干支と釈迦 [雑学]

動物や他の生き物に付いては、ある程度理解が深まったのですが、そうすると、干支(えと)の由来が気になります。調べれば色々出て来ますが、実際のところ定かではなく昔ばなし風のものばかりです。言い伝えでは、御釈迦様に、会いに行った動物の順番説が定説で、猫は鼠に日付を一日騙されて聞かされ、遅れたために十二支から外れて、それから鼠を追いかけるようになったことになっています。

微笑ましい話では有りますが、弾かれているのは他にもいて、インドゾウも入っていませんし、寅は、選ばれていますが人の領域には踏み込んできませんし、竜の様な伝説の生き物もいますから、多分、〜の様な人とすると、方角や順番でも合いますし、御釈迦様が必要な重要視する人物達と矛盾しません。と言っても、固辞付けの様なものでしかならないし、単なる決まり事と考えてもそれまでです。

御釈迦様が、動物をどう見ているか、人をどう見ているかは知りませんが、それなりにやはり理解していたに違い有りません。言わば、相当人望が厚いと言う意味合いが有ります。まあ、どっちかと言うと伝説の人ですから、過大評価、風評、逆用、弟子達の誤行為は、必ず付きまといます。一番誤解を招くのは、あの世の人と考えらちで、この世には存在しない人と捉えがちになる事です。その内、如何様にも言い伝えられ、誤用もされがちになります。私は、実在の人物としか思っていないし、今も生きている人だと言う位置付けです。本人は、認めたくないとしてもです。
物語で言えば、「孫悟空」が有名ですが、私自身は、長編と言うことも有り、何故かまともに読めず、通読できないので、感想だけになってしまうのですが、この作者の意図もやはり、釈迦を大きく描いていて、猿術と言うのでしょうか、あらゆる方法を用いられる悟空にしても、釈迦の前では使えない相手とされています。これは三蔵法師が規制を掛けている訳ですが、なるほどと思っていますが、今はその理由は言いません。物語としては、良く構成されていて、人の興味を引き立てます。
この話は、私が言っている、電子、陽子、中性子とそれぞれの反物質にも適用できる話です。私は電子に付いて沢山述べて来ました。それで、御釈迦様は、中性子の様な人だと感じています。陽子は?と言うと活動家で、教えの人では無くなる様です。
でも、よく考えると、ここが、現代の問題点でもあります。原子は、これらがバランスよく配置されているから安定なのに、今の社会に、陽子らしき人物が見当たりません。駒が揃わなかったと言うのは、このことを言っているのです。
まして、今はその陽子を壊そうとしているのですから、「たいした、たまげだ」の世界です。人類を壊すつもりなんでしょうか。

私の生き物の理解度を示せば、これらの十二支を含め、人間以外の生き物は、それぞれ役目を持って生きていて、全ての生き物は、人間より優れた機能を一つは持っています。彼らの機能の上を行こうとすれば、必ず道具を使用するか、今では、電気や燃焼をを用いる機械を用いるかしない限り、敵いませんし、それ故の喜悲劇は、後を絶ちません。今、日本は、事件事故は起こせない状況にも関わらず、相も変わらず起きています。
余りひどいようであれば、人間が地球にはびこる意味は有りません。他の生き物達だけで十分です。少なくとも私はそう思っています。人間の人間たる所以は、他の生き物達の足りないところを補うために、智と言う授かり物を賜って、この世に生を受けたのではなかったのではないでしょうか。その約束事を破棄するようでは、もはや戦後ではない、じゃ無かった、人間ではない、になってしまいます。

科学技術を否定はしませんが、世の中とのバランス、自然との調和は不可欠です。何が何でもの発想は、何にもしないより悪い結果をもたらす事を、この間知った筈なのに、相も変わらず同じ事をしています。

では、動物には無く、人間だけに有る智とは何かと言えば、哺乳類の回遊生物は、地磁気が何故乱れるのか分かりません。渡り鳥も、気候変動の理由は分かりません。渡って来たは良いが、不作な時も有り、何故なのかは彼らの知能では分かりません。もっと細かく見れば、何故風が吹くのか、雨が降るのか、雪が降るのか分からないし、牛や馬は野生で生きるには、リスクが高過ぎるし、良き指導者らしきものが欲しいと願うところです。そのとき呼ばれるのが、オブジェクトとしての人間であり、彼らもそれを認めて、人間に支払いを求められても、言う事を聞く訳です。飼われている家畜は、飼い主の気持ちを読み解く事は出来ます。一挙手一投足で、分かるのです。なので、聖人が動物に襲われる事が無い、と言うのも、あながち嘘には無らない様です。
私がこれまで延々と述べて来たものは、誰かが、何かが求めたくても自身では無理な事を、変わりに答えているとも言えます。つまり、そのために私が生まれて来たのであり、役割を只、果たしているとも言えます。期待の答えているかは、受け取る側の判断に委ねられます。
これらのルールが守られなくなる時、又は破られる時、無条件に襲いかかります。これが、報いであり、これを常識とすべきです。

生物に関しては、粗方これで、網羅できると思います。細かいところを言えば切りがなくなるので、今日はこの辺までです。
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