認識の再定義3 [科学]

 氷の性質について考えていたら、今度はドライアイスはどうなのだろうと考え付き、おもしろい結果に辿り着きました。何の変哲もない物質ですが、ドライアイスのイメージは、通常目にするアイス販売ボックスにあるものや、冷凍製品の保冷剤としての個体のものです。で、液体は無いようで、空気中では気体になって、消えていきます。製造方法の考え方としては、二酸化炭素を、圧縮するとできるとなっています。この圧縮することによって、出来る物質は殆どが熱を放出して自らは個体となって前の状態より低温になるようです。と、私も今までは普通にその認識に立っていました。で、今でもそれで間違っていないと思っています。ここで、学校で教えていると思う理想気体の状態方程式 pV = nRT と言うのが有ります。前にも触れておいて、力学的な力の統一に引っ掛かって上手く表現できなかったところです。この方程式はある限られた見方をすると成り立つのですが、私から見れば抜け落ちている所謂バグがある方程式です。例えば密閉できる試験缶に気体を入れ、気体を圧縮していくと、中の気体の温度は下がって行きます。後者の状態をダッシュで表すと p(V-V') = nR(T-T') と表せるのですが、一定の室温で実験したとしたら、試験管の気体の温度は一時的に下がったとしても、また室温に戻るはずです。ですが、掛けた圧力は掛かりっ放しです。ですので、(T - T') の値は時間が経つと0に近づき、p(V - V') の値も、値があるにも関わらず、計算上0に近づきます。と言った見方もできるような誤解を生みやすい方程式です。まして、気体が液体や個体に状態変化することは、想定していません。つまり、ある臨界状態までしか成り立たない方程式です。しかし方程式が作られた時代ならいざ知らず、今ではこの臨界状態を越えた工業技術製品はザラに有ります。今時そんな間違った意味で理解している人はいないだろうと言うかもしれませんが、宇宙的規模のスケールでは当て嵌まらない認識が有ります。例えば星としての地球です。地球内部は高温の6000℃とか言われていますが、実際計測した人は誰もいませんし、これはあくまで仮設であり想定です、これが定説みたいになっているだけです。確かに地下から噴火してくるマグマを見れば、さぞかし内部は高温だろうと想像したくなりますが、内部には別の力、圧力が掛かっているのを抜きにして考えているんだろうと思うのです。ドライアイスで分かる通り、この個体は摂氏マイナス何度以下で個体になり、大気圧の元では気体に変わる代物です。つまり、大気圧の元で、液体や気体になって噴出するものは、元は、もっと低い温度でなければ成り立たないことを意味するではないですか。つまり、内部に行けば行くほど、低い温度ということです。とすると、かなり悩んだ地球の磁場の発生源が、超電導物質と同じ物だとする仮設が成り立ち、宇宙創世時に無くなったとする、ダークマターの謎が解けます。つまり、エネルギーの値のとり方が初めから間違っていたということになるのです。簡単に言うと、星と言われるものそれ自体は全体として、エネルギーゼロであり、その地表で織りなしてきた現象下ではそのように考えるのが当然のような知識、認識が、本当はその局面だけの見方で有って、宇宙全体ではそのような見方をしてはイケないのだと。まあ、どの考えを信じるかはその人自由ですが、真実は一つです。間違っていれば藻屑と消えゆくまでです。それが、金持ちだろうと、貧乏人だろうと。


蓮の花とカルシウム [科学]

再びカルシウムなのですが、考えが纏まっていなかったので、重要な勘違いをしていました。それは、球対称な原子で、頂点が電子数と同じであれば、他の原子とは結合できないじゃないか、と言う疑問です。なので、wikipediaの原子特性の酸化数を良く見直すと、酸化数2、1(強塩基性酸化物)とあり、赤字です。この酸化数と言うのは、結構曲者で、誰も余り深くは考えないかも知れませんが、私は、球の凸凹と言うイメージで捉えていますから、酸化数とは考えていません。例えば、カルシウムは、2個出っ張っていて、酸素は2個引っ込んでいるから、鍵穴の数がピッタリして、CaO になると言うイメージです。
ところが、私の理論上カルシウムは、その凸凹が無いにも関わらず、何故か結合しているとしないと、やはり色々な現象が説明できません。例えば骨であるカルシウム同士の結合です。常識としての酸化数2にしても、結晶構造の結合は出来ないし、共有結合していると考えても、体の中で共有結合するとは、マグマのように体が燃えたぎることに成ります。

これからも明らかなように、カルシウムは特別な結合をしているとしないと、論理矛盾します。そこで、今迄考えて来た、膨張による内部合体で考えると、何処まで合体できるかの問題が出て来ます。特に光合成の場合では重要で、デンプンの出来る仕組みだけ考えると、電子は、1個以上の電子量を受け取ると、軌道から飛び出すとしました。これが、光電効果であり、電子が整数値で飛び飛びの性質を持つ原因でありスペクトルで見ることが出来ると言う物です。とすると、カルシウムは40個内であれば、他の原子と合体できます。つまり、炭素であれば6 x 3個 = 18 で3個常時格納できます。これは、光合成する前の状態でも可能なので、葉は、根から単体で呼び出すことが出来ます。浮揚を考えれば、後2個水素も追加可能です。
今回は、只普通のカルシウムで考えると、カルシウムは、葉の中で結合せず、単独で存在でき、光を受ければ膨張します。この膨張による電子の受け入れがどのくらい可能なのかは、定かでは有りませんが、少なくとも20個以上は可能だとします。植物の目的は、光の最効率利用とすれば、一番呼ばれる物質は、二酸化炭素となる分けですが、電子粒子量としては、6 + 8 + 8 = 22 で判断は微妙なところですが、可能としました。植物の成長に必要なのは、主に炭素であり、酸素は二の次になるので、酸素は大気中に逃げ、炭素は取り込まれます。この炭素は、カルシウム内であれば、問題ないのですが、外に出た場合危ないので、周りの窒素が、包囲する形で、取り込まれることになります。何となれば植物の場合、一酸化炭素でも良い訳で、人に必要な栄養素がどんどん出来そうです。

さて、日中はそれで、化学分解して構成物質が出来て行きますが、日中光の量が多くなる場合、夜の場合はどうなるでしょうか。今の時代の気象状態を考えると、荒れ狂っていますから、日中枯れる植物も有れば、例年通り実がならない植物も有るので、植物の多くは自ら光の量や温度をコントロールすることが出来ないのだと思います。とは言え、それが出来る植物も有ります。
話が逸れますが、蓮の花がそうです。花は光合成はしないでしょう、と言うかも知れませんが、しないはずがありません。何故かと言えば、池に浮かぶ蓮の花は、葉よりも高い位置で咲きます。なので、蓮の中に出来る実の種は、その高さより高い位置で光合成をする植物でなければ、実はなりません。とすれば、花びらが光合成しないと、実は付けられないことになります。実際、実を付ける植物を見て下さい、殆どは、葉の下であり、又は根です。天辺に実を付ける植物は有りません。
じゃあ、実を付けないさくらはどうなんだ、と思うかも知れませんが、サクラの老木は、ちゃんと実をつけます。

