鬼ごっこ [雑学]

前の原子の消滅は、自然界では起こらないので、人間には知る必要の無い知識であり、何の役にも立ちません。今のテレビ番組が、殆ど役に立たないのと似たところが有ります。情報もうっかり鵜呑みにすると、思わぬ落とし穴だった事を思い知らされる事が、屢々です。後は受け取る相手次第なのですが、正しい情報が、掴めない、伝わらないのには、それなりの理由がありそうです。
あの話を、ちょっと見方を変えて、現実の社会に応用する事は可能です。

人間を形作る物質のうち、人間が制御できないものに、電子が有ります。と言うと、聞いた事が無い人が殆どだと思います。これは、不確定性原理自体がある以上、同じことを言っています。電子を観測すると、電子は観測機器の光に反応して、観測する前の状態では無くなり、違う状態しか観測できなくなると言うものですが、これは、日本には、子供の鬼ごっこにも言えます。「ダ~ルマさんがころんだ」は、後ろ向きに目を閉じ鬼として声を上げている間、鬼に近づき振り向いたとき、動いているところを見つかれば、その子が鬼と成り、見つかる前に鬼に触れば、鬼の負けで、また鬼に成るという子供遊びです。

電子の場合、鬼は観測者であり、近づく相手は電子です。この場合電子は、絶対見つかりません。これは素粒子にもいえる事で、観測は、諦めた方が利口です。
諦め切れずに、仕舞には打っ付けて壊してしまえと言う人もいる様ですが、これでは、誰も遊びに参加しません。殺されたのでは実も蓋も有りませんから。

しかし、これも又笑えぬ側面があります。社会の中では、誰もがこの観測者の立場であり、とある事件もこの観測者次第で、究極のところ電子の本当の姿を誰も解き明かす事が出来ない訳で、これが犯人、あれが被害者とは、相対的なものとなり真価は、結局断定できないとなります。つまり、自分の行動を制御している電子は、制御しようとすると、形を変えて、これがもう一人の自分に移ったとすると、それが一つに成ろうとして出会った時、思わぬ出来事に成る訳です。子供の社会も、大人の社会の鏡写しであり、大人の社会では、本当は有り得ない事も、大人の社会だからと言うことで、不合理を暗黙の了解で黙認出来ることも屢々で、子供は素直ですから、その形が、そのまま他者を自殺に追い込む事だってあり得ます。
それじゃ、駄目だろう、と言ったところで、これは根が深いので、一つを解決したところで、モグラ叩きのように又出て来ます。

この話は、ここで於いて置いて、私が提唱しているのは、確定性原理です。つまり、直接観測は諦めて、別の視点から電子を見る方法です。それには、幾つかの方法、理論を挙げて来ました。しかし、それは解明だけであり、解明できたらその後、人間がどう行動でき、社会がどう変化する事迄は、触れていません。実際、私も不確定なままの人間であり、不確実性な社会に住んでいる一人だと思っていますので、その後の事は、分からないとしなければ成らないのが実状で、ただ、それでは、駄目だと言っているだけに過ぎません。

では、ここからがそういった社会が出来たとしての仮定の話です。電子は、制御できませんから、一般に言われる意志は持ってはいけませんが、電子が逃げない範囲でなら、意志が持てそうです。それでも電子が逃げた場合、逃げた電子がどこへ行ったか分かれば良い分けです。又は、受け取った電子が何処から来たか分かれば、ある程度は判断できます。
これが、原子核の膨張の応用できる話です。そこに、色んな分子が結合する要因が生まれます。規則としては、あくまで、原子核は破裂させてはいけません。そうなったら、終わりです。

しかし待ってくださいよ~、この電子が、地球の裏側迄行ったら、どうなるでしょう。まして、国が鎖国政策を何百年もしていたら、会えなくなり、会えない時間は過ぎ変化も気付きません。しかし、電子は、会いたい方と、会いたくない方の両面に分かれ、船を使ってでも、飛行機を使ってでも会いに行こうとどちらかが動きます。
これが、黒船だとしたら、歴史をどう理解すれば良いでしょうか。
私の答えは当然出ているのですが、見方はどの立場に立っているかによって、幾通りに分かれます。科学的に考えれば、物理的に可能なので、電子が元の形に成る迄、運動は続きます。つまり、真の姿に成る迄です。

もし、世界平和を願うのであれば、この姿が一番見える人が首長に成るのがふさわしい事に成ります。今、国連事務総長は韓国のパンギムン氏です。どのくらい見えるかは、分かりませんが、英語が流暢に話せますし、ブレないし、落ち着きは確かなものです。
しかし、世界間の温度差は、実状の複雑さも手伝って、広がっています。
真の科学者に取っては、国等は関係ありませんから、国連にある程度の実権を握って欲しい訳で、アインシュタインもそれを望んでいました。

今の現実を見据えても、解決の道は未だ残されていますが、国連の状況を見ても、道は険しいのが分かります。シリア情勢を見ても、アフガン情勢を見ても、イラン・イラク情勢を見ても、何も進展していないのと同じです。日本は、多くはアメリカの傘に入っていて、他人事で済むところが有りますが、その傘が穴だらけと言うことも有って、たまに何か落ちて来る程度で済んでいますが、傘が無くなった場合の事も、考えておかなければ成りません。日本人の住めもしない、尖閣等私にはどうでもよく、争いの火種を自らばらまく様な事を、一国民がするべきではない筈です。
また、地図上の日本海表記の問題も有りました。私も、子供心に、日本海って日本周辺の海のことを言っているのかなと思っていたのですが、韓国、北朝鮮、ロシア、日本が囲む海の事だと知って、可笑しな表記だな、と思った時期が有りました。友好の笑い話で済む程度であれば、問題はないかと思いますが、とても友好と呼べる状況には有りません。

破綻国家に成る前に、そんな些細な事で、また、戦争したいのですか?

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