地球の末路と火星 [科学]

あれから色々迷った末に、辿り着いた一つの結論に、火星にかつて生物が存在していた可能性が出てきた、と言う現実味の無い様な、理論として成り立たない様な結論が出て来てしまいました。
私はそう言う話は、好みでないし、どちらかと言うと嫌な話になるのですが、そうした方が、地球での未知の出来事を、上手く説明できる現象も有り、今は生物が生存できないとしても、遥か過去の事は誰も未だ検証はしていないし、かなり難しい事も有るので、課題にすると堂々巡りのパンドラの箱になるので止めますが、では何故その結論が出て来たのかの説明です。

考えていたのは、星の内部の構造と地殻の物質に付いてでした。太陽は太陽系の主星なので、地殻は未だ存在しないとしても、さて、太陽の中心部の物質は何で出来ているのか、考えると、常識として知られているのは、太陽は核融合していて重い物質で出来ているとされています。それも考えられる一つの理論だとは思うのですが、それで考えると、地球はそれが成立し難い星なのです。これは前から不思議と思っていた事象なので、調べてはいたのですが、いまいち納得がいきませんでした。と言うのは、地球の表面と言える地殻には、核物質と言った重い原子がかなり有ります。それは、流星が運んできた事になっていて、元々地球には無かった物質となっています。そうだとすると、少なくとも流星が落ちて来た痕跡が、何処かで見つかる筈なのですが、見つかっていません。海に落ちたのであれば、それも考えられるのですが、カナダ、オーストラリアと言った大陸は、嘗て海の底に有った地歴は無く、オーストラリアは大きな地殻変動は無いとされる大陸なのではないでしょうか。ウランとかどういう状態で採掘しているのか知りませんが、採掘できると言うことは、地球の規模から見れば浅い場所に有ると言うことで、どうも理屈に合いません。

で、その前に考えていた卵説から引用できる事象が脳裏をかすめたので、鶏の卵を見てみると、中心から黄身、白身、殻となり、地球で言えば、コア、マントル、地殻に当て嵌まり、卵で言えば、コア、マントルは重い物質でなくても良い分けで、寧ろ地殻が重い物質、又は結合力が強い物質、堅い物質で有った方が、安定すると成ってしまいました。つまり、地球の中心部分は、軽い物質の方が安定するのです。これは、重力の法則から言ってもそうなります。内部が流動的な場合、重い物質が有ると、重力に反応して太陽なりの重い物質に引っ張られます。なにで、外部に出ようとする力が働き、結果的には、地表に出て来るのです。そう成れば、ウランが地殻に有る事も、悩む必要が有りません。

そうなると、地球が卵であれば、地球の未来がどうなるかある程度見えて来ます。それを探していたら、火星が出て来た訳です。私が見た所、今の火星は死んだ星です。太陽系の出来方は、もう述べていますので、触れませんが、理論的には火星はもっと大きくなければならないところ、爆発か何かの原因で、軌道上に一部散らばったと思われる流星群が有り、その時は、それだからどうだと言う現象が結びつかなかったので、内心保留にしていたのですが、ここで、地球の末路が今の火星の状態だと言うことに成り、出て来ました。

生命だけなら、今まで述べて来た条件を満たせば、どの星だろうが誕生します。なので、今では無理だとしても、今の地球に近い条件であった火星であれば、火星人まで生命が育まれた可能性が、出て来たのです。
それが事実と仮定して、では何故火星は、生命が無く成ったのか、どこまで、生命の進化が有ったのかの問題が出て来ます。何故ならその実績が、そのまま地球に引き継げるからです。私のブログを読んできた人達なら、分かる筈です。

では、火星はどう言った、現象で今の火星に成ったのかと考えれば、一番妥当なのは、地殻部分が何かの原因で、吹き飛んだとすると、太陽系も大した変化も無く、安定した変化と成ります。多分その時は、水星は未だ誕生しておらず、火星ももっと太陽に近かったと成ります。しかし、地殻が壊れる現象は有り得るのかを考えると、今の地球の状態を考えれば分かります。仮に火星がその当時、地球より大きかったとすると、より重い物質で地殻が形成されたと想像できます。そうすると、ウランの様な核分裂する物質が余計に有った事と成り、生命が滅んだ時点で、自然分裂が進み、連鎖反応が進み同時に地殻が吹っ飛び、今の比較的軽い物質だけで、形成されるようになった、と見る事が出来ます。なので、生命が存在していたとする痕跡化石も、無くなり検証も出来ません。どこかで、火星の微生物の化石が見つかっていると成っていますが、有り得るとしても、私にとってはさして重要では有りません。

地球が今後、どのような変化をして行くかは、遠い未来の話で、今は目先の問題を解決して行くしか有りませんが、少しは心の片隅に入れておいても、そんは無いと言う位置付けで、関連事項は別として、これはこれで、完結です。

ここから違う話なのですが、何かイジメの問題がクローズアップされて、連日報道が有るのですが、どうなんでしょうか、私から見れば、大人が立派な姿を見せれば、自ずと子供は見習う筈なのに、それ無しに、制度や何かで解決しようとすれば、より複雑化し、解決に道を閉ざす様な気がしますが、大人は気付かない振りをして、法案だけは通そうとしています。偉い人は、幾ら言ったって分からないんでしょうねえ。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

卵説 [科学]

前回では、光を無としました。仮に無から電子、反電子が生じたとします。しかし、これだけでは、すぐ電子と反電子が対消滅してしまい、光に還元します。つまり無に帰します。実際真空中と言われる宇宙空間では、起こりえる事です。
今の物理学では、光か電子かを厳格には、区別していないと思いますが、ここだけの話で区別すれば、光はこの世では、最高速度でC=一定で表されますが、電子は反電子の御蔭で質量を持ちますから、C よりは速度が減ります。
では、この場合、電子の大きさはどうでしょうか。測れるでしょうか。不確定性原理で測れないことになっていて、単に量子となっているはずです。
では、原子に付随している電子の大きさは測れるでしょうか。これも測れない筈です。何故なら、量子が有る一定の量集まった定量値が、一個の電子になっているからです。
では、原子核の大きさは、何を基準として測っているのかと考えました。
私は今まで、教科書にある通り、小さくてイメージし難いですが、有る一定の大きさで、原子核の種類事に、大きさは決まっているものと思って来ました。
しかし、よくよく考えると、迷信を信じているのと同様、有る一定の大きさと言うものも無いのではないかと考えないと、矛盾してしまう現象がある事に気付きました。それは、人間の瞳孔の動きです。目は光を当てると、瞳孔が収縮する事は知られていますが、それは、目の筋肉が調節しているからだとされています。それはそれで説明になっているので良いのですが、この筋肉の動きとは、条件反射みたいなもので、人間が自ら意識して動かしている訳ではない筈です。現に暗闇から急に明るい所に出ると、痛いくらいの眩しさを感じます。つまり、筋肉の調節を自らする前に、瞳孔が動いていて、後から筋肉が吊られて動くものですから、そう感じるのではないでしょうか。と言うことは、原子自体が持つ特性であり、人間の意志とは無関係なものとなりそうです。
さあ、そうするとどうでしょうか。原子は自らの運動状態や、周りの運動状態によって、大きさを変える性質があるということになります。
これは、原子の電子空間だけで考えても、成り立ちますが、私の理論は、原子核の物質も同様な量子として考えていますから、原子核も状態によって大きさを変える事となります。
一般相対性理論では、質量には触れていますが、大きさについては、何も触れてはいないし、それは、ジャンルの違う化学の世界の話で、そこまでは責任を負っていませんので、責めようは無いのですが、今の時代はそれでは済まないのだと思います。