それでは、蓮の花です。この花は、時間で咲くことは知られています。朝6時頃から、昼頃迄と有り、余計な光合成はしてないこととなります。子供の頃は父が池に蓮の花を植えて呉れていたのですが、今は無くなってしまい、観察は出来ないのですが、これは、時間と言うより、ある一定の光合成量に達したら、閉じているのだと思います。また、花びらの数が、普通の5枚、6枚とは違い、20枚ぐらい有るのは、原子の組成であるカルシウムが関わっていると想定されます。
面白いのは、ひまわりです。花びらの数は、花の大きさに選りけりで、多いものでは、30枚以上も有ります。と言うことは、夏の暑い盛りでは、カルシウムの中に、相当色んな原子を格納しているものと予想されます。

さてこれらを踏まえると、夜、日が当たらない時間帯は、出来た物質をカルシウムの収縮により、吐き出して、実に蓄えていることになり、昼夜の温度差が有ればある程、実がより大きくなることに成り、又は濃縮されることになり、作物の出来に作用していると言えます。

とは言うものの、これらのミネラルと言われる物質で、一番多いのは、カリウムです。カリウムは人体を構成する物質ではないし、必ずしも必要ではない様な気がするのですが、何の役目を果たしているかを考えると、周期違いで、同じ性質を示すナトリウムが有ります。私が考えるには、ナトリウム、特に塩は、余分な電子や、汚れた老廃物を取り出す役目だと思っているのですが、カリウムも同じ役目をするだけで、下手をすると、返って体の不具合を起こす原因物質ではないかとさえ、思えます。
では、イモ類に多く含まれるカリウムは何の役目をしているのでしょうか。
原子の膨張も出来ないようだし、球対称からも外れます。とすれば、運び屋と貯蓄しか有りません。つまり、女王蜂のように、大量に作り出した物質を大型トラックようにで運び、大型保管庫に格納する。これしか考えられないとすると、やはりカリウムは、人間には必要ないとしか言えません。

しかし、wikipediaでも、必須物質に成っていて、神経伝達では、長い説明が有ります。
確かに、少量であれば摂取してもすぐどうのこうのと言う反応は無く、どちらかと言うと非常時に作用すると言った感じがするのですが、勘違いでしょうか。
と言うのは、説明の中には、塩化カリウムは、心臓手術の時に心臓を止めるのに使われ、刑事裁判では、死刑に使われる薬とされています。
塩でも、多量の摂取はダメなことになっているので、やはり同じことです。
この手の説明は、ヤバいことを聞かれた時の国会答弁と同じ、難しい言葉の羅列と話の繋がらないしどろもどろの説明が多く、読者の理解を得らせようとするものとは、程遠いものです。
なので、私なりに言わせてもらえば、子供の成長時にはカルシウム同様、必須と言っても可笑しくは有りません。何故なら、カルシウムの様な比較的重い原子は同様に重い原子でなければ運搬は無理で、電気的にも、一回のトランスポートで一気に運ぶとなると、ナトリウムでは電池切れになる筈です。なので、カリウムは、中枢を司る骨の周りに常駐していないと、何かの時に対応できません。ところが、成人に成って、殆ど骨格が出来て来ると、カルシウムもカリウムもさして必要が無くなり、大人であれば、必ずしも必要が無くなるとした方が、理論的には辻褄が合います。
また、このカリウムが塩素と結合した場合は、致命的です。ナトリウムとは違い、重さは近いので、そう簡単には分離できません。こうなれば、金属が脊髄の周りに出来る様なものです。つまり薬殺刑の薬に成り得るのです。

私のこの説明は、簡単に済ませていますが、中枢に常駐するカリウムは、もっと複雑な動作をする事になるのですが、これは、植物で説明した方が良さそうなので、先に回すとして、今回はこれ迄とします。

中々カルシウムは、圧巻で、梃釣(てこづ)りそうです。
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球対称の破れ [科学]

カルシウムは、不思議な物質だと言いました。そこで、この奇妙な性質は、他の原子と何処が違っているのかと考えると、周期律では、3、4周期の中で唯一陽子と中性子が等しい原子で、等しい中では、ネオン原子を除き2周期の酸素が最後で、飛び離れており、しかもこれが最後の原子で、他には有りません。カルシウムにも同位体は有りますが、パーセンテージでは、3%で種類も分かれますので、この場合は省きます。考えてみると、この手の原子は、体を構成する不可欠の原子で、鉄等の微量原子は、触媒として考えています。
こうなると考えなくてはならないのが、中性子が陽子より多くなった時の、中性子の役割です。通常絵で見る原子の構造は、陽子(赤)と中性子(白)が同じ大きさで隣同士に並んでいて、外側を電子が回ると言った、見慣れた図です。子供の頃から見慣れていて、そうなっていると信じ込んでいた事もありますが、どうやら、違うみたいです。

原子の伸縮を考えるのでれば、当然原子核も伸縮すると考えるのが、道理です。例えば、電子と言うか、電子が存在する電子帯が膨張するとなると、電気的に対峙する陽子も膨張する事は、想定されます。そうなったとしても、問題は発生しません。ところが、中性子は電気を帯びていませんから、一緒に膨張する事は考え難く、又必要もなく、そのままで存在したとしても可能です。つまり、質量は陽子より多少重くても、大きさは相対的にいくらでも小さくなって行く事になります。つまり、密度が違うと言わざるを得ません。特に地球のように、温度が300K°近辺の世界では、そうなのだと思います。そうだとすると、中性子は陽子に捉えられる様な形で、容易く動けません。その現象が重力の源としてもよいのですが、まだ早計です。
さて、それでは、中性子が一個でも多くなった場合は、どう考えれば良いでしょう。例えばナトリウム等です。原子は、金属の性質を持つ場合、必ず中性子が一個でも多くなるとされています。逆に考えれば、陽子11、中性子11の原子が自然にいっぱい有っても良さそうなのですが、存在しません。と言うか、無い事になっています。これは、原子崩壊してネオンに成ってしまうとされ、私の考えでは、原子の球対称の破れから生じているのだと思います。これは、カルシウムの同じ族であるマグネシウムにも当て嵌まる様です。つまり、正20面体を構成できるカルシウムだけが、この球対称の破れから逃れられるとする考えです。そう考えれば正10面体のネオンも同じ事が言えます。

こう考えて行くと、中性子 ー 陽子 = 余った中性子は、原子核の中でどう存在することに成るでしょうか。金属は、熱による膨張率が低いことから、陽子の膨張を妨げるように、又はロックする様な形で存在すると考えられ、その場合、陽子中性子を包む様な形体が妥当です。そうだとしても不都合はなく、重い殻で包まれるが如く、核は安定します。

