まっています。この暦の捉え方は、人夫々だとは思いますが、結構重要な時間軸です。天皇制では崩御した翌年から年号が変わり、新しい年号の一年が始まります。実際、西暦もそう言う意味で始まったと思いますが、新しい一年は始まりません。別段始まる必要も無いと言えばそれまでですが、通常であれば、始まりに根拠が有るので、終わりは必ずあり、終わる時には区切らなければならないはずです。終わっていないのでしょうか?終わりは無いのでしょうか?それとも、未だ終わりは来ないのでしょうか?それとも、本当はとっくに終わっているのでしょうか?
いずれかだとは思いますが、何故か随分長い年月だと思います。

さて、自動車事故のように考えれば、救世主は、周りに必要な人がいない限り、復活は意味が有りません。キリスト教が必要でない人には、意味は無いと思います。中には漠然と勧められるまま教徒になっている人もいるかと思いますが、逆に踏み絵に有って、死んだ人もいるでしょう。これが国レベルの話で、人殺しが正当化されるのであれば、もう法律は意味が有りません。裁かれるのは幕府だったかもしれませんが、それを先の大戦で、清算にしたかのようなカモフラージュは、大いなる地球の目から見れば、裁かれる対象です。西暦が未だ終わっていないとすれば、裁きは未だ終わっていないのです。とすれば、何とか復活するのを防ぎたい、無かった事にしたいと思う人もいる訳で、イエスが生まれた時に、ユダヤ王が、幼子を大虐殺したというのも、頷けます。

まあ、救世主が復活しようが、しまいが、人間の意志とは無関係に流れる時間、周期と言うものが有って、或る現象を待ち望んでいる人もいるはずです。または、それが何なのか、追求しなければなりません。でなければ、人間として生まれて来る意味は有りません。その辺にいっぱい居る、カラスや鳩と同じです。
最近意味の無い殺人事件が、続きますが、それを犯す人達の共通意識は、生まれて来るのも偶然、他人が生きているのも偶然、死んでしまうのも偶然、殺されても偶然みたいな、安易な発想が有るような気がします。勿論学校で人生の意義あるものに付いては、教育で教えると言うのは皆無に等しいのかも知れませんが、何でもかんでも教育に任せられるものでもなく、家庭だったり、地域のコミュニティだったりするのでしょうけれども、それも何か希薄になっているような気がします。

こう見て行くと、今人類が認識している時間の概念は、実に曖昧です。西暦は考えようによっては、起こりえるはずの事象迄の時間ですから、待っている時間で本当は虚数で表さなければならないはずです。つまり、マイナスの時間とも言えます。
この間の時間では、何でも有りです。懸命に生きるのであれば、最短時間で行けますが、道筋が開けなければ、時間は永遠とも思えるくらい長くもなります。

時間は全ての現象に関わって来るので、語れば切りがなくなるので、今回はここ迄です。
タグ:時間の認識
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認知症 [生命化学]

医学用語で認知症と言われるものが有ります。平たく言えば、記憶を呼び戻せなくなるか、すでに消えている状態を言うと思うのですが、これも又症状によっては色々な呼び方が有ります。私も、程度の差はあれある程度、認知症に掛かっているかも知れません。掛かった人は、掛かっている事を認知できないから、他者が認知するしか有りません。
医者に、あなたは認知症です、と言われても、それを認知できない程悪化しているのであれば、認知できません。現在の治療では、これ以上悪化させないようにするのが関の山で、直す事は将来とも不可能な事だと思います。

パソコンで喩えれば、誤ってデータを消去してしまった、と言うことでしょうか。今では確認のダイアログで、再度確認するようにユーザに促しているので、人が誤作動することはかなり無くなりました。企業等では必ずバックアップを取りますので、尚更です。が、人間の場合、物理的バックアップは、当然行なえません。復習は出来るかも知れませんが、同じ脳内です。それも出来なくなれば、認知症です。