さて、この考えをそのまま受け入れると、大きさを決める基準が、非常に曖昧となって来ます。地球と言う同じ重力場で大きさ質量を決めている分には不都合が無いとしても、初期の宇宙とか、他の銀河系とかとなると、違った尺度が出て来るかも知れません。大きさが曖昧となると、原子一個と言えども、大きいとも言えるし、小さいとも言えるし、小さい世界にも、宇宙と同じ営みがあるとも言えるし、今の宇宙像は、実は原子一個分の大きさで、宇宙はそれ以上に大きく、我々が見ている宇宙は、実は陽子のような、小さな球体の上から覗いている小さな小動物が見ている様な一小片の世界で、無限に大きい世界かも知れません。

そうやって拡張して考えて行くと、小さい世界と言えども、そこで起こりえる現象は、大きな世界でも起こっていると考えても矛盾は生じず、宇宙の初めは卵の様なものから生まれたとする卵説でも良い分けで、核爆発の様なビッグバンから生まれたとする理論よりはマシだとなった訳です。実際そうすると、ブラックホールとは、初期の星団とは、と考えた時上手く説明でき、今後の宇宙の活動も簡単に出て来ます。それは述べませんが、これでも問題は出て来ます。先に言った細胞分裂です。

生命が誕生する時は、その生命の形は卵の時に粗方決まります。つまり、魚になるか、鳥になるか、動物になるかです。その時細胞分裂で、形が出来上がった時、Hello World! となって世の中に出て来る訳です。そうだとすると、原子も細胞分裂みたいな性質を持っている事となり、初期の段階で分裂して行ったのが、それぞれの各原子と言うことになり、それだと、ウランのように陽子と中性子が沢山有る原子も、元々水素原子の様な単原子から分裂して行ったと言うことになり、質量は別個に考えても、大きさが何とも合いません。ここで困って考え直した訳です。

幸いにも、瞳孔という現象を見つけ出し、大きさが条件によって変わるものだったら、それを理論付けて展開する事が、可能ではないかと。
今は未だ、それを展開していませんが、可能となった場合、化学の常識が変わります。それは、想像してもらえれば分かると思います。

それでは、原子自体の分裂は、何処までも際限なく続くじゃないかと言う話にもなりますが、理論上はそうなります。成りますが、そんな事延々とやっても意味はありません。加速器を使ってやっている人達もいますが、意味は無いどころか、庶民が理解できないことを良い事に、庶民の生活を圧迫していますし、隠蔽も出来ます。彼らは、実験に使う陽子を何処から持って来ているかに付いては、不問にしています。さて、何処から持って来たかに付いては、一番近くに有った、福島原発の放射性廃棄物から持って来るのが、手っ取り早いと考えていた筈です。ところが、あんな事故が起きて、原発全停止の事体になると、困る訳です。実験が出来ません。そこで慌てて、問答無用で再稼働させるために、マスコミを使って、神の粒子なる荘厳な儀式を放送した、と考えれば辻褄が合います。
これが事実かどうかは別として、最近この手の事件報道が絶えません。
多分報道関係者は、誰もそんな知識を持ち合わせていませんから、本筋を見失いがちですが、しょうが有りません。政治家ですら何の事やら理解できないのですから。言ってみれば、AIJの社長みたいなものです。蓋を開けてみたら、犯罪者に成っていた、類いの話です。

話が又逸れてしまいましたが、それでは、その分裂を規制している物質の運動速度の話を今度はしたいと思います。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

ビッグバーン説と卵説 [物理]

ここまで理論を展開すると、どうしてもぶつかると言うか、矛盾を生じてしまうのにエネルギーの概念が有ります。地上で暮らす分には、一般に知られているエネルギーの概念で十分だと言うことで、誰も疑うことは無いと思いますが、宇宙スケールになると、そうも行きません。
考えていたのは、宇宙空間を運動しているとされている、宇宙線や光、電子です。宇宙を眺めれば、星々より圧倒的に何も無いとされる空間の方が体積的には多いわけで、その間を色々な光が交差していると考えられます。太陽系であれば、太陽から輻射される光が殆どですが、中には他の銀河から届く光も有るわけで、それ故に銀河も観察できます。
でも待って下さい、この光は、遥か昔の過去の光もあれば、ちょっと前の光もあれば色々あることにあります。さすがに、光より速い粒子は存在しないこととなっていて、つまり未来から来る光は無いことを、実験で示しています。

芭蕉の句に、「月日は百代の過客にして、行き交う人もまた旅人なり」があります。ネットで見ると唐の李白の「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客」をもじった言葉とされ、解釈のされ方は色々あり、ここは私なりに解釈すると、一時代の歴史の人々が、時を超えて会えた事を詠んだ句だと思っています。李白となると、それがもっとはっきりしています。
国語の試験問題で、そんな事を書いたら、先生の逆鱗に触れ、学校でもいじめに会いそうです。実際そうでしたから、今でも色んなケースで起きている事だと思います。義務教育では、国語は必須科目ですから避けられませんが、国語が0点でも別に気にしてはいませんでした。今もし私があのような教育現場の中高学生なら、学校には行きません。遠回りでも、別に学問を究めるしか有りませんから。
芭蕉の句では他に「…岩にしみいる蝉の声」も有ります。これでも分かる通り、芭蕉は科学的に物事を考える才能が有った人だと思います。詳細は、この場合の主旨では無いので省略しますが、学会の論文が、何ページに及ぶに対し、たった一行で表現すのですから、大したもんだと思います。

さて、これを踏まえても、光は過去の光も含まれていると考えなければ成りません。とすれば、今現在の姿は見えない事でもあり、それで、宇宙の構成を考えるには、元々無理が有ります。なのに、何故ビッグバーンが有ったと考える事が出来るのでしょうか。答えを出そうとする人達は、答えを求めてはいけないものに、何かの理由で答えを押し付けているとしか思えません。なので、私はヒューマンガイドラインの乗っ取って、答えは無いとしました。