今迄は、カルシウムばかりで説明して来ましたが、そうなると、伸縮できる原子は、他にも、水素、炭素、窒素、酸素も同じことが言えることに成ります。ただし、そうだとしても、水素は最小原子なので、伸縮は運動エネルギーに変わるだけで、窒素は球対称から、大きく外れますから除外できそうです。

そうすると炭素、酸素はどうでしょうか。私の理論上、炭素は水素4個と合体でき、酸素は水素2個と合体できますが、光合成と違い、同じ大気中では同様に膨張する分けで、実質上は無理と言う結論に成りました。つまり、今迄の常識で考えられる結合ばかりです。

こう述べて来た所で、気付いた人もいるかと思いますが、対称性の破れとは、南部陽一郎先生が言っていた理論です。また、重力の発生を言うなら、今私の言っている理論だけでも十分です。これは、大部前にも言ったことが有るのですが、ここで又出て来たので、敢えて言わせてもらいました。

最近思うのですが、最初に結論有りきで、嘘で固めて結果だけ合わせたとしても、嘘からは、嘘しか生まれません。ひょうたんから駒、嘘から真(まこと)なる詭弁も有りますが、いくら着飾ってみせた所で、詭弁は詭弁です。嘘は嘘です。何の信念も無い、無信仰な人に取っては、お金がすべて、と言うのも頷けるし、地獄の沙汰も何とやらの皮肉が生まれるのも、致し方ないのでしょう。

私の挑戦は続いてはいますが、日本が滅びようが、人類が滅びようが関係ありません。何のためにこんなことを考えているかと言うと、滅んだとしても再生可能な理論を構築しているからに他なりません。もはや、そこ迄進んだと考えているので言っているのですが、宝は天に、と言うのは嘘ではないのです。
日本がアメリカから、オスプレイを買って、何を守ろうとするのか、何から守りたいのか私には分かりません。私の命なら自分で守るだけですので、それが駄目なら、死ぬ迄です。そんなことより、福島の原発爆発事故で被災して、行く当ても無くなった人達を、救済するどころか、難癖を言って保証もせず、死んで行くのを見守っている様な、その人の心の方が、空恐ろしくて成りません。住民が反対しているのに、強行して結論ありきで、お金だけ差し出す誰かの心の方が、怖いのです。

まあ、世の中色んな人が居て成り立っていますから、飽くまで個人的感想ですが、少なくとも、こんな人も居ると言うことで、受け取っていただければ幸いです。
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火の玉とカルシウム [科学]

時空の同一性を考えてみると、大した問題が発生しなかったのですが、もしかしたらの現象が又現れたので、何かと言うと、昔の怪談話に出て来る人魂です。火の玉と言った方が良いかと思い、火の玉で言うと、昔墓で良く現れると言う火の玉は、このカルシウムの性質だとすると、科学的に説明できます。
最近は、死んだら火葬場で処理しますから、そんな事は無いとは思いますが、昔は土葬だったことを考えれば、骨と何かが化学反応すれば、燃えることが可能です。
しかし、そこで可笑しくなるのが、何故大気中で起きるかと言う科学的説明です。目の錯覚で済ませれば、それ迄なのですが、それでは問題棚上げ、事なかれ主義の誰かと同じになってしまうので、言わせてもらうと、骨のカルシウムが水で化学分解したとして、カルシウムが単離したとします。このままだと当然何も起こらないのですが、大気中の結合を考えれば、酸素と結合する燃焼が始まるとすれば、火の玉の正体の謎が解けると誰しも考えるかも知れません。
しかし考えて見て下さい。大気中では、どちらも重い原子であり、結合時炭素のように大気中では燃えません。まして、土の中です。どうやって、墓の上迄上昇するのでしょうか。
そこで、カルシウム原子の膨張です。かと言って、土の中では、膨張は期待できません。
しかし、水素原子の様な小さな原子だったどうでしょうか。ここは、可能としました。ここで、酸素の時は、余り気にしなかったのですが、カルシウムが取れる電子の数です。私の理論では、20 - 2 = 18個の電子が、原子一個で取れますので、仮に18個としました。なので、水素18個と合体したとすると、これは、外部の結合のように、水素は容易く離れることが出来ず、反物質がそのまま重力に逆らえます。つまり、浮いて来るのです。
大気中では、夜と言えども、夏の暑い時期では、又膨張して今度は水素が飛び出て酸素と結合できます。これが、火の玉だとすると、かなり信憑性が出て来ます。
まさに、墓から湧いて来て、彷徨いながら墓に戻るお化けの話にそっくりな動きに成りそうです。

前に水素の燃焼で、水素は炎を上げないと言う論説を採用して、その様に考えていましたが、どうも、条件次第で、炎が見える時も、見えない時も有るとした方が正しいのだと思うようになりました。ロケット等の推進に使う燃焼の場合、水素が一気に大量の推進に使うと、燃焼ではなく、反物質による単なる推進に成り、燃焼は極僅かになり炎が無い状態に成るとした方が、現象を上手く説明できます。

今回は、酸素だけの燃焼を考えていますが、水素と結合できるのは酸素ばかりではないので、色々な色にも変化できるとした方が良さそうです。

この考えが正しいかろうが、間違っていようが、通常はどうでもよい話なのですが、これが正しいとなると、困るのが医療の世界、医薬品の世界、サプリメントの世界です。
今は未だ、二例だけを示しているだけで、このパターンはかなり考えられます。特に骨肉腫なるガンは、この理論を無視すると、とんでもない治療となりそうです。今のところ、未だそこ迄踏み込むには、もっと検証できる事例を探さないと、徒労に終わるので、出来ませんが、今のところそんな病気には成らないよう気を付けましょうとしか言えません。

話を先走ると、光合成をする物質は、直感的に考えてマグネシウムではなく、カルシウムの方がより適切になります。何故なら、電子を余計ため易く、夜になってくれば、出来た物質を実や根に戻せます。しかも、重さを調整できるのです。また、牛乳にカルシウムが含まれるのは当然であり、牛は成長にカルシウムは欠かせません。
では、光合成のメカニズムでカルシウムが発見されない理由はと言えば、どの時点で確認したかによって、カルシウムが変化しているので、何の物質か特定困難な原子なのだと思います。例えば、ケイ素と合体した場合、大変です。この場合、電子は依り豊富に得られるかも知れませんが、それがそのまま残った状態で、人間が摂取した場合、条件が合えば、ケイ素だけ出て来て、内部を荒し回り出してしまうと言う、最悪の場合で死亡するケースも出て来ると予想されます。
つまり、細菌で片付けてしまうことが出来ても、何処に隠れていたのか特定できないと成ってしまうのです。

私としては、謎とされている問題の難関を一面クリアした気分なのですが、どうでしょうか。あれから紆余曲折は有ったとしても、まだ落ちません。
挑戦は、続きます。
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原子の伸縮 [科学]