そう考えれば、この病気はかかる前に、かからないように注意するしか有りません。iPS細胞が有るじゃないか、って言ったところで、その細胞にどうやって記憶を移植して行くのでしょうか。そんな事をするなら、子孫に遺伝子を残して行くのが自然ではないでしょうか。医療には、明らかに多くの矛盾が有り、よっぽどのミスが無い限り、司法・立法・行政が踏み込めない巨塔に守られていて、行政は無知なるが故の後押しさえしているところが有ります。生活保護者の不正診療受給もそうです。これは人間のモラルの問題なので、法で規制したところでイタチごっこです。

ここでやっと記憶のシステムの話です。人間は成長期には、多くの知識を細胞の成長と供に吸収できます。成人になれば成長はある程度止まりますから、記憶力もある程度止まります。人によっては横にも成長しますから、その後も記憶は成長するでしょう。前に人間の記憶領域は無限に近いと言いましたが、暗記した記憶には、組織だって有りますから、その記憶とある条件が一致した知識が重なった場合、前の記憶を消去するか、違う構成を組み立てて、新たに記憶するかしなければなりません。政治家を見ると良く分かります。答えが色々な質問攻めに合う度に、色々な答えを用意していて、’さっき言っていた事と違うじゃないか’と言われると、その事に対しても逃げの答弁が有るのです。こうなると、頭は肥大化します。それを頭が良いからと判断するのは支援者だけであって、無関係な人から見れば、単なる頭脳の贅肉です。
さて、贅肉は落とさなければ体に負担になります。仕事が終わった時点で、この贅肉なる記憶細胞を落とさなければなりません。又は記憶を入れ替えるかしなければなりません。こうなれば、脳梗塞か認知症です。
そうだとすると、この様な病気は社会性を伴うにしろ何にしろ、自業自得です。

又他に、環境の大きな変化による認知症も有ります。先の東日本大震災で避難所生活を送っている人達です。この災害は突然襲って来たので、記憶は未だ昔のまま残っています。家族を無くしたのであれば、受け入れたくなくても、葬式等の儀式で、徐々に受け入れなくてはなりません。ところが、生活基盤である土地、家の場合、その線引きがはっきりしません。なので、昔の記憶が残り、必ずフラッシュバックが襲って来ます。テレビ等の報道では復旧が進んでいるところを多く流しますので、そんな些細と思われる個人の変化等注視する事は無いかも知れませんが、その当事者本人が、番組の構成に誘導され、見せかけを作ろうとすればする程、脳が事実を消去、修正するのには、かなりの時間、年数が掛かります。中には、認知症に掛かるかも知れませんし、場合によっては命を落とすかも知れません。

そう考えると、医療にはある種限界があります。これも、ヒューマンガイドラインが整備されている訳では無いので、行き過ぎや、誤診は免れません。ですが、これは最小限に食い止めなけれななりません。診療の時点で、どの部分、どの時期の記憶が無いのかは質問で分かります。しかしここまで来ると、物理的機械的医療は使えません。CTやMRIとやらの検査は、受けた人なら分かりますが、体にかなりの負担が掛かります。医療は、治療のリスクを考慮しないと、返って悪化させる事体も想定されます。とは言うものの、ここまで来ると、金銭が伴う治療はできません。ヒューマンヘルパーという職業はないし、生活も成り立ちません。気の効いた言葉で言えば、ボランティアでしょうか。

3.11以降も色々な災害が有り、事件事故も有り、国会もいつもガタガタしていて、もう3.11の事も記憶から薄れて来ています。誰も大きな変化は望んではいないはずなのに、あの津波は大変化であり、あって欲しくない変化だったのに、あって欲しい変化である国政は頓挫して、悪い意味での大変化が起きています。
3.11の災害は忘れてはいけない出来事のはずなのに、忘れたい悪政は、未だに人の心に、はび込んでいます。
これは、大衆心理なのでしょうか。解決できるはずの問題を、党利党略?で解決しないで、解決が難しいからこその問題を解決しなければならない問題は、先送りか棚上げです。紙一重の違いのように見えますが、隣同士並んでいる原子では、例えば窒素と酸素は、全然違う性質です。取り違うと大変な事になります。

