鏡写理論 [科学]

日本が持つの脅威の中に、よく北朝鮮の話題が登ります。拉致事件から始まり、核ミサイルだか、人工衛星だかの脅威だそうです。しかし、私は、そんな風には見ていません。北朝鮮を悪の枢軸とか言って、日本では、あんな悪い国が有ると言わんばかりでしたが、何時だったか重要な会議の時は、日本は蚊帳の外だったと記憶しています。つまり、アメリカ等は、北朝鮮を日本と比べてそんなに悪い国とは、思っていないし、アメリカはアメリカの思惑が有るだろうし、日本人として見れば、戦前、戦後の状況を鑑みなければ、事の発端は判断できないと言うのが、真相ではないのでしょうか。
と言うよりも、私の学校での過去の教育において、朝鮮の歴史は殆ど記憶にないし、日本が戦争に負けたのは資源がなかったからと言う話しか聞いていないし、その辺は実に曖昧であり、たかだか二三十年前の歴史は、遠いお伽話のように記憶していました。なので、歴史を本当に学び、理解し出したのは、社会人に成ってからです。それも、ずっと後からです。そうすると、今迄ずっと偏見で見ていたの分かり、世界の情勢も、明るく成りました。と言うより、元々理性ある人間として生まれて来た人間は、嘘は受け付けない人間に生まれて来るのだと思います。
それは、どの国に生まれても、程度の差はあれ、言える事だと思います。因に歴史の試験は、OXを除いて0点です。特に日本史は、ことさらです。

そんな私の目から北朝鮮について言える事は、冷戦に巻き込まれたとは言え、日本のような敗戦は経験していないと言うことです。つまり歴史観としては、彼らの方が正しい認識が持てているとも言えまし、彼らには戦争は終わっていないし、現在進行形で、経済は卑しい行いで、二の次なのです。そう言う教育はしていないとしてもです。遺伝子は、嘘を隠しきれませんから。なので、北朝鮮を脅威と感じた事は、一度も有りません。寧ろ、今の北朝鮮の軍事行動を見ると、過去の日本の軍隊もそうだったんだろうなあ、と思わずにいられません。今の連合軍とマトモに戦って勝てるわけがないのに、軍備だけは貧しい庶民を置き去りに、枝葉を張っています。嘗て日本もそうだったと思っています。報道の気を引く格好の材料だとして、それを今は脅威だと教え込まれています。私自身から見れば、北朝鮮は、同じアジア人であり、隣人です。喧嘩や罵り合いは有ったとしても、兄弟喧嘩のようなものとして受け止めるのが大人の付き合いです。

と思ったところで、かねがね表現に苦しみ踏み込めないでいた物理現象の喩えに使える事象だと気付きました。
それは、単的に言えば時空が織りなす、人間の存在です。と言って、言いたい事が想像できるでしょうか。ここ迄来ると多分オカルトと言うかも知れません。しかし、どんな職業にしろ、人間として存在するには無視できない事だと、私は思っています。とは言え、今生きている人全てに必要と言うわけではなく、極限られた、その苦しみに悩んだ人だけにです。特に精神医療に携わる人には、一読を進めたいところです。

突然、靖国神社の話をしますが、英雄戦犯として奉られている彼らの魂は、今どこに行ったのでしょうか。私の理論上、地球の時空を有する限り因果応報、そう容易く地上からは消滅できません。当然日本は戦争できない国となりましたので、日本では受け入れられません。今の日本人の遺伝子は、その当時の遺伝子を消去したところから始まりましたので、電子波は、国外追放となります。それが、北朝鮮に忍び寄ったとすると、丁度今の北朝鮮の姿が、過去の日本人の姿と時空を超えて鏡写しとして存在できます。別の言い方をすると、北朝鮮は鏡に映った過去の日本人と言うことになります。まあ、これには、多分多くの人が納得しないし、狂気地味ていると思うでしょう。ですから最初にオカルトと断ったのです。今日本は国際化が進み、ネイティブな日本人も減っていますから、全てが当てはまるわけでは有りませんが。

まあ、それで北朝鮮からは、離れます。日本の隣国と言えば、他に韓国、中国、ロシア、台湾、フィリピン、ベトナム、インドネシア、パプアニューギニア、太平洋を跨げば、アメリカ、カナダ、メキシコ、ペルー、チリ…と余り交易がなく、知られていない国を入れれば、結構沢山有ります。日本は狭い国とは言え、南北に長く、海を隔てて一番近い国と自由に交易を開く事が出来れば、地方間の格差は是正されるのですが、今の日本の経済事情を見ると、発展している地域を見れば、何処と交易を盛んにしているかが、良く分かります。つまり非効率的な随分偏った貿易をしているのです。ここで、時空の鏡写理論を適用してみましょう。色々なパターンが考えられますが、まさに日本は混在することになります。日本自体は単一民族で統一国家のように、思われがちですが、遺伝子的には戦後かなり色々な因子が入り込む形となっています。これを一つに纏めること自体、自然の摂理から言って無理が有るわけですが、今のところは、上手くいっています。その代わり、犯罪も絶えなく成りました。どの国もそうでしょうけれど、一国を上手く治められれば、世界も治められます。なので、主従関係で言えば、自ずとなるのですが、そんな国が存在したと言う話は聞かないし、今でもあるわけでは有りません。内紛は今でも絶えないのです。

そこで、時空の鏡写理論をもっと個人レベルで見る事にすると、自分自身の存在は、鏡のように写るもの、比較するものがなければ、存在すら気付きません。
ここで、気付かなければならないのが、本物の鏡と言えども、写った姿は、過去の自分です。微小と言えども、科学的には、光の反射なので、距離がある以上時間は経過します。
これが、対面している鏡であれば、自分だと分かります。しかしどうでしょうか。万華鏡のような鏡だと、別の角度からも写りますから一瞬あれ、自分かなと思う事はないでしょうか。このくらいであれば、ちょっと考えれば、ん〜この視点だとこう見えるのかあ、と気付くでしょう。しかし、今度は鏡が大部離れていたり、レンズ状だったり、凸凹だったりすると、中々見分けが付きません。

私も、今迄色々な現象を説明して来ました。しかし、説明し尽くせない事も有り、表現も拙い事も有るかも知れませんが、これが最も理解し難い現象です。まさにこのために今迄説明して来たと言っていいくらいの難解さです。

言ってしまえば、本当は自分自身だったのに、時間の経過や環境によって、他人になってしまうのです。ここはじっくり時間をかけて論じないと、本旨を見失ってしまいますので、次回に廻します。
タグ:鏡写理論
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。