運動を理解するのに、手っ取り早いのに、乗り物の移動が有ります。飛行機で、日本からアメリカに行く、新幹線で東京から鹿児島まで行くと言った点から点への乗り物を利用した運動です。これなら誰でも理解できそうです。しかし、これをイメージしたまま、原子の運動に適応させると、ある種のジレンマと言うか、落とし穴に落ちそうです。私も、これで迷っていました。例えば、卵は、ビー玉の様な形をしたミクロの原子で満たされていて、それが、細胞分裂をして、卵から孵るのだと。
しかし、これだと分割できない原子が分裂して行くか、原子の集合体として見たととして、その部分その部分として分割して行くと考えるしかありません。前者の場合、核分裂と同じ事なので、有り得ませんが、後者の場合でも、始めに何か完璧な原型が無い限り、分裂は成功しないし、完璧なものなら、始めからその様に存在する筈で、細胞分裂する必要は無いと考えるのが妥当な筈ですが、そうでは無いので、今まで考えて来た理論とは、又は一般の常識とは、真っ向からぶつかってしまった訳です。

しばらく考えた末に、自然の中にはこれを解決する現象か生物がいる筈だと探しては見るものの、見当たりません。
この間蚊に付いて言いましたが、モスキットは、人間の血液を吸って、雄から遺伝子だけを貰って、子孫を増やしています。と言うことは、血液は単なる原料材料と言うことに成り、完璧なものではなくなってしまいます。と言うことは、完璧なものとは、雄の精子であり、卵は単なる材料であり、栄養源だけとなり、必ずしもそれでなくては成らないものとは成りません。しかし、実際はそれでなくては成らないところを見ると、卵には常識とは違う構造だと言う結論になりました。

つまり、たまごは、それ自体で、一個の完璧な物質であり、原子だと。

しかし常識的に考えて、鶏の場合、卵が一個の原子だとすると、相当大きな原子です。第一仮にそうだとして、原子はもう分裂できないじゃないかと、誰しも思う筈です。
そこで、運動の定義と、原子の大きさの定義を疑ってみました。これは、アインシュタインも言っていた事なのですが、漫画化されて、皆に誤解されて終わっている様です。数式を使ったとしても、言語で表現しようとしても、どちらでもイメージし難いし、私も今まで、そんなイメージは語っていません。
しかし、もうここを避けて通ると、怪しい大人の世界に成るので、避けられないと感じたので、無理にでも押し通す事にしました。

そこで、虫の幼虫である芋虫の動きに着目しました。卵から孵化した芋虫は、移動する際、からだ自体の伸び縮みを利用しています。又はしゃくり上げて移動します。虫の様な小さな生き物は、今までも言って来たつもりなのですが、原子事体の運動を利用して、運動している場合が多いので、この場合も、そうなのだとしました。特に蝶等の葉を食べる虫は、顕著です。これらも、ある程度光を浴びていますから、光を浴びた原子の運動を利用していると言えます。
これからも判断できるように、原子自体が伸び縮みをしていると仮定できます。

とすると、大気中の原子の状態が今までとは、違って来ます。結果としては同じ事に成るのですが、過程が大部違って来ます。つまり、炭素原子にしろ、自転による運動を、地球の様な自転で説明して来ましたが、これに伸び縮みと言う動作を加えなければ成りません。というか、原子の場合、規制するものが余り有りませんので、広がりと言った方が良いかも知れません。では、どの位広がるのかと言った問題が生じますが、計測は不可能なので、計算は出来ないとしなければ成りませんが、敢えて言えば、小さな生き物達、蚊や子バエが、人間の動きを察知できる距離の大きさとかで、表現できるとは思います。
また、これを他の分野まで拡張すると、上手く説明できる現象も有りそうです。
私も今検証中で、不都合な所が無いか探している最中なので、未だみち中場です。

と言った所で卵に戻ると、材料と成る養分と、原子一個分の設計図とも言える広がった原子であれば、細胞分裂は可能です。つまり、一体と成った系をそのままに、それに合わせて、材料を組み立てて行けば良い分けで、それを細胞分裂とすれば、論理破綻しなく成ります。

さてこうなると、化学の常識が崩れます。原子がそんなに大きく成ったり、小さく成っりされたら、化学結合をどうやって説明するんだと。

確かに説明は大変に成り、マンガチックに成りがちです。ですが、よく考えてみて下さい。化学は、自然の中の現象を、断片だけ捉えた独立した体系で物事を考えています。物理学も生物学も大して無関係に展開していますし、実験で検証している事は、有る結果で出来た物質を利用したものばかりで、その前は、その後はの検証は、問題外です。
大気中の原子の重さを量りましたか、大きさを測りましたか、全ての種類の原子を単体で計測しましたか、と問い直せば、きちんと答えられる人がいるでしょうか。

こうなると、物理学でも同じ事が言えます。原子自体が大きさを変えられるものなら、分割して物質を探しても意味は有りません。何処までも際限なく小さな物質が出て来る事に成ります。私の理論は、それを規制していて、科学の世界で通用するもの、ヒューマンガイドラインに抵触しないもの迄としていますから、問題ないのですが、それを延々と繰り広げている人達もいるので、いやはやです。

これで言える事は、学問にこれでお終いと成るものは何一つ無いと言うことです。
だから、ヒッグス粒子を求める話で無く、そんなものでなくても、現実の世界で求めなければ成らないものが、他に沢山有ると言うことです。

それで言うと、コンピュータの世界での、オブジェクト指向から出来たOSは、理にかなっています。私の卵説もこれから大いに拡張できると考えています。
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地球の末路と火星 [科学]

あれから色々迷った末に、辿り着いた一つの結論に、火星にかつて生物が存在していた可能性が出てきた、と言う現実味の無い様な、理論として成り立たない様な結論が出て来てしまいました。
私はそう言う話は、好みでないし、どちらかと言うと嫌な話になるのですが、そうした方が、地球での未知の出来事を、上手く説明できる現象も有り、今は生物が生存できないとしても、遥か過去の事は誰も未だ検証はしていないし、かなり難しい事も有るので、課題にすると堂々巡りのパンドラの箱になるので止めますが、では何故その結論が出て来たのかの説明です。

考えていたのは、星の内部の構造と地殻の物質に付いてでした。太陽は太陽系の主星なので、地殻は未だ存在しないとしても、さて、太陽の中心部の物質は何で出来ているのか、考えると、常識として知られているのは、太陽は核融合していて重い物質で出来ているとされています。それも考えられる一つの理論だとは思うのですが、それで考えると、地球はそれが成立し難い星なのです。これは前から不思議と思っていた事象なので、調べてはいたのですが、いまいち納得がいきませんでした。と言うのは、地球の表面と言える地殻には、核物質と言った重い原子がかなり有ります。それは、流星が運んできた事になっていて、元々地球には無かった物質となっています。そうだとすると、少なくとも流星が落ちて来た痕跡が、何処かで見つかる筈なのですが、見つかっていません。海に落ちたのであれば、それも考えられるのですが、カナダ、オーストラリアと言った大陸は、嘗て海の底に有った地歴は無く、オーストラリアは大きな地殻変動は無いとされる大陸なのではないでしょうか。ウランとかどういう状態で採掘しているのか知りませんが、採掘できると言うことは、地球の規模から見れば浅い場所に有ると言うことで、どうも理屈に合いません。