それで本題なのですが、過去の光と今の光は、混ざらないのでしょうかと言う疑問です。波は、重ね合わせが可能です。であれば、混ざる筈ですが、それは問題視されていませんし、私自身が光を何か勘違いして捉えているとした方が良さそうです。なので、しばらく考えて、光をこう捉えました。光とは、人間の目に見えるものではなく、光が無いから見えない物を光を通して見えるものにするもの、としました。とすると、李白の詩は、こうも訳せます。「地上の万物は、天上界の逆回しのドラマの現象であり、光で照らされる物体には、何百年の開きが有る」としました。これも何の事やらの訳に成りますが、春の夜の宴席で詠んだ詩なら、単純に、天地の定めで、栄枯盛衰は世代が変わって行くと逆に転じる、でも通じる気がします。

李白はどうあれ、そうすると光とは、無でもあります。質量も0な筈です。しかし、同じ物とされる電子は質量を微小ですけれども持っている事に成っています。数字上では、0は何回足してもゼロです。ですから、プラスの質量を使うのであれば、マイナスの質量がなければなりません。これを反物質としていますから、理論上成り立ちます。そうやって、粒子全部に反物質があるとしていますので、全体としては質量は0です。と言うことは全宇宙も質量ゼロでエネルギーゼロです。

今知られているビッグバーン説は、高エネルギーから始まっているとされていますから、私の理論とは明らかに矛盾します。つまり、ビッグバーンは無かったとする立場です。

それでは、宇宙の始まりはどうだったのかですが、これは大部前に述べているので重複は避けるとして、科学的に考えれば、核融合だけで済むのですが、残念ながらそれでは生命誕生は、化学的結合の組み合わせで、それがビッグバーンと同じ確率論に成ってしまうのです。一般的なビッグバーンよりは、かなり確立が高いのですが、所詮は不確定性原理みたいなものと変わりありません。
それでも良いじゃないかと諦めてしまう事も可能なのですが、それだと生物学の卵から誕生する時に起こる細胞分裂が説明付かないと成ってしまいました。
これを宇宙に拡張できる卵説とすると、この細胞分裂は、設計図がもう出来ていて、決定されています。なので、蛙の子は蛙であり、鶏の卵は鶏にしか成れません。人間とて同じ事です。これらの生物に崇高な理念があると認める事は難が有り、逆に宇宙その物が初めからそうして出来たとした方が、本能任せでやっている自然な事となり、スッキリします。

なので困るのです。それを認めて考えると、今まで組み立てて来た理論が大幅に見直さなければ、論理破綻してしまう事に気付きました。これは、私の理論だけではなく、一般に考えられている化学の世界も、もっと改訂が必要となります。
今回は改訂までは、言わないで、次回にしたいとは思いますが、今まで、結構、人の悪口を言って来た経緯もあり、何をやってんだ口調が、いざ自分の理論が、その嵌めになってしまうと、もう良いじゃないか、ここまでやったのだから、もうやめたって、罰は当たらないと言い訳したくなります。
しかし、程度の質の差はあれ、やろうとしないのであれば、族、賊と変わりなくなります。幸いにも、今まで手の込んだ力説をして来なかったのは、不幸中の幸いです。何とか次回でやってみますか。
その前に、このブログだけでも、補足が生まれましたので、その後となりそうです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

千島列島で起きる地震 [地震]

毎日、地震の情報は調べているのですが、世界の地震で調べると、Kuril islands の地震が頻発しています。規模はM5.0以上が殆どで、USGSの情報筋です。情けない話、この諸島を知らないので調べたら、千島列島でありクーリル列島、もしくは、クリル列島で、クリルは、ロシア語みたいです。ここは日本ではないので、大規模な地震がなければ、情報としては流れないらしく、注目もされない所の様です。
気になったので、過去の地震を調べたら、2006, 2007年に、海溝型地震が有り、モーメントマグニチュードMw8.3, M7.9 とMw8.1, M8.2 の地震で、北海道での揺れは差程ではなく、津波も三宅島で観測されるも、アメリカ・カリフォニアの方が波が高く、クレセントシティで1m76cmと有ります。
私は、この地震は丸っきり知らないのですが、ロシアの被害は、調べられないし、新地島(シムシル島)に、人が住んでいるのかどうかも、分かりませんが、ここは4つも火山を抱えており、今でも諸っちゅう噴火しているみたいです。

日本では今、九州の洪水が話題になっていますが、こう言った初期現象は見逃せません。こうなると、先のアオウミガメの原因不明死も、問題提起の話が現実味を帯びて来ます。勿論、今までの様な規模と震源地であれば、気にする必要は無いのですが、この間も、北方四島沖でM6.1の地震が有り、ついこの間、えりも沖で地震が有りました。相変わらず東太平洋側の余震は続いていますが、この間の長野北部の震度5弱の震源地と新知島沖の震源地を線で結ぶと、その間で発生する地震も有り、オホーツクプレートだけで見れば、長野北部が、震動の末端である固定点で、その間をギターの弦のように、振動しています。

私から見れば、地震が来るのは明らかであり、規模としては大きい筈です。この辺で有名なのが、十勝沖地震、根室沖地震で、両者を含めて考えれば、50年に一回は起きており、最後が2003年ですから、次は、2050年頃となる訳ですが、北海道が、記録として正確に資料化し出したのは、近代に入ってからであり、北海道と、東北とは、周期を区別して考えていて、地震の規模だけで判断すれば、抜け落ちているところがあると、推定されます(17.5周期)。
前兆としては、静穏期が数年前から起きるとされていますが、私が前兆としているのは、その当時関連が分かる筈も無い地域であり、地磁気まで考慮しています。

ここは、注視する猶予期間が有りそうですし、傾向としては、3.11のように寒い季節に起きる場合が多い様です。

地震や津波は、只恐れていても始まらないし、減災としての対策有るのみだと思います。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

集中豪雨と梅雨前線 [気象]

昨日も九州地方は、集中豪雨の嵐に曝されている様です。
亡くなられた方、被災された方のご冥福と御見舞い申し上げます。
それで、疑問です。気象庁は未だに梅雨前線と言う表現を使っています。さすがに昨日辺りは梅雨に躊躇うトーンダウンな表現に変わりましたが、私もこの災害が起こるまで、梅雨前線の仕業と思っていました。北には未だ寒冷高気圧が有り、南からは熱帯低気圧が高気圧に押し出される格好で、北上して、湿った空気が打つかり、局所的に大雨を降らしていると。しかし、いくら考えても梅雨前線がこうも長く停滞する事は、考えられませんし、私の住んでいるところは、日本では北側で、豪雨が発生する前の日は最高気温が30度を超えています。上空に寒気団が有るとは、何処まで上空なのでしょうか。九州の人達も、もういい加減梅雨前線が北に行って、夏が来ると思っていた筈です。そこに未だ被害を及ぼす雨が降るとは、誰しも思っていなかっただろうし、備えだってする訳が無いし、出来る訳でもありません。
なので、これは梅雨前線の様なものではなく、別に原因があると、睨みました。

