中枢神経 [生命化学]

人間の記憶について、調べると曖昧さが邪魔して来るので、自論で構築するしか有りません。この場合パソコンと比較しながら考えるのが、楽そうです。一番最初無も状態で、CDから立ち上げるのであれば、記憶媒体のフォーマットから始まり、すべての数字によるアドレスが決まります。その後コアとなるOSが読み込まれ、RAMのメインメモリーに移されます。読み込んだ中身をユーザが覗ける様に、ファインダーと言うアプリケーションが起動して、ディスプレイを通して映し出します。後は、キーボード、マウスでのユーザの操作を待ちます。
パソコン自体五官は持ち合わせていませんが、ユーザのための五官はUSB等からソフトを介して、ユーザに伝える事が出来ます。当り前のようですが、そうやって対比しないと、後でコンガラガってしまいそうです。

人間の場合、初期化は両親から受け継がれた遺伝子と言うことになり、アドレスは有りませんが、位置はそれぞれ違いますから分かるはずです。
そこで、取り敢えずそれを認識し制御している部位を中枢とします。それを伝達しているのが神経とすれば、それに対応するのが塩基と呼ばれる水素と窒素原子の電子波による伝達です。とすると、爪は切っても痛みを感じませんから、塩基は入っていない事になります。調べてみましょう。
爪の成分は、タンパク質であるケラチンとあり、ケラチンはアミノ酸の一種で、代表的には、RCH(NH2)COOH のようです。窒素が無い訳ではないですが、絵で見れば分かるのですが、直接中枢迄は繋がらない結合になっています。まあ、大体どちらも合っていると言うことで、納得するしか有りません。

ここで問題です。人がけがをした時、例えば足を血だらけになるほどケガをしたら、痛い痛いと感じます。ところが、痛いと感じているのはケガをした足なのでしょうか。直感的に考えて、神経が中枢迄行って伝達していると考えられます。しかし、考えようによっては、神経は変化した状態を伝えてるだけで、痛みと言うより、機械的に次ぎなる処置を待っていそうですが、どうでしょうか。パソコンならユーザにメッセージを促して、次なる処置を待つように、ではないでしょうか。
何処がどう違うか、説明できるでしょうか。但し、コンセントにフォークは差さないように。
マックの場合、GUIで教えてくれます。例えば、ウインドウズのソフトの場合、古いバージョンのソフトの場合、欠陥ソフトの場合と教えてくれます。
これは、開発者がそれを予期してソフトに組み込んでいるからです。
では、人間の場合、痛いと言う反応がどう伝わりどう処理されそう言った行動をとらせるのか、これは、私も自信が無いですが、中枢の中に怪我をする前の正常な足が無いと、比較対象になりません。複製されているバーチャルな足、または、エイリアスと言う考え方です。中枢では、変化した足の情報を元のバーチャルな足と比較して、異常を各系統にメッセンジャーとして伝えます。
こう考えれば、私としては、ある程度納得行くのですが、どうでしょうか。

どうあれ、そうやって進めると、万能細胞とかは、理想の細胞なのかも知れませんが、もし、バーチャルな部分も無くなった場合、例え自分自身の細胞の分身とは言え、異物と見なす事になります。
これも、実験や医術で検証は出来ません。踏み込んでは行けない世界です。

話を戻すと、パソコンの場合ROMの所在は、はっきりしていますが、人間の場合、何処かと言うのは、はっきりしません。脳とした漠然としたことを言われても、毎日記憶された脳が、朝起きて、そのまま目覚めて全ての記憶を呼び覚ます訳ではなく、何かに反応して隠れている記憶を呼び起こしていると言う感じでは無いでしょうか。なので、電子記憶と言う理論を仮定したのですが、そう仮定すると、電子が基底状態でいる場合の記憶を呼び出すのに、励起状態まで引き上げなければなりません。これには、ちょっとしたメカニズムか、新しい理論が必要かも知れません。
だいぶ先になるかも知れませんが、色んな知識を検証しながらでないと、うっかりした事は言えませんので、ご承知願います。では。
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ストーリーとしての理論 [雑学]

生命化学の一端だけを細かく調べて行くと、どうしても大局を見逃しがちです。原子レベルから覗くのが一番正しく判断できると思うのですが、そうやって調べても、ネット上では繋がりません。多分色々な人が、色々な立場で考え発表し、名前をつけているので、半分くらい何処かに言ったピースと、バラバラなピースが有るだけで、未完成なジグソーパズル状態なのだと思います。平面だけなら未だ良いのですが、これは、3次元のルービックキューブの上を行く、4次元の世界であり、それが上手く行けば5次元迄拡張できます。