で、その前に考えていた卵説から引用できる事象が脳裏をかすめたので、鶏の卵を見てみると、中心から黄身、白身、殻となり、地球で言えば、コア、マントル、地殻に当て嵌まり、卵で言えば、コア、マントルは重い物質でなくても良い分けで、寧ろ地殻が重い物質、又は結合力が強い物質、堅い物質で有った方が、安定すると成ってしまいました。つまり、地球の中心部分は、軽い物質の方が安定するのです。これは、重力の法則から言ってもそうなります。内部が流動的な場合、重い物質が有ると、重力に反応して太陽なりの重い物質に引っ張られます。なにで、外部に出ようとする力が働き、結果的には、地表に出て来るのです。そう成れば、ウランが地殻に有る事も、悩む必要が有りません。

そうなると、地球が卵であれば、地球の未来がどうなるかある程度見えて来ます。それを探していたら、火星が出て来た訳です。私が見た所、今の火星は死んだ星です。太陽系の出来方は、もう述べていますので、触れませんが、理論的には火星はもっと大きくなければならないところ、爆発か何かの原因で、軌道上に一部散らばったと思われる流星群が有り、その時は、それだからどうだと言う現象が結びつかなかったので、内心保留にしていたのですが、ここで、地球の末路が今の火星の状態だと言うことに成り、出て来ました。

生命だけなら、今まで述べて来た条件を満たせば、どの星だろうが誕生します。なので、今では無理だとしても、今の地球に近い条件であった火星であれば、火星人まで生命が育まれた可能性が、出て来たのです。
それが事実と仮定して、では何故火星は、生命が無く成ったのか、どこまで、生命の進化が有ったのかの問題が出て来ます。何故ならその実績が、そのまま地球に引き継げるからです。私のブログを読んできた人達なら、分かる筈です。

では、火星はどう言った、現象で今の火星に成ったのかと考えれば、一番妥当なのは、地殻部分が何かの原因で、吹き飛んだとすると、太陽系も大した変化も無く、安定した変化と成ります。多分その時は、水星は未だ誕生しておらず、火星ももっと太陽に近かったと成ります。しかし、地殻が壊れる現象は有り得るのかを考えると、今の地球の状態を考えれば分かります。仮に火星がその当時、地球より大きかったとすると、より重い物質で地殻が形成されたと想像できます。そうすると、ウランの様な核分裂する物質が余計に有った事と成り、生命が滅んだ時点で、自然分裂が進み、連鎖反応が進み同時に地殻が吹っ飛び、今の比較的軽い物質だけで、形成されるようになった、と見る事が出来ます。なので、生命が存在していたとする痕跡化石も、無くなり検証も出来ません。どこかで、火星の微生物の化石が見つかっていると成っていますが、有り得るとしても、私にとってはさして重要では有りません。

地球が今後、どのような変化をして行くかは、遠い未来の話で、今は目先の問題を解決して行くしか有りませんが、少しは心の片隅に入れておいても、そんは無いと言う位置付けで、関連事項は別として、これはこれで、完結です。

ここから違う話なのですが、何かイジメの問題がクローズアップされて、連日報道が有るのですが、どうなんでしょうか、私から見れば、大人が立派な姿を見せれば、自ずと子供は見習う筈なのに、それ無しに、制度や何かで解決しようとすれば、より複雑化し、解決に道を閉ざす様な気がしますが、大人は気付かない振りをして、法案だけは通そうとしています。偉い人は、幾ら言ったって分からないんでしょうねえ。
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卵説 [科学]

前回では、光を無としました。仮に無から電子、反電子が生じたとします。しかし、これだけでは、すぐ電子と反電子が対消滅してしまい、光に還元します。つまり無に帰します。実際真空中と言われる宇宙空間では、起こりえる事です。
今の物理学では、光か電子かを厳格には、区別していないと思いますが、ここだけの話で区別すれば、光はこの世では、最高速度でC=一定で表されますが、電子は反電子の御蔭で質量を持ちますから、C よりは速度が減ります。
では、この場合、電子の大きさはどうでしょうか。測れるでしょうか。不確定性原理で測れないことになっていて、単に量子となっているはずです。
では、原子に付随している電子の大きさは測れるでしょうか。これも測れない筈です。何故なら、量子が有る一定の量集まった定量値が、一個の電子になっているからです。
では、原子核の大きさは、何を基準として測っているのかと考えました。
私は今まで、教科書にある通り、小さくてイメージし難いですが、有る一定の大きさで、原子核の種類事に、大きさは決まっているものと思って来ました。
しかし、よくよく考えると、迷信を信じているのと同様、有る一定の大きさと言うものも無いのではないかと考えないと、矛盾してしまう現象がある事に気付きました。それは、人間の瞳孔の動きです。目は光を当てると、瞳孔が収縮する事は知られていますが、それは、目の筋肉が調節しているからだとされています。それはそれで説明になっているので良いのですが、この筋肉の動きとは、条件反射みたいなもので、人間が自ら意識して動かしている訳ではない筈です。現に暗闇から急に明るい所に出ると、痛いくらいの眩しさを感じます。つまり、筋肉の調節を自らする前に、瞳孔が動いていて、後から筋肉が吊られて動くものですから、そう感じるのではないでしょうか。と言うことは、原子自体が持つ特性であり、人間の意志とは無関係なものとなりそうです。
さあ、そうするとどうでしょうか。原子は自らの運動状態や、周りの運動状態によって、大きさを変える性質があるということになります。
これは、原子の電子空間だけで考えても、成り立ちますが、私の理論は、原子核の物質も同様な量子として考えていますから、原子核も状態によって大きさを変える事となります。
一般相対性理論では、質量には触れていますが、大きさについては、何も触れてはいないし、それは、ジャンルの違う化学の世界の話で、そこまでは責任を負っていませんので、責めようは無いのですが、今の時代はそれでは済まないのだと思います。

さて、この考えをそのまま受け入れると、大きさを決める基準が、非常に曖昧となって来ます。地球と言う同じ重力場で大きさ質量を決めている分には不都合が無いとしても、初期の宇宙とか、他の銀河系とかとなると、違った尺度が出て来るかも知れません。大きさが曖昧となると、原子一個と言えども、大きいとも言えるし、小さいとも言えるし、小さい世界にも、宇宙と同じ営みがあるとも言えるし、今の宇宙像は、実は原子一個分の大きさで、宇宙はそれ以上に大きく、我々が見ている宇宙は、実は陽子のような、小さな球体の上から覗いている小さな小動物が見ている様な一小片の世界で、無限に大きい世界かも知れません。

