カラスの能力 [生命化学]

この間、スーパーで買い物に出かけて、駐車場で待っていたら、ショウウィンドウのガラスに、「カラスに注意」の貼り紙が、窓ガラスごと貼ってあって、しばらく見ていたら、カラスが現れて、餌だか何だか取っていました。ここ迄は、普通に見る光景だと思うのですが、その内カラスが自転車に飛び乗り、前カゴのファスナー付きのバックをあさり始めました。やあ、実に器用でした。ただ、バッグの口がファスナーで閉まっていたので、相当穴があく程、上口をひっくり返そうとしていましたが、諦めて何処かに飛んで行ってしまいました。何事も無かったと言うことで、誰にも報告はしませんでしたが、そう言った仕業が、カラスだったとは、店側も困惑したのではないでしょうか。

カラスは昔から、頭が良いと言うのは知られていましたが、見ていた限り、あれで羽に指でもあれば、今にもチャックを開けそうな動作でした。
過去にも線路に置き石をした犯人が、人間ではなくカラスだったと言う記憶が有ります。

鳥類では他にもオウムとか九官鳥とか、言葉返しできる鳥がいますが、カラスは格別です(オウム?気のせいか)。テレビなんか見ても、他に犬、チンパンジーと、人間並みの動物もいます。

着目したいのは、この学習能力と記憶力です。どう区別するかは、話の内容次第ですので、受け取り方も違って来ますが、学習は、卵から孵って、環境に適応するよう記憶と言う知識を、自ら再構築するとすると、私の伝えたい意図が伝えられると思います。記憶は、最初から遺伝子の中に組み込まれている物も有るし、学習によって後から記憶される物も有ると思います。

しかし、動物の場合、確かに脳と言われる部位があってそこで処理されると言うのは理解できますが、植物にはそれに当たる部位が有りません。それでも、新たなる種子には、次なる環境に適合できるように種に遺伝子を残しています。では、植物の場合の脳に当たる部分は何処でしょう。一般的には、花の雌花、雄花にある様に思えます。こう言った構造は、人間にも似ている部位が有ります。シナプスと呼ばれる神経伝達構造です。wikipediaから参照していますが、これも不十分情報として扱われていて、その域は脱し得ませんが、前細胞、後細胞で情報をやり取りすると言う物です。別の角度から見れば、その伝達物質が良い物か悪い物かを判断して、良い物だけを取り込む(選択)機能を果たしている、と言えます。

ここ迄来ると、ある種の矛盾を感じます。植物でさえ脳がないのに、思考らしき事をしているように思えますし、増してカラスは大して脳みそなんか無さそうなのに、人間の行動を観察して、自ら学習し、生活に役立てています。
それに比べ人間はどうなのでしょう。子供の頃から保育所、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院、研究所と一生の内でもかなりの学習をします。又はさせられます。その割には、多くの人はその学習を活用していない、又は出来ていないとしか思えません。大体脳の大きさを比較すれば、分かります。生活の知恵なんかは、カラスの脳の大きさが有れば足りると考えないと、矛盾を生じて来ます。勿論人間の社会は、より複雑ですから、その分は考慮しなければなりませんが、それにしてもです。
人間として生まれて来て、この不甲斐無さは、何処から来るのでしょう。人間の人口は、カラスの比では無いはずなのに、何故こうも非効率的なのでしょうか。
人間社会に生まれて、人間らしさを求めていたら、何時しか犯罪の世界に巻き込まれ、犯罪者扱いされ、ナリスマシで社会に溶け込んで生活しなければならない人間が出て来る社会って、社会なんでしょうか。ナリスマシだけなら、カラスの知能が有れば、姿形は人間ですから出来るでしょう。それと、一般人と大して区別できないと言うのであれば、一般人って、何なんでしょうか。
あれ程の、監視カメラ、似顔絵の手配チラシを行き渡されていて、捕まらないこと事態、よっぽどの知能が有るとしか思えません。つまり、今の社会は、社会の中で育まれる学習能力を生かしきれず、ケイ素のようにその中で悪さをする人間をも育てていると。

経済学者を批判する訳ではないですが、人間の優劣をお金で判断するのであれば、犯罪者と呼ばれるOOさんも、私より優秀です。しかも、何十万倍もの資金を持って逃走しているとか、頭が下がります。が、私自身は、事の善悪がそのお金だと思っているし、学問と金銭は相容れない物と思っているのでどうでもよいのですが、そう言う意味から言えば、お金に固執している人は、OOさんと大した区別が出来ません。ただこの人は法律と言われる物に、触れてしまっただけです。

こう見て行くと、人間の頭脳は、遊んでいます。遊んでいるどころか、大人になって返って退化しているんじゃないか、とさえ思える事象も有ります。
これは、今の学習が学ぶ本人とミスマッチしているか、元々、掛け離れた教材だと思わざるを得ません。また、私が調べて、これ程解決していない問題が山積みなのに、大した解決した話を聞きません。まるで政治の話と同じです。アインシュタインの言葉を借りれば、疑問を疑問と思わなくなるのであれば、死んだも同然だ、です。

話を元に戻すと、脳を持たない植物は、何処に記憶しているのかと問えば、私には電子以外考えられません。拡張して組織細胞としての記憶域としたとしても、根本はそうです。そうだとすると、人一人無限とも言える記憶域が有ることになります。それが、内的一致と外的調和を保ちながら、存在すると言えると思います。

いよいよ電子記憶の確証が得られて来たので、これを拡張しなければならなく成りました。
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