地球の地形を見ると、九州地方を通る気流は、ヨーロッパから見て行くと、有る蛇行した綺麗な気流が生じる事が分かり、季節によって3波ぐらいに分かれます。その一つに、中国の黄河、揚子江の間を通る気流が有ります。ここ数日の気象衛星映像を見ると、この辺から絶え間なく発生する雲が写ります。実際雲が見えるまでには、見えない発生源まで追って行かないと、気象を見誤ります。
この雲の発生する付近の揚子江の途中には、大きな湖が有りそれも手伝っているのかも知れませんが、注目したのは、それではなく、この雲を作っている雲となる大気の物質です。前にも言いましたが、上空まで登った水滴は、何か芯となる物質が無いと、大雨が降らないとしていました。普通の雨であれば、窒素でも十分降ります。しかし、大粒の雨が局地的に降るとなると、窒素では理論上無理が生じ、何か別のものを考えなければなりません。中国で、その辺の工場から出る排煙がどのようなものか、こちらからは伺い知れませんので、これも仮定の話になりますが、この物質が、気流に乗り日本まで流れ込んで、大雨を作っているとすれば辻褄が合いそうです。普通に出る CO2 はどうかと考えました。しかし、これは結構重い物質です。日本まで来る間に、大地か海に雨と一緒に落ちそうです。
さて、残る物質はと考えると、窒素と同程度で、酸素以外となると、有りません。

今までの常識からは、これらのゲリラ豪雨は発生しないはずです。多分気象庁も気象予報士も頭を抱えている筈です。辻褄合わせは出来るかも知れませんが、狐につままれた気分にしかならないでしょう。
なので、常識をひっくり返すしか有りません。ひっくり返すと言っても根も葉も無い事を考えても始められませんので、私の常識の範囲に留まります。
まずは、CO2 です。木を燃やしたりする場合、これでも、化学結合は起こりそうですが、車や清掃工場から出る二酸化炭素とは、本当にそうなのかです。
この場合の燃焼は、燃焼室と言うものが有って、どちらも圧力をかけ強制的に空気か酸素を送っている筈です。と言うことは、組み合わせの可能性として、炭素、リン、イオウ、塩素(C, P, S, Cl) の有害物質の結合も可能な筈です。確か中国の排出規制は緩く、近隣の住民も迷惑を被っていると聞きます。さてこれらの排気ガスは、大気中ではどうなるかと言うと、光を浴びれば、化学分解します。特に軽い物質と、比較的重い物質の組み合わせですから、大気中では相性が悪く、分解し易い筈です。分解した物質は、炭素以外、自らの原子と結合できるので、分子となり、この時発生する電子で、光化学スモッグと言われる現象と、温室効果も発生します。
問題は炭素です。私の理論では、単体となった炭素は高速自転する危ない原子としています。しかも、窒素より軽いので、容易に上空へ移動できます。上空で待っているのが水分子だとすると、雨水の芯としての役割を果たせます。しかも、かなり水分子が多くなれば、振りほどいて、自分だけ上空に留まって大気上空を移動する事も可能です。これが、ゲリラ豪雨の原因だとすると、辻褄が合います。ただしこれは、酸素と結合するのが一番安定しますから、二酸化炭素として地表に、いずれ落ちる事になります。その時伴う現象としては、雷が考えられます。
こればかりが、雷の原因でないにしろ、この場合も考えられると言う意味でです。

これは、私の一つの推論ですので、もっと別な理由、パターンも考えられるでしょうけれども、うっかり梅雨だからと片付けると、思わぬ落とし穴に落ちてしまいますので、取り敢えずは、そう考える事にしました。そうであれば、他の地域も、考えられる被害予想に役立つとは思います。

ここで偶然気付いたのですが、この雨は、一部、炭水化物が含まれています。つまり、この考えが、考えられる範囲以内で有ることでもあります。

以上のことを踏まえて言えることは、この豪雨は、南方から、西方からの湿った空気が来る限り、集中豪雨は、止まりません。季節を問わず、条件さえ折り合えば、何度でも、毎年の行事となる可能性があります。中国は中国の事情が有るでしょうから、日本側から強く言えないし、日本の場合、東は太平洋なので、心配は無かったので、考えもしなかった状況なのだと思います。
雨は、北極、南極の氷が解け出せば、増える訳だし、この現象は世界レベルでも起きていますから、対策はこれからが本番となりそうです。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

干支と釈迦 [雑学]

動物や他の生き物に付いては、ある程度理解が深まったのですが、そうすると、干支(えと)の由来が気になります。調べれば色々出て来ますが、実際のところ定かではなく昔ばなし風のものばかりです。言い伝えでは、御釈迦様に、会いに行った動物の順番説が定説で、猫は鼠に日付を一日騙されて聞かされ、遅れたために十二支から外れて、それから鼠を追いかけるようになったことになっています。

微笑ましい話では有りますが、弾かれているのは他にもいて、インドゾウも入っていませんし、寅は、選ばれていますが人の領域には踏み込んできませんし、竜の様な伝説の生き物もいますから、多分、〜の様な人とすると、方角や順番でも合いますし、御釈迦様が必要な重要視する人物達と矛盾しません。と言っても、固辞付けの様なものでしかならないし、単なる決まり事と考えてもそれまでです。

御釈迦様が、動物をどう見ているか、人をどう見ているかは知りませんが、それなりにやはり理解していたに違い有りません。言わば、相当人望が厚いと言う意味合いが有ります。まあ、どっちかと言うと伝説の人ですから、過大評価、風評、逆用、弟子達の誤行為は、必ず付きまといます。一番誤解を招くのは、あの世の人と考えらちで、この世には存在しない人と捉えがちになる事です。その内、如何様にも言い伝えられ、誤用もされがちになります。私は、実在の人物としか思っていないし、今も生きている人だと言う位置付けです。本人は、認めたくないとしてもです。
物語で言えば、「孫悟空」が有名ですが、私自身は、長編と言うことも有り、何故かまともに読めず、通読できないので、感想だけになってしまうのですが、この作者の意図もやはり、釈迦を大きく描いていて、猿術と言うのでしょうか、あらゆる方法を用いられる悟空にしても、釈迦の前では使えない相手とされています。これは三蔵法師が規制を掛けている訳ですが、なるほどと思っていますが、今はその理由は言いません。物語としては、良く構成されていて、人の興味を引き立てます。
この話は、私が言っている、電子、陽子、中性子とそれぞれの反物質にも適用できる話です。私は電子に付いて沢山述べて来ました。それで、御釈迦様は、中性子の様な人だと感じています。陽子は?と言うと活動家で、教えの人では無くなる様です。
でも、よく考えると、ここが、現代の問題点でもあります。原子は、これらがバランスよく配置されているから安定なのに、今の社会に、陽子らしき人物が見当たりません。駒が揃わなかったと言うのは、このことを言っているのです。
まして、今はその陽子を壊そうとしているのですから、「たいした、たまげだ」の世界です。人類を壊すつもりなんでしょうか。