そうやって拡張して考えて行くと、小さい世界と言えども、そこで起こりえる現象は、大きな世界でも起こっていると考えても矛盾は生じず、宇宙の初めは卵の様なものから生まれたとする卵説でも良い分けで、核爆発の様なビッグバンから生まれたとする理論よりはマシだとなった訳です。実際そうすると、ブラックホールとは、初期の星団とは、と考えた時上手く説明でき、今後の宇宙の活動も簡単に出て来ます。それは述べませんが、これでも問題は出て来ます。先に言った細胞分裂です。

生命が誕生する時は、その生命の形は卵の時に粗方決まります。つまり、魚になるか、鳥になるか、動物になるかです。その時細胞分裂で、形が出来上がった時、Hello World! となって世の中に出て来る訳です。そうだとすると、原子も細胞分裂みたいな性質を持っている事となり、初期の段階で分裂して行ったのが、それぞれの各原子と言うことになり、それだと、ウランのように陽子と中性子が沢山有る原子も、元々水素原子の様な単原子から分裂して行ったと言うことになり、質量は別個に考えても、大きさが何とも合いません。ここで困って考え直した訳です。

幸いにも、瞳孔という現象を見つけ出し、大きさが条件によって変わるものだったら、それを理論付けて展開する事が、可能ではないかと。
今は未だ、それを展開していませんが、可能となった場合、化学の常識が変わります。それは、想像してもらえれば分かると思います。

それでは、原子自体の分裂は、何処までも際限なく続くじゃないかと言う話にもなりますが、理論上はそうなります。成りますが、そんな事延々とやっても意味はありません。加速器を使ってやっている人達もいますが、意味は無いどころか、庶民が理解できないことを良い事に、庶民の生活を圧迫していますし、隠蔽も出来ます。彼らは、実験に使う陽子を何処から持って来ているかに付いては、不問にしています。さて、何処から持って来たかに付いては、一番近くに有った、福島原発の放射性廃棄物から持って来るのが、手っ取り早いと考えていた筈です。ところが、あんな事故が起きて、原発全停止の事体になると、困る訳です。実験が出来ません。そこで慌てて、問答無用で再稼働させるために、マスコミを使って、神の粒子なる荘厳な儀式を放送した、と考えれば辻褄が合います。
これが事実かどうかは別として、最近この手の事件報道が絶えません。
多分報道関係者は、誰もそんな知識を持ち合わせていませんから、本筋を見失いがちですが、しょうが有りません。政治家ですら何の事やら理解できないのですから。言ってみれば、AIJの社長みたいなものです。蓋を開けてみたら、犯罪者に成っていた、類いの話です。

話が又逸れてしまいましたが、それでは、その分裂を規制している物質の運動速度の話を今度はしたいと思います。
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脚本家としての官僚 [科学]

イエスは、子孫を残していませんから、このバーチャルな鏡の様な電子の分身は、大地に落ちます。落ちて、又身を宿せる物質を探し出します。その間は、世界を彷徨う事に成ります。植物の種であれば、同様に大地に落ちなければ、また、実を結べないのと同じ事です。又は、子孫を増やせないのと同じ事です。

今の科学、特に医学では、この概念は有りません。倫理に触れて複雑怪奇になるからです。事故による怪我の治療ぐらいであれば、何の問題も生じないとは思いますが、心理療法となると、医療器具の発達とは無関係になりますから、注意が必要だと思います。つまり、この分身の分配を授かった人間は、ひとたび、一人でも異常が生じると、無関係に存在していると思われても、それ相応の傷を負う事に成ります。医者にはこの事象は、到底理解できませんので、お手上げ状態と成り、誤診にも繋がります。これは宗教で言うところの、霊魂不滅です。
そんな筈はないだろうと、多分思うでしょう。しかし、医師にも患者になった人にも聞きたい、過去にそういう患者はいませんでしたか、そんな症状を患った事は有りませんでしたか。
この手の症状は、表沙汰には当然なりません。外部には謎とされて、病名だけは与えられます。しかし、今のところ、誰が見ても、誰が考えても、とんちんかんちんの世界です。これは、世間一般にも見られる現象なのですが、誰でも掛かると言うものでもありません。医師と言えども人の子ですので、完璧を求めるのは患者のエゴでもありますから、取り敢えず認め合うのが、関の山です。薬は副次的なものでしか有りません。

さて、落ちた分身は、試行錯誤をしながら、成長しやがて又実を結ぶため、運動、又は行動し、引き合い、求め合います。
その際に副産物として生まれるのが、文学であり、科学であります。

こうして見て行くと、ある程度人の運命は決定されているかのように思えます。
実際そうだとは思うのですが、人生は、筋書きのないドラマの様なものです。脚本が有って、それを演じる役柄が決まれば、それに適任の役者が選ばれ、筋書きを知らされていない客は、想定が出来なく、事実に近ければ近い程、架空の現実に引き込まれます。それがドラマと再確認した時、夢から覚めるように、やはりドラマだったと気付きます。つまり、決定されていた、と気付く筈です。
実際人生は、もっと複雑です。天気を予測するのと同じように、地震津波を予測するのと同じように、ある程度は予測可能でも、詳細となると未だそうはいきません。また、上り詰めるのは、苦労が伴いますから中々上手く登れない場合が有ったとしても、落とし穴に嵌った場合、どこ迄落ちるかは、その時の運としか、言いようが有りません。つまり、うっかりは出来ないのです。奈落は底が有りませんから。

それでも、同一の電子群だったものが、また一つに集合するだけだから、比較的容易ではないのか、と思うかも知れませんが、時間が経過すればする程、これらも成長変化して、見抜くのは相当の知識と、洞察力と、判断力が求められます。どっかの試験問題とは、打って違った世界です。まして、お金に目が眩むと、大失敗です。奈落の底が待っています。
まあ、良い例があるので、又引かせてもらうと、今の政治の世界がそうです。政治の世界も、似た様なところがあって、決めなきゃならない法案は、つまり、筋書きは出来ているのですが、こんなドラマでも、何年も役者を演じられるのは何故かと言えば、一つには、時間が経過しても報酬が変わらないと言う保証制度が確立している事も上げられます。完璧だったと思える議題が、考える頭脳ばかりが増え(議員数)、論点を見え難くし、数の論理で自らの自縛に縛られると言う結果が、今の状況なのだと思います。つまり、ドラマの中には大概が主人公が、一人で、脇役が固める訳ですが、この主人公一人の定員に対し、3、4、5、6人も居る状況です。増して、あいつが主人公なれるなら、党を分裂させて、こちらからも主人公を擁立させようと動けば、ドラマはしっちゃかめっちゃかです。面白くないのは観客の方ですが、筋書きを作っている脚本家、つまり官僚も困ります。そこに、柳の下のドジョウが現れてくれたので、「坊ちゃん一緒に遊びましょ」とばかりに、これを担ぎ上げようとしている訳ですが、騙し通せるかは、次の選挙次第でもあり、それ迄の法案の決まり方次第ですが、すでに、奈落の底は、用意されています。何故かって言われれば、前にも言っている通り、時間が大幅に過ぎているし、頭かずも増え過ぎですし、私自身でさえやっとこさ避けた事を、平気で受け入れています。