医療については、医療分野が分かれていますが、結構社会情勢を理解していないと、原因を特定するのには、かなり難しい事となります。それを、医師会だけの世界だけで解決しようとすると、上記の政治の世界と同じ事となり、学ぶ時間がない程医療に従事しているのであれば、人の命は預けられません。
実際私自身は、そう言う立場になったら、預けたくないと思っているので、預けたとしたら梅ちゃん先生のドラマで言っていた単なる人体実験の実験材料です。喩えで出した窒素と酸素を取り違えても、何とでも後で言いくるめられます。つまり、犯罪者にはならないのです。

余り追求すると切りがなくなるので、次は時間の認識に付いてに、挑戦したいと思います。
タグ:認知症
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ヒューマンガイドライン [原子力]

ウラン等の放射性原子は、通常鉱山の鉱床等で分裂を減じられていると思うのですが、原子力で使われるウランは、イエローケーキ状で、ジルコニウム等の容器で守られているのでしょうか。一般人には、機密情報扱いされているから、何の資料が無いのが実状でしょう。イエローケーキは酸素と結合されているので、この状態では、自然崩壊はし難いのでしょうか。wikipediaでは、溶液した場合、UO₂²⁺ というウラニウムの化学式で表されています。これはちょっと面白いですねえ。化学者が、そう決めたのでしょうか。これをそのまま解釈すれば、ウラン原子に2個の酸素原子が単(一重)結合して、残りの繫ぎ手の一つが一つずつ余って2個の繫ぎ手が有ると言うことでしょうか。しかし、資料特性で、ウランの酸化数が6、5、4、3であり、この状態では未だ、何かと結合できます。
まあ、どうでもいいか、どうせ辻褄合わせのデータですから。
第一、酸素がこのような状態だと水素か何かの原子と結合しないと安定できません。

ウランの様な重い原子は、太陽のような重い星でないと核融合で、できないとされています。太陽ぐらいでも出来ないとされていますが、世界の地殻の各地で産出されているところを見ると、宇宙から隕石としてやって来たなどと言う事は、到底信じられません。これは日本でも、やろうと思えば採掘できるのです。ただ、オーストラリアが多く発見されていると言うだけです。私の答えは、過去のブログにも書いてあるので省略します。

では、核分裂とはどういう現象なのかと考えれば、金属には自由電子と呼ばれる電子があって、比較的原子核の影響を受けない電子が有ります。これは、陽子数が少ない内は、対応する電子がはっきりするのですが、陽子が多くなって重なって来ると、電子の対応があやふやとなり、陽子が多いとプラス要素が多く働き、核に落下します。その結合で出来るのが、中性子で、それで安定となるのですが、ウランのように更に原子量が増えると、この傾向が更に強くなり陽子と中性子の対比が、92 : 143 と発電に使われるウランはなっています。
これでも、電子を増やせば、又は電流を流せばこの反応は更に進み、他に衝撃が無ければ、中性子だけになります。私の理論では、単純にこれだけで済みます。

この間条件が重なって爆発した原発は、人体の悪いとされる放射性物質が出たと言うことであれば、中性子になる前の反応ですから、どう分裂したかは、実は誰も調べられないと言うのが事実だと思います。変な話ですが、ここで新たな事実が有ります。あれだけの爆発で、何種類も有るとも言われるクォークと呼ばれる物質の話は出て来ませんでした。ニュートリノも出て来ませんでした。つまり、人間にはどうでもよい物理反応なのではないでしょうか。それを研究すると、宇宙の初期が分かるとされていますが、私には例え分かったとしても、どうでもよい話で、人間に必要なものかどうかのヒューマンガイドラインに抵触している話としか写りません。
ヒューマンガイドライン(アップルが別によく使っていた)とは、私が勝手に使っている言葉ですが、パンドラの箱と同じような意味です。