私の生き物の理解度を示せば、これらの十二支を含め、人間以外の生き物は、それぞれ役目を持って生きていて、全ての生き物は、人間より優れた機能を一つは持っています。彼らの機能の上を行こうとすれば、必ず道具を使用するか、今では、電気や燃焼をを用いる機械を用いるかしない限り、敵いませんし、それ故の喜悲劇は、後を絶ちません。今、日本は、事件事故は起こせない状況にも関わらず、相も変わらず起きています。
余りひどいようであれば、人間が地球にはびこる意味は有りません。他の生き物達だけで十分です。少なくとも私はそう思っています。人間の人間たる所以は、他の生き物達の足りないところを補うために、智と言う授かり物を賜って、この世に生を受けたのではなかったのではないでしょうか。その約束事を破棄するようでは、もはや戦後ではない、じゃ無かった、人間ではない、になってしまいます。

科学技術を否定はしませんが、世の中とのバランス、自然との調和は不可欠です。何が何でもの発想は、何にもしないより悪い結果をもたらす事を、この間知った筈なのに、相も変わらず同じ事をしています。

では、動物には無く、人間だけに有る智とは何かと言えば、哺乳類の回遊生物は、地磁気が何故乱れるのか分かりません。渡り鳥も、気候変動の理由は分かりません。渡って来たは良いが、不作な時も有り、何故なのかは彼らの知能では分かりません。もっと細かく見れば、何故風が吹くのか、雨が降るのか、雪が降るのか分からないし、牛や馬は野生で生きるには、リスクが高過ぎるし、良き指導者らしきものが欲しいと願うところです。そのとき呼ばれるのが、オブジェクトとしての人間であり、彼らもそれを認めて、人間に支払いを求められても、言う事を聞く訳です。飼われている家畜は、飼い主の気持ちを読み解く事は出来ます。一挙手一投足で、分かるのです。なので、聖人が動物に襲われる事が無い、と言うのも、あながち嘘には無らない様です。
私がこれまで延々と述べて来たものは、誰かが、何かが求めたくても自身では無理な事を、変わりに答えているとも言えます。つまり、そのために私が生まれて来たのであり、役割を只、果たしているとも言えます。期待の答えているかは、受け取る側の判断に委ねられます。
これらのルールが守られなくなる時、又は破られる時、無条件に襲いかかります。これが、報いであり、これを常識とすべきです。

生物に関しては、粗方これで、網羅できると思います。細かいところを言えば切りがなくなるので、今日はこの辺までです。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

白鳥と稲作 [生物学]

前の続きで、稲作について考えていたのですが、そのルーツと歴史についてです。
稲は、人間が誕生する前から、自然に育っていたと普通に考えられます。米を主食とする場合、水と豊富な栄養を含む土が無いと、自然には育たないと思います。世界を見ると、最初から米を主食としてきた民族は、又は出来た民族は、そうは居ません。四季がはっきりとし、冬雪が降り、夏の暑い時にも水が枯れないように、山からの水源がないと、育ちません。稲を知らなかった先祖は、これよりも、比較的水無しでも育つ、稗や粟、小麦、蕎麦、小豆の実を食べた方が自然に生きられます。

では、稲作を始めたのは何時頃だろうと調べると、中国が発祥と有り、今から1万2000年前が最古と有ります。又水田耕作遺物となると、日本の最古である岡山県と肩を並べています。
しかしこれは、調べられる範囲の史実であり、実際のところは定かでは有りません。これらが、自然に出来たものか、人が作った物かでも、判断が難しいし、人が作った物であれば、今でも改良が続いているのではないでしょうか。また、人間が気付くには、相当知能がないと、食料としての活用は無理です。それよりかは、目の前のソバ、小麦を収穫した方が楽なので、ずっとそうしていた筈です。では、何が人間を稲作に向かわせたのかと考えると、人間より先に空中、地上を制覇していた、鳥を考えるしか有りません。なので、日本の場合だけを取り上げて考えてみました。

日本には、冬多くの渡り鳥が飛来します。
寒い時わざわざ来なくても、良いじゃないか、とこの間まで思っていたのですが、寒い時期でないと、生きられないところを見ると、寒い時期にしか得られない食料が有ると言うことです。今人間は、輸入で季節に関係なく、比較的何でも食べれますので、余り本来の食料事情は考え難くはなっていますが、本来であれば、冬、雪の多いところでは、保存食が無ければ、生きて行けないか、遊牧の生活をするかしか有りません。しかし、日本の地形は、途中山々が遮り、遊牧には適していません。船で渡ると言う手も有りますが、古代の技術で渡るには、至難の業であり、それよりかは、定住の道を選ぶ筈です。
ここは、また日本昔ばなし風になってしまいますが、
冬雪がちらついて来て、飢えに困る女、子供をが多い村民を守るために、村長達が食料を得るために、村から追い出され、食べ物を探しの旅に出ます。ウサギやシカもそうだったでしょう。しかしある日、北からやって来る人間程の大きさも有る渡り鳥が、近くの草原に降り立つのを見て、何か食べ物が有るのかと、見ていると、確かにおいしそうに何かを食べています。渡り鳥を追い払い、冷たい湿地に入って行き、何を食べていたのかと覗き込むと、まばらに点在する稲の実です。村長は、それを掻き集め、村に持ち帰りました。それを、蕎の実同様、料理して食べてみると、結構、力が湧くのを知ります。こうして年日を重ねて、何年かが過ぎ、稲作と言う技術を身につけ、農耕という定住生活が始まり、村は大きく栄えたとさ、めでたし、めでたし、終わり。

ここで出て来る渡り鳥は、今私の知る限りでは、白鳥しかいません。今では、人間が綺麗に稲を刈るし、収穫時には、水を抜きますので、大量に収穫できますが、
自然に生えていたものが殆どだと思いますので、白鳥の長い首や、水かきは、欠かせないものだったのに違い有りません。白鳥は、今では餌を与える時以外、人間には近づきませんし、田んぼにいる時は、必ず集団で、人間に襲われても逃げられる距離でしか活動しないし、今では多分僅かな落ち穂を拾って生きているのでしょう。最近は、鳥インフルエンザとか言って、餌も与えないよう禁止されていますが、意味が有るのでしょうか。

さて、ここで言える事が出て来ます。今の日本人の知識では、米を如何に大量に安く生産する事しか、眼中に無いし、米は低レベルの人間が、しょうがなく作っているものというイメージが有るのではないでしょうか。「そんな事は無いよ!」と言う人は、私から言わせれば、二枚舌の誰かと同じで、腹黒の人間が吐く言葉です。