私の理論は、もうビジョンが出来ており、ストーリーも大凡出来上がっています。
今思えば、アップルの創始者スティーブ・ジョブスもそうでした。最初の頃、日本では余り見向きもされませんでしたが、彼も良くストーリーを持ち出していました。
彼が作ったOSには、GUIは勿論の事、コピー、ペースト、エイリアス、セーブと言った基本操作がすでにあり、今の原型はその当時とある意味変わりません。
今でこそ、日本でも使われ出していますが、当然日本企業も黙ってはいませんので、対抗機を作っています。宣伝もド派手です。しかし、抜けている面が多々有ります。真似できないと言うか、追いつけないと言うか。
それは、ストーリー性です。Jobsの生き方は、その製品に如実に現れており、経営方針も誰も真似できない程、創始者としての神髄を表しています。戦後の日本では、’松下’がそうだったか知れません。良い製品を世に送り出すために、自分自身の寿命をも早め、金銭など投げ打っています。彼の死後、iPadの製品も日本製品かのごとく売れています。私自身は、彼の死後アップル製品は買っていませんが、彼は死後もアップルを引き継ぐ従業員やユーザを考えて振る舞っています。
それに比べて今の日本の経営者はどうでしょう。景気が悪いのをいい事に、後継者のために大したノウハウも残さず、資産を温存したまま、諸外国に逃亡(海外移転)ですか?そう考えればデフレ脱却など容易ではないのが分かりそうですが、経済学者だか何だか分からない人が、平気で使っています。若者がちゃんと働けばお金が回り出し、経済も良くなるのだと。
その理屈だと、東京スカイツリーなるようなものを、全国に54塔も作れば、景気が良くなるんですかねえ。嘗て何かそのような数のものを作った記憶が有りますが、今どうなっているんですかねえ。

ここで端と思い直しました。アップルのOSは、生命化学に準じて作られている様な人間に優しいオペレーティングシステムだと。悩んでいた答えが目の前の使っている機器にあったとは、灯台下暗しでした。RNA(リボ核酸)を調べると、結構、コンピュータ用語が飛び交います。メッセンジャー、トランスファー、変換、翻訳、ノンコーディング、転写(コピー)…、とかなりあります。
機械と人間との違いはと言うと、エネルギー源が電気と食料の違い、構成要素が、無機物と有機物の違いで、根本的には電子波の情報処理と言うことで頭脳的には、さして変わりません。又記憶力では機械の方が圧倒的に優れ、消去も可能です。記憶の方法は、半導体物質のオン、オフで、個体性、液体性で分かれます。
当然機械には意志なるものは有りませんが、人間は意志が有るとされています。前に書きましたが、私の理論では、人間にも意志がないとしていますから、一般的には食い違うかも知れませんが、これも同じです。

ではここで疑問です。人間は何故、機械の様に正確に記憶できないのでしょうか。
それは、機械ではないから、と言う人はすでにコンセントにフォークを刺しています。私は電子記憶で、人間は記憶しているとしました。しかし、ネット上では曖昧にしているか、的が外れているか、全然触れていません。何らかの長文の解説は有りますが、氷山の一角ならぬ、角砂糖の様な気がします。
何処迄、定理、原理、定義で掘り下げ、区分すれば合理的、論理的に思考できるかは、世界のトップに君臨した者にしか分かりません。これは、名誉や、権威や階級とかの意味でなく、上り詰めた者にしか見えない景色が確かに有るのです。なので、自己判断しか有りませんが、今迄もその仮定が覆され、破られて来ても、そう容易く起こりえる事でもありません。

話は違いますが、英才教育と称し、高校2年で飛び級を許し、大学に進学できる制度が始まるとか。それは、世界では当り前であり、速く世に出れば活躍がし易くなる様な話で、大学の入試制度も、論理的に考える生徒の育成に着手する様なことを言っていたと思います。建前は良いのですが、本当にそれで上手く行くでしょうか。
私も若い頃、大学って何のために有るんだろうと悩んだ事が有りました。試験制度って何なんだろうとも、悩みました。今の結論は、そもそも今のままの学問では矛盾があり、訂正や未知、未開発、未発見な分野が有るから4年以上も掛けて研究するのだと思うのですが、どうも、問題がすれ違っているとしか思えません。そんな学生など皆無なのです。私はその矛盾を解決できなかった脱落組ですが(だからって学生デモをする訳無いじゃん。)、諦めていたでもありません。本当は今頃草葉の陰で、勝ち組のすばらしい社会を羨み、すばらしい人材で溢れているはずだった事を若い頃想定していたのですが、今社会を見ると、何故かそう成っていません。

一重に、自分の保身のために、後から来る人間に地雷もどきを仕掛けて、問題を解決し難くしていると。

私が感じるところでは、テレビでも本でも、日本人が、論理的に展開し、解決したものに出くわした事が殆どありません。日本人が万能細胞を発見したとかの話を聞きますが、そんなもの有るのでしょうか。論理的に考えても考えられません。でなければ、このブログもダウンして、とっくに閉鎖しているはずなのですが、話題が何故か途切れ無いどころか、山積み状態です。最初の頃言っていたのですが、最初から大胆な話から始まり、論理矛盾すれば真っ逆さま空から墜落して終わるような覚悟で言っています。しかし、今のところ基本的なところは、今でもそう思っているし、自己判断ですが、矛盾しません。それは、どのグループにも所属しなかった、していないから可能だったと思います。つまり大学が有るからそう言う人間が育つのではなく、そう言う人間の妨げを防ぐ環境を提供する大学が有るから、より良い成果が得られる。そうではないのでしょうか?これは、消費税増税の前にやるべき事がある、と言う話に似ていますが、今の世の中、味噌も糞も一緒になっているのに、食べてみないと分からないところがあって、気付いた時には遅かった、と言う話が、最近多々有ります。もし仮にiPS細胞があって、それを培養で生かしておいて、病気になった時に、交換再生できるのであれば、切れたトカゲの尻尾がまた生えて来るが如く、自己保存本能の方が強いと思うので、自然治癒力で再生するのではないでしょうか。
記憶の話に戻りたいのですが、次回にします。

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