私自身は、学問の立場から、物事を考え頂上決戦とも言える世界に備えているつもりでは居るのですが(他人が私をどう思うかは自由だとしても)、世の中はそんな人ばかりで成り立っている訳でもないし、分配されている、一部で判断せざるを得ないので、与えられた最善を尽くすだけです。

ここ迄来ると、科学と宗教は、切っても切り離せない世界と言うことになり、特に宇宙の運行は理解できない筈です。理解しているのは、人の頭脳なはずです。つまり、頭脳の中にそれ相当の事象が生じない限り、イメージも出来ません。特に先駆者はそうです。頭脳の周りで流れている電子の海の風をどう読み取れば良いでしょう。その結果として出て来たのが、太陽系であり、銀河であり、宇宙論です。
勿論、必ずしも全ての人が知っていなければならないものでもなく、関係しない人が殆どだとは言え、それ故、捏造され易くもなり、デタラメな方向にも流れます。
私は、今の教育制度を作った人と言うのは、その多くの関係しない人から選ばれた代表が作ったのではないかと思います。なので、学校が大きく揺れた時代も有りました。学級崩壊もそうです。私は、体験はしていませんが、試験のために学問が有る訳ではないのですが、生徒が多ければ、ふるいに掛けなければ、治まらない事も有るようです。最近は子供の数が減って来ているので、又は、そう言った生徒が子供を生徒として持つようになって来たので、そう言う話は聞きませんが、問題が解決されている分けではないと思います。

次は、喩えとしての頂上決戦と行きたいところですが、その前にまた問題あれこれとなりそうです。
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バーチャルの世界 [科学]

過去のブログ中に、人の脳の中にある中枢と言う部分を使いました。その中でバーチャルが無いと説明が付かないので、仮にバーチャルの世界を持ち出したのですが、この世界とはどんな世界なのかには何も触れていません。そもそも在るのか無いのかさえ、検証していませんでした。まあ、都合が良かった事だけなのですが、その事がずっと気になって、悩んでいました。
その時には、過去の偉人達が残した書物や背景を紐解くのが、手っ取り早いのですが、さして参考に成るものが有りません。そこで、ニュートンが考えていた、絶対空間を流れるエーテル成るもの、老子が使っていた、天の網、イエスの時代背景を総合して考え直してみました。

今では、そう言った問題は解決済みに成っていて、誰も考え直そうとは思っていないはずですが、出鱈目なルールでは、デタラメな社会しか出来ないと言うのが、今の社会を見れば歴然なので、私自身がそうならないためにも、考え直すのは、又は検証するのは、当然の結果です。国の在り方が、縦割り行政で済むんであれば、今頃被災地は、復興の兆しが出ているはずです。

ニュートンは、光が波であれば、その媒質が当然有って、それをエーテルとしました。理論上そうしないと、説明できません。しかし、エーテルは探そうとしても見つかりませんから、光は粒子だとしました。しかし、これだと、波としての光の性質が説明できません。このままだと、論理矛盾です。
でもちょっと待って下さいよぉ、これは、星々の運行を説明するために出て来た問題で、ここで抜け落ちているのが、人間の思考の上で、その何かを仮定しないと、脳の中で、思考できない何かが有るから出て来た問題でもあります。ニュートンは科学者でありますが、敬虔な信徒でもあります。逃げ道としては、神の計らいにすれば、それでも済んでしまいます。解決できなければそれが、思考の停止で、言ってみれば寿命です。

老子の天の網とは、どういう意味だったでしょうか。この場合の天とは、天下の天でしょうか、天国の天でしょうか、天気の天でしょうか。定かでは有りませんが、どちらとも取れます。ただ、私なりに捉えれば、地上より遥か高い世界では物事を斉一に捉える、慣らされる網の様な機構がちゃんと有って、無秩序ではない、と考えています。

この二つの事を会わせ考えると、人の中枢脳をコントロールしている何かが有って、何人も逃れられぬものに、支配されている、又は、人として逸脱しないようにヒューマンガイドラインが設定されている、と取れない事も無いはずです。
しかし、人間を支配しているのは、時として自然ばかりでは有りません。時の暴君だったり、形骸化した官僚制度だったり、独裁君主だったり、植民地と化した占領者だったりと、様々です。その方が楽な場合も有りますが、その場合では、自然を理解、追求する心は失われ、事有る事に翻弄されるだけです。

では、イエスの場合を見てみましょう。歴史を調べると、彼が生きている間、他の歴史上の人物で、表立って現れている人物が居ません。探そうにも資料が無いからかも知れませんが、何故か見当たらないのです。かと言って、他の民族が居なくなったと言う意味では無く、目立った台頭が無かったと言う意味です。
この時のローマ帝国は、地中海周辺を含む領土が絶大な時期を迎えていたとは言え、英雄らしき人物は居ません。マヤ文明は資料には登場しませんが、未だ繁栄期ではないと記憶しています。
さてこうなると、人々の脳を司っていると思えるこの何かエーテルのようなもの、
天の網みたいなものは、どうなるのでしょうか。他の功労者である英雄は、葬られていますから、「いと高きところのもの」は、一人の人間に一手に宿った事には成らないでしょうか。
通常は、誰彼に分配され、一つには成らず、人はそのために行動が定められているはずのものです。

ここで、これが本当ならば、宗教を吟味する方法が生まれます。今世界を騒がしている宗教のイスラム教はどうでしょうか。西洋では、暗黒の時代に生まれた宗教と言うことに成っており、西暦600年頃としました。元々、資料が正確だとは誰も立証できる事ではなく、正確な年代は、試験問題だけで結構ですので、時代認識が出来れば十分です。
この時の予言者ムハンマドに対する、歴史上の人物も居ない様な感じはしますが、新しい国々が続々出て来る時代でもありますし、マヤ文明も繁栄して来ており、今の中国も唐として、存続しています。私に言わせれば、イスラム教は、自民党から分かれた民主党みたいなもので、数合せで対抗しようとし、その上を行こうとしたけれども、結局自民党以下に成ってしまった、みたいなところが有って、科学的説明も出来ません。これこそ科学とは無縁の宗教です。とは言え、二輪草とトリカブトが存在するように、否定はしません。
ここで見落として行けないのが、日本の歴史です。逆に日本では濁った雫が落ちます。壬申の乱です。年代は離れているように見えますが、不穏な動きは前後しますから、同じ様な時期と言って良いのだと思います。この乱は、天皇制の根幹を揺るがす事件ですから、日本史上重要と位置付けしているのですが、これも曖昧で片付けられています。しかし、ここ迄の世界の歴史を見て行くと、国の乗っ取り加減さは、似ており、何処か連動しています。