これは、農家も悪いところが有ります。稲作の技術を自ら考え得られた人間ならば、地上に君臨できる人間だと思います。その人ならば、自然哲学が有り、宇宙観が有り、争いの愚かな事を諭し、もっと多彩な技術も生み出せた筈です。
しかし、歴史上、そう言った人物はいません。私の知る限り、上杉謙信公が優れた人物と言われていますが、京の武士の争いに巻き込まれています。
だからと言って、農家は卑下する事は無く、自然に向き合い、自然と会話をして、磨きをかける事が出来た筈なのに、何故出来なかったのでしょうか。

その答えが、稲作を気付かせてくれた白鳥に有るのです。人間は、その当時、やはり白鳥のやる事を見習って、それを当座で応用しただけに過ぎなかったと考えるのが妥当です。
今白鳥を見て下さい。結果的に知恵の実を与えてくれた白鳥は、冬の名物史だけの存在となり、ぬいぐるみとしての存在は認められますが、人間の都合で、環境に果たす役割、嘗ての恩恵については、学ぶ事も無く、どちらかと言えば、厄介な存在です。つまり、共存共栄と言う概念は、人間には無いのです。

これを人間が持てないと言う事は、争いの原因に繋がります。農家は、利用される側に立つ事を意味します。今の日本の現状を見て下さい。繁栄をしているところと言うのは、耕作地を持たないところであり、経済と言う名の路線に乗れるだけのところです。それに遅れまいと、機械化を進め、品種改良に踊らされ、農薬を使い、大量生産せざるを得ない状況です。これで喜ぶのは、農家、生産地の人達ではなく、その他の人達であり、農薬を使うと言う事は、側で生きて来た生物を滅ぼし、引いては、海の生態系まで乱し、漁業にまで、影響を及ぼします。
今こちらの海では、以前程、魚が捕れなくなって来ています。これは、釣りに行くと良く分かりますし、実際そう報道されています。原因はと言うと、的外れな事を言っていますが、経済効果を第一優先するマスコミでは、しょうがありません。まして、企業誘致で、工場ばかり来るところでは、どんな有害物質が流されているのか、ニュースにもなりません。

私は、生態系を乱し、人間ばかりが住める様な社会では、移連れ人間も住めなくなるし、それを気付かず許してしまった私も、消え行く運命だと思っています。福島の汚染された地域もそうでしょうけれども、一度許してしまって、いざ起こってはならないことが起これば、ことがどうあれ、取り返しは非常に困難です。つまり、何を言っても徒労に終わるだけです。

ここまでの結果から言える事は、誰のせいでは無く、知ろうとしなかった人間のせいです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

蚊の様な生物 [生物化学]

虫と言われる中で、理解できない物に蚊が有ります。蚊は主に人間が居ない限り、繁殖できないと言う認識なのですが、人間をターゲットにした生き物は、他には居ません。最近の蚊は、自然淘汰で、人間に直接捕まらない様、飛行技術が俊敏と成り、スマート化しています。wikipediaで調べると、はっきりとは分かりませんが、多分、生物が誕生した時点で、蚊も誕生してる様です。
空中生物では、蚊も小さいですが、もっと小さい虫もいます。人間を襲う事はないでしょうけれども、何かの予備軍には成ります。

ここで注目しているのは、その小ささと、繁栄の仕組みです。
虫は自ら体温を保てないので、活動できる時期は限られています。なので、うだる様な暑さの時、活発に活動します。それでも、直射日光は水分を奪われますから、活動は日陰か夜になると思いますが、それらのエネルギー源は、成虫に成ってから得られるのではなく、殆どは幼虫の時だけだと思います。成虫に成ってからは、殆どが子孫を残すための活動であり、それが上手くいけば、寿命で消えて行きます。
さてそうなると、成虫に成ってからは、人間のように口からエネルギーを取り込むのではなく、何かからエネルギーを取らないと、何日も運動が出来ません。
考えられるのは、光エネルギーしか有りません。そんな事が可能なのでしょうか。可能だとしたら、ソーラーパネルを持っている事に成ります。そんな話は、聞いた事もないし、有り得ないように思います。しかし、昆虫の羽は、何の物質から出来ているか誰も言っていません。もし私がトンボの様な昆虫だったら、羽の材料を、カーボンで作り柔軟性が求められる所と、駆動軸は窒素でベアリングの如き仕様にします。この電子の流れを、エネルギーに代える仕組みは、身近では、ソーラー式の電卓が有ります。炭素については、最近カーボンナノチューブがやっと出て来た状態で、トンボの羽の様な物を作る迄には至っていません。

考えてみれば、虫の羽は体の大きさと比較しても、今の飛行機と変わりません。グライダー成る物も有りますが、気流を利用しているだけで、虫のように離発着は出来ません。マトモに考えれば、虫は結構燃料となるエネルギーを必要とされそうですが、補充はしていません。
かなりこれも確信が有るのですが、飽くまで仮としてこれがそうだとして、話を続けます。

ハエや蚊は、死骸や動物等の食物連鎖で残る残物や血液の掃除屋として、呼ばれたオブジェクトである事は、明らかです。そうだとすると、太古の昔、蚊は、労せずして血液を得ていた訳ですが、人間が台頭して来るに従い、中々血液を得る事が、難となります。そこで直接生きた人間から血をいただく方法を編み出します。それが、注射針の様な口であり、血管まで届けば良い訳であり、体の大きさはそれに合わせている事になります。

ここで蚊は、教えてくれます。蚊は人間の血液を、どう処理しているのでしょうか。血管はヘモグラビンと言う赤血球と一緒に酸素を運んでいるとされています。酸素は、電子を安全に運搬できますから、新しい電子を運んで、古い電子は、アースできますから、空気から得られた酸素は、O₂ としての、酸素分子として排出されることになります。ここは迷ったのですが、「熱中症と紫外線」のブログの内容と矛盾するように思えますが、実はあの時も迷っていて、酸素原子は普通大気中では、2個の原子を取って単独に存在し、それ以上の電子も紫外線が強い場合受け取れる訳で、それが多い場合、熱中症になるとしなければならないところ、気が焦っていて、ああなってしまいました。済みません。
これだと、大概の現象が上手く説明できますし、酸素分子は、電子をこれ以上出しませんので、燃える物質では有りませんが、光を受け取れば、また元通りに呼吸の出来る酸素になります。只密室の暗闇では、酸欠状態にもなります。
実際体を構成している酸素は、タンパク質の中に有る食べ物から摂取すると考えるのが適切で、大気中に沢山有る窒素を、肺から取り入る事が出来ないのと同義です。