前に、重水素生成の話をしました。その時は、生命化学まで踏み込んでいませんでしたので、それで終わっていますが、生命化学では、水素は重要な神経伝達に関わる物質と言うことになっています。仮に成長期にこの物質を取り込んだとすると、間違いなく神経異常障害になります。今までそう言った話を聞いた事が有りませんが、医学会でもそう言った論説も無く、医者もその知識が無いのであれば、多分後天性精神障害で片付けられていて、表には出て来ないのではないでしょうか。他にも同位体原子が発生するとすれば、事態は爆発が起きようが、起こるまいがかなり深刻な問題ではないのでしょうか。今の時代何らかの事態が起こらないと、分からないとする事故が多過ぎて、しかも、一般人には、判断さえ出来ないような話が多いような気がします。だから国が有るのだ、と言う話も、巡り巡って一般人に返って来るのであれば、やはり、個々人が判断できないものは、やらないもの、としない限り、悲劇は繰り返されるものになります。

この話も余りまとまりの良いものとはなりませんでしたが、私は、私のヒューマンガイドラインに従って、更に物事の解明へと進みたいと思います。
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電子記憶 [物理]

電子の世界は、常識と知られているものとは掛け離れていて、私の理論ではかなり複雑です。今迄延々と述べて来た現象が、電子の世界でも起こると言うものです。例えば気象です。気象は天気予報がハズレるくらい、又は全ての地域を網羅できないくらい色んな因子が絡んでいます。電子も同じです。大気の中は、色々な原子が運動していて、その空間では光が、光の性質に従って波打っています。電子は、’そんな運動はしないでしょう’、と言うかも知れませんが、電子を1個2個と数えるのは便宜上の話で、私のイメージは、雲の様な存在です。なので、台風、竜巻と言った強風の様な現象、雷等は屢々起こりえる現象です。当然一部、今日の天気のように抜ける様な青空快晴、無風の状態も有り得ます。

電子記憶理論の場合、多くをパソコンに準(なぞら)える事が出来ます。電子と言う言葉が腑に落ちないのであれば、電気でも良いのです。電気の流れの制御と言えば、パソコンの場合、よりピッタリするかも知れません。電気も電子も電波も電子波も使われる様式、形体が違って来るだけで、同じ意味です。只、一つだけの呼び名だと、イメージが偏りすぎるので、文章の中では適材適所で使い分けるとより分かり易いと思います。

ここで、原子の大きさを、地球の大気圏を含めた大きさに拡大して巨視的に考えたいと思います。原子は、炭素原子を選びました。原子核を回っているのは12個の電子です。最外殻の電子は、情報を受け流し、プログラムではストリーミングに当たるので、3個くらい弾(はじ)きます。残り9個で記憶を預かっているとします。この電子は、陽子に近いので、ある程度粒子性があって固定値を示します。これが、ある程度の記憶と言う機能を果たす事になります。
では、この記憶を環境の変化で消去したい場合、どう電子が運動すれば良いでしょうか。電子には、反電子があって、微妙な時間のズレは有ると思いますが、丸っきりズレれば、電子は原子核に落下して、β崩壊(一般に使われない)して中性子になってしまいます。炭素の場合は、有り得ないようですが。これはこのブログの最初の頃からずっと言って来たので、問題は無いのですが、あれは、水素原子をモデルに言っているだけで、炭素はやや複雑になります。電子殻も増えますし、軌道面も増えます。つまり、地球の大気層のように層が出て来るのです。それは、今知られているオゾン層であり、宇宙の渚で仮想で言った、ネオン層でも有ります。(あの番組で期待したのは、色々あったのですが、もはや私の理論だけが一人旅です。それともこれは、確定されていた事なのか?)

