バーチャルの世界 [科学]

過去のブログ中に、人の脳の中にある中枢と言う部分を使いました。その中でバーチャルが無いと説明が付かないので、仮にバーチャルの世界を持ち出したのですが、この世界とはどんな世界なのかには何も触れていません。そもそも在るのか無いのかさえ、検証していませんでした。まあ、都合が良かった事だけなのですが、その事がずっと気になって、悩んでいました。
その時には、過去の偉人達が残した書物や背景を紐解くのが、手っ取り早いのですが、さして参考に成るものが有りません。そこで、ニュートンが考えていた、絶対空間を流れるエーテル成るもの、老子が使っていた、天の網、イエスの時代背景を総合して考え直してみました。

今では、そう言った問題は解決済みに成っていて、誰も考え直そうとは思っていないはずですが、出鱈目なルールでは、デタラメな社会しか出来ないと言うのが、今の社会を見れば歴然なので、私自身がそうならないためにも、考え直すのは、又は検証するのは、当然の結果です。国の在り方が、縦割り行政で済むんであれば、今頃被災地は、復興の兆しが出ているはずです。

ニュートンは、光が波であれば、その媒質が当然有って、それをエーテルとしました。理論上そうしないと、説明できません。しかし、エーテルは探そうとしても見つかりませんから、光は粒子だとしました。しかし、これだと、波としての光の性質が説明できません。このままだと、論理矛盾です。
でもちょっと待って下さいよぉ、これは、星々の運行を説明するために出て来た問題で、ここで抜け落ちているのが、人間の思考の上で、その何かを仮定しないと、脳の中で、思考できない何かが有るから出て来た問題でもあります。ニュートンは科学者でありますが、敬虔な信徒でもあります。逃げ道としては、神の計らいにすれば、それでも済んでしまいます。解決できなければそれが、思考の停止で、言ってみれば寿命です。

老子の天の網とは、どういう意味だったでしょうか。この場合の天とは、天下の天でしょうか、天国の天でしょうか、天気の天でしょうか。定かでは有りませんが、どちらとも取れます。ただ、私なりに捉えれば、地上より遥か高い世界では物事を斉一に捉える、慣らされる網の様な機構がちゃんと有って、無秩序ではない、と考えています。

この二つの事を会わせ考えると、人の中枢脳をコントロールしている何かが有って、何人も逃れられぬものに、支配されている、又は、人として逸脱しないようにヒューマンガイドラインが設定されている、と取れない事も無いはずです。
しかし、人間を支配しているのは、時として自然ばかりでは有りません。時の暴君だったり、形骸化した官僚制度だったり、独裁君主だったり、植民地と化した占領者だったりと、様々です。その方が楽な場合も有りますが、その場合では、自然を理解、追求する心は失われ、事有る事に翻弄されるだけです。

では、イエスの場合を見てみましょう。歴史を調べると、彼が生きている間、他の歴史上の人物で、表立って現れている人物が居ません。探そうにも資料が無いからかも知れませんが、何故か見当たらないのです。かと言って、他の民族が居なくなったと言う意味では無く、目立った台頭が無かったと言う意味です。
この時のローマ帝国は、地中海周辺を含む領土が絶大な時期を迎えていたとは言え、英雄らしき人物は居ません。マヤ文明は資料には登場しませんが、未だ繁栄期ではないと記憶しています。
さてこうなると、人々の脳を司っていると思えるこの何かエーテルのようなもの、
天の網みたいなものは、どうなるのでしょうか。他の功労者である英雄は、葬られていますから、「いと高きところのもの」は、一人の人間に一手に宿った事には成らないでしょうか。
通常は、誰彼に分配され、一つには成らず、人はそのために行動が定められているはずのものです。

ここで、これが本当ならば、宗教を吟味する方法が生まれます。今世界を騒がしている宗教のイスラム教はどうでしょうか。西洋では、暗黒の時代に生まれた宗教と言うことに成っており、西暦600年頃としました。元々、資料が正確だとは誰も立証できる事ではなく、正確な年代は、試験問題だけで結構ですので、時代認識が出来れば十分です。
この時の予言者ムハンマドに対する、歴史上の人物も居ない様な感じはしますが、新しい国々が続々出て来る時代でもありますし、マヤ文明も繁栄して来ており、今の中国も唐として、存続しています。私に言わせれば、イスラム教は、自民党から分かれた民主党みたいなもので、数合せで対抗しようとし、その上を行こうとしたけれども、結局自民党以下に成ってしまった、みたいなところが有って、科学的説明も出来ません。これこそ科学とは無縁の宗教です。とは言え、二輪草とトリカブトが存在するように、否定はしません。
ここで見落として行けないのが、日本の歴史です。逆に日本では濁った雫が落ちます。壬申の乱です。年代は離れているように見えますが、不穏な動きは前後しますから、同じ様な時期と言って良いのだと思います。この乱は、天皇制の根幹を揺るがす事件ですから、日本史上重要と位置付けしているのですが、これも曖昧で片付けられています。しかし、ここ迄の世界の歴史を見て行くと、国の乗っ取り加減さは、似ており、何処か連動しています。

話が、大部又逸れてしまいましたが、イエスがその立場に立っていたとすれば、相当高いところに存在します。今見えている人間が、見通せたに違い有りません。こうなれば、向かうところ敵無し、我のみです。さて、この時の天の状態は、有るべき人間の真の姿を掲示する事に成ります。つまり、バーチャルな本当の姿です。それは天からの授かり物であり、借り物です。故に、イエスがそれに一番近づいたと言えると思います。一旦型が出来れば、例え分配されたとしても天が計らいをします。分配され、それを認識できれば細胞にも遺伝子として記憶されます。

さて、この型とは何でしょうか、ですが、人の体の中に無いものとすれば、後何が有るのでしょうかですよねえ。今迄いっぱい論じて来たブログの中に、実は未だ有ります。それは、地球が作り出している、電子の海です。地球を一つの原子核と見立てた電子です。人も大地の一部と見立てられますから、体が有する電子の他に、大きな電子が覆い被さっている事に成ります。幽霊みたいな存在には成りますが、それは、有せる人体を瞬時に探して、取り尽くすように、存在し続けます。また、直接目には見えませんが、光が多少変化しますので、分かる人には分かるかも知れません。

では次は、補足と分配された後の運動、行動、運命に付いてです。
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