とすると、「えら呼吸」の記事も違ってきます。これは参った、と言うか、あの記事は結構アクセスが有ったブログで、その人達が、またこのブログを読んでくれるかの問題が生じてしまいました。これは、読んでくれるものと思って進めなければなりませんが、あれ自体も、一般常識から抜け出ていますし、今回の方がもっとまともなズレだとすれば、少しは気が楽です。
えら呼吸をしている生き物は、水中の酸素を取り入れているのではなく、水中の電子を物質から取り入れている事になります。水中の中も酸素が比較的安全に取り入れられるとしても、水の中では酸素でなくても、火事の様な燃焼さえ起こらなければ、何でも良い訳です。例えば、電子を多く含んだナトリウム、塩素、マグネシウム、カリウムと様々です。
因に、水槽の中の金魚等は、一早く電子を含む物質を無くしてしまい、空気を送らなければ、電子の充電時間に間に合わず、特に夜間に死んでしまいます。
子の理屈が分からなければ、酸素ボンベに酸素分子を充満させておいたところで、酸欠で死亡という、潜水士の事故も考えられます。
この事実証する考え方は、両生類と言われる生物を観察すると、更に今まで不問とされている謎が解けて来ます。
今再稼働した原発の周りにクラゲが大発生しているみたいですが、呼吸器官がない様な生き物が、夏海面近くで生きられる謎もやっと理解できました。ところが、どっかの副大臣が、「たかが自然のクラゲ如きに・・・」とか言っていました。この言葉は、たかが津波如きでもあり、たかが声無き民でもあります。見た感じ、クラゲ程頭を使っていない様な気がしますが、どうなんでしょうか。

では、主食である炭水化物を、どうして摂取しなければならないのかと言う問題が生じます。確かに肉食動物は、炭水化物を摂取しなくても、生きて行けます。特にライオンはそうです。しかし、ライオンは冬寒い雪の多い地帯では、餌も少なく寒くて生て行けない筈です。そこで登場するのが、お米や小麦です。古代の人はどうしてこれに気付いたのでしょう。そこには、一種、長時間ドラマが作られそうですが、別に席を譲るとして、この仕組みを理解していれば、争いが如何に無意味か分かる筈ですなのですが。
今知られている炭水化物は、炭素に水分子が何個か付いた数種類のパターンの化学式で表されます。ところが、人間の細胞を作る-C--C- と言った物質が有るとは、謳っていません。多分確証が無いし、不問になっていると思います。
私の理論では、これらは、逆の反応ですから、光合成では出来ません。大気中でこれらの反応をする事は、燃焼を意味します。では、人間の体の中に炭水化物を摂取した場合、この反応はどうでしょうか。水を多く含みますから、どうかすると可能です。つまり、体が温まる程の燃焼で済みそうです。保存食でもあるお米は、冬寒い時期でも、体温を下げずに維持できそうです。

蚊に付いて考えていたら、こんなところまで来てしまいました。方向はちょっとズレてしまいましたが、まだまだ、知られていない事は、多く有りそうです。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

鬼ごっこ [雑学]

前の原子の消滅は、自然界では起こらないので、人間には知る必要の無い知識であり、何の役にも立ちません。今のテレビ番組が、殆ど役に立たないのと似たところが有ります。情報もうっかり鵜呑みにすると、思わぬ落とし穴だった事を思い知らされる事が、屢々です。後は受け取る相手次第なのですが、正しい情報が、掴めない、伝わらないのには、それなりの理由がありそうです。
あの話を、ちょっと見方を変えて、現実の社会に応用する事は可能です。

人間を形作る物質のうち、人間が制御できないものに、電子が有ります。と言うと、聞いた事が無い人が殆どだと思います。これは、不確定性原理自体がある以上、同じことを言っています。電子を観測すると、電子は観測機器の光に反応して、観測する前の状態では無くなり、違う状態しか観測できなくなると言うものですが、これは、日本には、子供の鬼ごっこにも言えます。「ダ~ルマさんがころんだ」は、後ろ向きに目を閉じ鬼として声を上げている間、鬼に近づき振り向いたとき、動いているところを見つかれば、その子が鬼と成り、見つかる前に鬼に触れば、鬼の負けで、また鬼に成るという子供遊びです。

電子の場合、鬼は観測者であり、近づく相手は電子です。この場合電子は、絶対見つかりません。これは素粒子にもいえる事で、観測は、諦めた方が利口です。
諦め切れずに、仕舞には打っ付けて壊してしまえと言う人もいる様ですが、これでは、誰も遊びに参加しません。殺されたのでは実も蓋も有りませんから。

しかし、これも又笑えぬ側面があります。社会の中では、誰もがこの観測者の立場であり、とある事件もこの観測者次第で、究極のところ電子の本当の姿を誰も解き明かす事が出来ない訳で、これが犯人、あれが被害者とは、相対的なものとなり真価は、結局断定できないとなります。つまり、自分の行動を制御している電子は、制御しようとすると、形を変えて、これがもう一人の自分に移ったとすると、それが一つに成ろうとして出会った時、思わぬ出来事に成る訳です。子供の社会も、大人の社会の鏡写しであり、大人の社会では、本当は有り得ない事も、大人の社会だからと言うことで、不合理を暗黙の了解で黙認出来ることも屢々で、子供は素直ですから、その形が、そのまま他者を自殺に追い込む事だってあり得ます。
それじゃ、駄目だろう、と言ったところで、これは根が深いので、一つを解決したところで、モグラ叩きのように又出て来ます。

この話は、ここで於いて置いて、私が提唱しているのは、確定性原理です。つまり、直接観測は諦めて、別の視点から電子を見る方法です。それには、幾つかの方法、理論を挙げて来ました。しかし、それは解明だけであり、解明できたらその後、人間がどう行動でき、社会がどう変化する事迄は、触れていません。実際、私も不確定なままの人間であり、不確実性な社会に住んでいる一人だと思っていますので、その後の事は、分からないとしなければ成らないのが実状で、ただ、それでは、駄目だと言っているだけに過ぎません。

では、ここからがそういった社会が出来たとしての仮定の話です。電子は、制御できませんから、一般に言われる意志は持ってはいけませんが、電子が逃げない範囲でなら、意志が持てそうです。それでも電子が逃げた場合、逃げた電子がどこへ行ったか分かれば良い分けです。又は、受け取った電子が何処から来たか分かれば、ある程度は判断できます。
これが、原子核の膨張の応用できる話です。そこに、色んな分子が結合する要因が生まれます。規則としては、あくまで、原子核は破裂させてはいけません。そうなったら、終わりです。

しかし待ってくださいよ~、この電子が、地球の裏側迄行ったら、どうなるでしょう。まして、国が鎖国政策を何百年もしていたら、会えなくなり、会えない時間は過ぎ変化も気付きません。しかし、電子は、会いたい方と、会いたくない方の両面に分かれ、船を使ってでも、飛行機を使ってでも会いに行こうとどちらかが動きます。
これが、黒船だとしたら、歴史をどう理解すれば良いでしょうか。
私の答えは当然出ているのですが、見方はどの立場に立っているかによって、幾通りに分かれます。科学的に考えれば、物理的に可能なので、電子が元の形に成る迄、運動は続きます。つまり、真の姿に成る迄です。