ここで、雷の仕組みが役に立ちます。電子波は、五官を通して絶えず原子に降り注ぎます。なので、最外殻の電子から波に近くなり運動します。軌道が違う内部電子は、多少の変化には気付きますが、未だ固定値のままです。(何か相対性理論に近づいて来ました。)
流れて来たこの電子波には、テレビの電波同様その情報は詰まっています。後は固定値の電子に詰まっている関連した記憶を照合させるだけです。ですが、このシステムは文章的でも理論的にも難が有ります。つまり、人間内部の電子の海の中のその情報を、その人がどうやって探すのかです。Mac OSX だって探せるんだから、人間なんか、もっと簡単に探せるでしょう、と考えるかも知れませんが、そんな事誰も考え付いていないし、Mac のスポットライトも使い物になったのは、ここ数年での話で、googleの検索機能を取り入れたものかも知れませんが、これはあくまで機械の世界の話で、企業秘密でもあり、人の脳の中の検索迄、応用が利くとは謳っていません。しかし、考えついた人は、人間なので、その秘密を知っているでしょうけれど、門外であれば、その道の人に席を譲っているかも知れません。
ですが、ヒントは有ります。それは、自分がそれをやっていた時の事を、思い出す事です。又は、それを実践してみる事です。

消去したい記憶は、あるストレージに、バーチャルでもうストックされています。それに対比したい記憶を照合して、合っていればその記憶をその原子まで流します。ですが、電子は電子同士負の値ですから、軌道面が違う固定値の電子にはそう簡単には近づけません。まして、反電子が邪魔をします。そこで、電子波を強めます。すると、電荷が増え、運動が激しくなり、反電子から免れ、静電気(雷)と同じ原理で、固定値の電子に当たり、古い電子はスプライトと同じ原理で、外郭に弾かれ、持ち去られます。
記憶はこの状態で、ストックされている分が有りますから完全には消えていませんが、ストックは揮発性が強いとすれば、いずれ無くなる事になります。

他のパターンも考えられるでしょうけれども、一例の基本として考えてみました。
私ごとですが、ここまで考えるのに、頭がグラグラです。何処か無理が有ったのでしょうか?

原子内部の反応は、今考えられている理論でも色々有ります。ベータ崩壊でも二種類有り、他にも有ります。それには、ニュートリノとか出て来るのですが、光速より速いとか遅いとか、お金をかけて実験する程、重要な事なのでしょうか。速度も確定できないくせに、原子力は安全だとする見解は、私には論理矛盾です。分からないから地震や津波に堪えられる設備を作り、運転して研究材料にしているとすれば、人の生命はやはり、二の次です。

それならば、次はちょっと寄り道をして、ウランの様な放射性物質の核分裂に付いて余力の限り挑戦してみたいと思います。
タグ:電子記憶
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カラスの能力 [生命化学]

この間、スーパーで買い物に出かけて、駐車場で待っていたら、ショウウィンドウのガラスに、「カラスに注意」の貼り紙が、窓ガラスごと貼ってあって、しばらく見ていたら、カラスが現れて、餌だか何だか取っていました。ここ迄は、普通に見る光景だと思うのですが、その内カラスが自転車に飛び乗り、前カゴのファスナー付きのバックをあさり始めました。やあ、実に器用でした。ただ、バッグの口がファスナーで閉まっていたので、相当穴があく程、上口をひっくり返そうとしていましたが、諦めて何処かに飛んで行ってしまいました。何事も無かったと言うことで、誰にも報告はしませんでしたが、そう言った仕業が、カラスだったとは、店側も困惑したのではないでしょうか。

カラスは昔から、頭が良いと言うのは知られていましたが、見ていた限り、あれで羽に指でもあれば、今にもチャックを開けそうな動作でした。
過去にも線路に置き石をした犯人が、人間ではなくカラスだったと言う記憶が有ります。

鳥類では他にもオウムとか九官鳥とか、言葉返しできる鳥がいますが、カラスは格別です(オウム?気のせいか)。テレビなんか見ても、他に犬、チンパンジーと、人間並みの動物もいます。

着目したいのは、この学習能力と記憶力です。どう区別するかは、話の内容次第ですので、受け取り方も違って来ますが、学習は、卵から孵って、環境に適応するよう記憶と言う知識を、自ら再構築するとすると、私の伝えたい意図が伝えられると思います。記憶は、最初から遺伝子の中に組み込まれている物も有るし、学習によって後から記憶される物も有ると思います。

しかし、動物の場合、確かに脳と言われる部位があってそこで処理されると言うのは理解できますが、植物にはそれに当たる部位が有りません。それでも、新たなる種子には、次なる環境に適合できるように種に遺伝子を残しています。では、植物の場合の脳に当たる部分は何処でしょう。一般的には、花の雌花、雄花にある様に思えます。こう言った構造は、人間にも似ている部位が有ります。シナプスと呼ばれる神経伝達構造です。wikipediaから参照していますが、これも不十分情報として扱われていて、その域は脱し得ませんが、前細胞、後細胞で情報をやり取りすると言う物です。別の角度から見れば、その伝達物質が良い物か悪い物かを判断して、良い物だけを取り込む(選択)機能を果たしている、と言えます。

ここ迄来ると、ある種の矛盾を感じます。植物でさえ脳がないのに、思考らしき事をしているように思えますし、増してカラスは大して脳みそなんか無さそうなのに、人間の行動を観察して、自ら学習し、生活に役立てています。
それに比べ人間はどうなのでしょう。子供の頃から保育所、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院、研究所と一生の内でもかなりの学習をします。又はさせられます。その割には、多くの人はその学習を活用していない、又は出来ていないとしか思えません。大体脳の大きさを比較すれば、分かります。生活の知恵なんかは、カラスの脳の大きさが有れば足りると考えないと、矛盾を生じて来ます。勿論人間の社会は、より複雑ですから、その分は考慮しなければなりませんが、それにしてもです。
人間として生まれて来て、この不甲斐無さは、何処から来るのでしょう。人間の人口は、カラスの比では無いはずなのに、何故こうも非効率的なのでしょうか。
人間社会に生まれて、人間らしさを求めていたら、何時しか犯罪の世界に巻き込まれ、犯罪者扱いされ、ナリスマシで社会に溶け込んで生活しなければならない人間が出て来る社会って、社会なんでしょうか。ナリスマシだけなら、カラスの知能が有れば、姿形は人間ですから出来るでしょう。それと、一般人と大して区別できないと言うのであれば、一般人って、何なんでしょうか。
あれ程の、監視カメラ、似顔絵の手配チラシを行き渡されていて、捕まらないこと事態、よっぽどの知能が有るとしか思えません。つまり、今の社会は、社会の中で育まれる学習能力を生かしきれず、ケイ素のようにその中で悪さをする人間をも育てていると。

経済学者を批判する訳ではないですが、人間の優劣をお金で判断するのであれば、犯罪者と呼ばれるOOさんも、私より優秀です。しかも、何十万倍もの資金を持って逃走しているとか、頭が下がります。が、私自身は、事の善悪がそのお金だと思っているし、学問と金銭は相容れない物と思っているのでどうでもよいのですが、そう言う意味から言えば、お金に固執している人は、OOさんと大した区別が出来ません。ただこの人は法律と言われる物に、触れてしまっただけです。

こう見て行くと、人間の頭脳は、遊んでいます。遊んでいるどころか、大人になって返って退化しているんじゃないか、とさえ思える事象も有ります。
これは、今の学習が学ぶ本人とミスマッチしているか、元々、掛け離れた教材だと思わざるを得ません。また、私が調べて、これ程解決していない問題が山積みなのに、大した解決した話を聞きません。まるで政治の話と同じです。アインシュタインの言葉を借りれば、疑問を疑問と思わなくなるのであれば、死んだも同然だ、です。

話を元に戻すと、脳を持たない植物は、何処に記憶しているのかと問えば、私には電子以外考えられません。拡張して組織細胞としての記憶域としたとしても、根本はそうです。そうだとすると、人一人無限とも言える記憶域が有ることになります。それが、内的一致と外的調和を保ちながら、存在すると言えると思います。

いよいよ電子記憶の確証が得られて来たので、これを拡張しなければならなく成りました。
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イオウの性質 [生命化学]