もし、世界平和を願うのであれば、この姿が一番見える人が首長に成るのがふさわしい事に成ります。今、国連事務総長は韓国のパンギムン氏です。どのくらい見えるかは、分かりませんが、英語が流暢に話せますし、ブレないし、落ち着きは確かなものです。
しかし、世界間の温度差は、実状の複雑さも手伝って、広がっています。
真の科学者に取っては、国等は関係ありませんから、国連にある程度の実権を握って欲しい訳で、アインシュタインもそれを望んでいました。

今の現実を見据えても、解決の道は未だ残されていますが、国連の状況を見ても、道は険しいのが分かります。シリア情勢を見ても、アフガン情勢を見ても、イラン・イラク情勢を見ても、何も進展していないのと同じです。日本は、多くはアメリカの傘に入っていて、他人事で済むところが有りますが、その傘が穴だらけと言うことも有って、たまに何か落ちて来る程度で済んでいますが、傘が無くなった場合の事も、考えておかなければ成りません。日本人の住めもしない、尖閣等私にはどうでもよく、争いの火種を自らばらまく様な事を、一国民がするべきではない筈です。
また、地図上の日本海表記の問題も有りました。私も、子供心に、日本海って日本周辺の海のことを言っているのかなと思っていたのですが、韓国、北朝鮮、ロシア、日本が囲む海の事だと知って、可笑しな表記だな、と思った時期が有りました。友好の笑い話で済む程度であれば、問題はないかと思いますが、とても友好と呼べる状況には有りません。

破綻国家に成る前に、そんな些細な事で、また、戦争したいのですか?

原子の消滅 [物理]

この間、ヒッグス粒子にふれましたが、私の理論には必要ないので、これらの粒子が無くても、原子の機構をもうちょっと上手く説明しなければならなくなって、私なりに考えていたのですが、陽子の中に有るとされる様々な粒子の性質を、電子の状態変化だけで、陽子の性質も変わる事を示せば、良い訳で、取り得る電子の状態を考えていた時、電子が殆ど無くなる状態が有るかどうかを、考えざるを得なくなり、その場合、原子核の反物質の空間はどうなるだろうかと、考えていたら、空間は大きくなる、つまり広がるとなり、自然界では余り有り得ないのですが、人間の体の中では、起こりえるとなってしまいました。その物質は、炭素だけの様です。

それが有り得るとすると、神経伝達が円滑に行きませんし、細胞が若干膨らみます。何故人間の体内でなら可能かというと、人間は絶えず地球にアース(放電)しているし、できるからです。
そうだとすると、健康に対するイメージが変わります。
アルカリ飲料水は、スポーツの脱水症状時に飲むものと言うイメージが有りますが、激しい汗をかいて失なわれるのは、電子を多く含む物質であり、体を冷やす水です。ナトリウムイオンは、Na⁺ と表されますが、この表記は誤解を生みます。
ナトリウム蓄電池の中でも、マイナスの電子を多く含められる物質と表していて、イオン化して、光を受ければ、Na⁻ と表記しなければならないのですが、実際のナトリウムはそうなっているので、結果は、必要成分を補給しているとなります。
これを勘違いして、電子の欠けているプラス成分を補給したら、逆効果です。例えば、カレー、辛しです。この辛みを演出しているのは、OH⁻ で、通常こう表していますが、水酸化ナトリウムの場合、Na(OH) の時、中和しており、光を伴わない分解時は、Na と、OH でどちらも電子を奪われます。なので、体に取り入れては行けない物質となります。
信用できないのであれば、試してみると分かりますが、良い子の皆さんは、絶対に服用しないようにして下さい。ここで言えるのは、舌がしびれる様な辛みの正体は、電子を体から奪う様な物質の仕業だと言うことです。

話を体を形成している炭素に戻りますが、電子が足りなくなるとは、私の言う熱中症とは逆の現象です。体がプラス化する事となります。プラス化でも別に支障がないのではと思うかも知れませんが、人間の活動には、電子の流れが必要な訳で、足りなければ、体が欲しがる訳で、他から栄養を補充する訳ですが、体質がそれで直らない場合、更に食べたくなります。所謂これが肥満体質です。電子が足りない分、沢山の物質が結合できますから、始末に悪いのです。
生まれつき肥満の人は、どこかで解消する時期があるかも知れませんが、大概は我慢し切れず、継続してしまいます。
よく痩せ薬とか何か知れない物が売られている様ですが、私の見解だと、帰ってリバンドするので、やめた方が良いし、根本の解決にはなりません。それを素直に受け止めるか、相撲界に進路を切るか、その方面に進んだ方が得策です。

自然界では、余り存在しないとしましたが、人為的には原子力発電での核分裂では、この様な原子が更に進んだ状態です。
宇宙でも、太陽ような星が核反応を終え、最終的には爆発するのが、確認されています。とは言え、まだまだ先の話です。

ここで、電子を失った原子の原子核内は、どうなるかです。今核内を取り囲んでいるのは、反電子と反陽子と重力である反中性子です。しかし、反中性子は、核内では殆ど無視できるとしないといけません。反電子は電子を求めて外部へ向かいますから、核内は広がります。陽子は動ける範囲が反陽子だけですから、陽子も電子を求めて高速に波動として動き回ります。中性子も同様に吊られて動き回りますが、弱い重力場だけですから、陽子程は動けません。と言うより、殆ど動けないと言えるかも知れません。取り敢えずは、これで安定するのですが、問題は、陽子が自らの反物質の反陽子のからを抜け出す時です。完全なる円が存在しないように、完全なる球は存在しません。なので、電子が有った頃は球も圧力が掛かっている状態と同じで、抜け道は出来ないのですが、風船が広がるように大きくなると、風船が破れるように、弱いところを破って来ます。こうなると、中性子は縛られる物が無くなり、反電子を見つけ出せば、重力場と供にこの世から崩壊して消え失せます。陽子も、真の相手である電子を見つければ、中性子となり同様に消滅します。

今説明した、反応は、核分裂反応ではなく、その後に起こるもっと先の話です。かと言って、陽子内部の話でもありません。もうこれだけで、消滅していますので、粒子は全て無いのです。
それで、そんな話は有り得ないと言うのであれば、どうぞ御勝手に理論を組み立てて下さいと言っている訳です。ただし、その研究のために、税金をせしめるのはやめて、仲間内か自腹でやって下さい。他の人は知りませんが、私には必要の無い研究です。人間として、きっぱり意思表示します。もう原発爆発事故のような、寝耳に水の話は結構です。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。