硫黄については、周期表から見れば酸素と同じ族ですから、性質としては人間に対し悪さはしないように思えるのですが、イオウ臭とか体に悪いイメージが有ります。この臭いの原因は硫化水素(H₂S)で、他には、孵卵臭とか有りますが、ここでもまた、卵の成分には含まれない事になっています。また、硫化水素は、有害ガスとされています。硫黄の化学反応式は、よく調べると、酸素と置き換えれば殆ど成り立ちます。と言う事は、燃焼しそうですが、一周期違うと、そのような反応が鈍くなるごとを考えると、火山噴火で出る火山性ガスもさることながら、溶岩等に多く含まれそうです。
では、臭いは何処から来るのでしょう。H₂O, O₂, CO₂ は、臭いはしません。自然と体内に取り込んだり、排出しています。ところが、H₂S, S₂, CS₂ は、臭いで取り込むのを防いでいます。ここは単なるトリックで済ませましょう。人間の臭覚には、気体を選り分ける判別機能があって、鍵穴が会わない時、異物と判断された時、取り込まないよう機能する。それを臭覚と言う、とすれば、一種錯覚が無くなります。
では何故硫黄は人間に取って、害が有ると言えるのでしょう。これは意外と難しい問題です。バリウム検査で使われるバリウムとは、硫酸バリウムが主です。化学式では、BaSO₄ です。イオウが含まれていますが、検査が原因で事故が発生したとは聞きません。また、バリウムは、単体では放射性物質であり、騒がれているセシウムより重い物質です。セシウムはヨウ素と結合すれば、人が取り込んでも排出できます。同様に硫化バリウムも排出します。バリウムは同位体が沢山有るので、今のところ何とも言えませんが、しかし、どちらも、安全とは言えない物質である事に変わりは有りません。検査は、たまにだから、何とか凌いでいますが、健全な人間には、不健全な処作だと思います。

と言う事は、イオウはどちらかと言うと、毒素を排出する機能も有ると言うことではないでしょうか。つまり、多少は取り込んでおいた方が、健康にはいつか役に立つと。これなら、ニワトリがイオウ分を含んだ食べ物を食べても大丈夫で、卵に含まれていても不思議では有りません。問題は気体として肺から取り込んだ場合です。これを酸素と区別できない肺は、間違って血液を通して体中を通します。酸素より重いイオウは、心臓の負担となり、やがて支障をきたすと。

私の結論としては、死に至らしめる細菌の原因物質は、原子レベルでケイ素となりました。食べ物の場合よく火を通すこととされますが、逆から考えれば、ケイ素が活動できる空間を無くす、又はあらかじめ、他の化合物と結合させておけば、大丈夫だと言えます。私は、生肉を食べた事が無いので、今迄、そんな注意が必要だったとは、考えた事も有りませんでした。

今日もニュースで言っていた気がしますが、牛乳はどうでしょうか。これには、過去にひどい目にあった事が有り、紙パックごと飲んでしまったので、さあ大変。
しばらくして腹痛となり、息が出来ない程で、天上が回り出しました。何が起こったのか分からず、救急車を呼んでしまったのですが、吐いたら収まりました。当然吐いた中身は牛乳でした。牛乳の場合、滅菌処理はされているとは思いますが、どんな場合でも、完全なる行為は無いと思いますので、運が悪けりゃ、そんなもんと、自覚するしか有りません。でなければ、食べる物が無くなります。

では、野菜類はどうでしょうか。これは、ある程度見た目で判断できるのだと思います。光合成には必ず水が必要です。なので、出荷された野菜がまだ活動しているのであれば、水が無いので変色します。通常、口にするのは、変色していない物で、その状態であれば、悪玉菌に未だ変化していなく、体に入ってしまえば、活動が出来ませんので、安全と言うことになります。

では、魚の刺身は大丈夫なのでしょうか。
常識として、刺身は鮮度が命です。その日捌いた物であれば、当然大丈夫だろうし、食べ慣れている日本人なら、味覚で判断できるのではないでしょうか。まあ、そこは、その手のプロの意見の方が優と思います。

ざっと、意見を述べて来ましたが、これから夏場注意したいものです。
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