話が、大部又逸れてしまいましたが、イエスがその立場に立っていたとすれば、相当高いところに存在します。今見えている人間が、見通せたに違い有りません。こうなれば、向かうところ敵無し、我のみです。さて、この時の天の状態は、有るべき人間の真の姿を掲示する事に成ります。つまり、バーチャルな本当の姿です。それは天からの授かり物であり、借り物です。故に、イエスがそれに一番近づいたと言えると思います。一旦型が出来れば、例え分配されたとしても天が計らいをします。分配され、それを認識できれば細胞にも遺伝子として記憶されます。

さて、この型とは何でしょうか、ですが、人の体の中に無いものとすれば、後何が有るのでしょうかですよねえ。今迄いっぱい論じて来たブログの中に、実は未だ有ります。それは、地球が作り出している、電子の海です。地球を一つの原子核と見立てた電子です。人も大地の一部と見立てられますから、体が有する電子の他に、大きな電子が覆い被さっている事に成ります。幽霊みたいな存在には成りますが、それは、有せる人体を瞬時に探して、取り尽くすように、存在し続けます。また、直接目には見えませんが、光が多少変化しますので、分かる人には分かるかも知れません。

では次は、補足と分配された後の運動、行動、運命に付いてです。
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荷電粒子としての人間 [科学]

さて、人間は今度何処へ向かうのでしょうか。
この問いは、自分自身で言っておきながら、思わぬ落とし穴に落ちてしまいました。争いを避けるのであれば、当然次なるステップを考えざるを得ないのですが、前のステップ迄戻って考えないと、次のステップも足固めできません。

そこで、ちょっと頭の体操をしておきました。雑談になるかと思いますが、読み飛ばしても、主旨は通じるかと思います。
進化の過程で、進化したものは進化前の過去の記憶を引きずるか、と言う問題です。別な言い方をすると、遺伝子は、進化前の記憶を遺伝子の中に残しておくのか、とも言えます。これは、手塚治のマンガの世界にもあったような気がします。
「ワンダースリー」とか言ってたと思いますが、余り思い出せません。
この世界では、人間でないものが人間を好きになり、人間に生まれ変わると言うストーリーでしたが、子供心に何故か興味津々でした。その時の博士の言葉は、人間になった時には、人間でなかった時の気持ち、記憶と引き換えに、人間になると言うものです。これは、あながちマンガの世界とは言え、真実から当たらずとも遠からずでは無かったか、と今思い返しました。
自然界では、当然バランスさえ折り合えば、無理に進化する必要も無くなるわけですから、進化前の生物には、進化して行った生物の記憶は、残っているはずです。なので、テレビ等でイルカを見ていると、確かに人になつっこいし、笑っているような気もします。イルカの笑い顔って分かりませんが。
イルカは人間の言葉は話しませんし、話す必要も無いので、イルカに聞く事は出来ませんが、人間の方が知能が上だと自覚するのであれば、それくらいは有りと言うことで、保留にしても良い事象だと思います。もしそれも考えられないようであれば、知能は大体同程度だと思った方が良さそうです。

では、先に陸と空に向かったと思われる野生の鳥はどうでしょうか。彼らは向かうところもう敵無しですから、大した進化をする必要は有りません。今でも後から来たと思われる人間様を恐れる必要も無いし、無視しています。人間の行動には興味が無いところを見ても、先駆者だと言えると思います。ただ、餌だけは興味が有るみたいですが。

こう見て行くと、確かに進化前の記憶は、無くなるみたいです。とすると、大問題です。争いを避けるための行動だとしても、人間至上主義の社会では、ルールが合いません。つまり、進化できません。と言う事は、争いは永遠に続きます。今度は人類の話ですから、人類が滅ぶ迄延々と続く事になります。
だから宇宙に住処を求める。となるでしょうか。地球は生物が手を加え無くとも、人間迄育ててくれた、無償の星です。と考えるのも可笑しな話なのですが、そうだから人間が存在しているわけで、宇宙から見れば、人間等は無視しても、格別どうだ、と言うことには成らないのだと思います。つまり、人間が思い上がる程、宇宙を無視するのであれば、それなりの報いが有ると言うだけです。
宇宙ステーションで暮らす事が、地上で暮らすより、便利になるのでしょうか。宇宙ステーションは、未だ地球がなければ、存在できません。そのために地球が住めなくなる環境に成ったら、どうやって宇宙ステーションを維持して行くのでしょうか。他の星は、今知られている中では、人間が住むには、全て過酷な環境です。地球のような星に作り上げようとしても、私が知る限り、それ程地球の事を知っている人間はいません。逆に誤解しているとしか思えない人ばかりです。地球は、今我々が理解出来ている範囲以上に、良く出来ているのです。又は、良く出来ていたのです。

これは私事ですが、私自身、今の社会の常識を継承していません。これは故意にそうしているのではなく、生まれた時からそうだったからです。なので、今の社会にはこれからも迎合できないし、過去にも戻れません。どう頑張っても、それは、自殺行為を意味しています。なので、今の社会には何も期待しないし、逆に期待しては行けないとも思っています。生きられるだけ、生きられたらそれで、一生は終わりです。そう思えば、今の現状をどうこう言うより、次なるステップの世界を構築する事に専念しなければならないことに、気付きました。

ここで切り替えると、物理法則では、重力場で荷電粒子が運動すると時間が伴うので、空間の形状が変化する事は、知られています。私の話は別に知らなくても良いし、変な方程式も使いません。あくまで、どのくらいイメージとして伝えられるかです。でも荷電粒子ってどんな粒子が当て嵌まるのでしょうか。例えば大気中に多く存在する窒素でしょうか。そことも光=電子でしょうか。宇宙線でしょうか。
これについては、曖昧な情報しか有りません。霧箱の実験は有名ですが、これはあくまで、何かが通った後だけであり、直線運動やら、螺旋運動の後、または、V時運動の後です。これだけだったら、私のブログのの中にも出て来ていました。単体の炭素、窒素、水素、自然界に普通に存在する放射線、分子同士の衝突と様々出て来ています。これらとの区別は、別にしていません。目に見えないもの、確認していないものを迂闊に信じるのは、危険です。

ここで、もう一度聖書の一部を引用してみましょう。イエスは断食をするために荒野に旅立ち、悪魔と言われるものと問答している事に成っています。ではここに科学の目を入れてみましょう。荒野に向かったのは事実とします。ではここで待ち受けていた人は、何故救世主と言われている人と分かったのでしょうか。でなければ、問答は成立しません。科学的にはここがそもそも問題です。悪魔もイエスも将来のビジョンを持ち合わせて言っていますが、まるで正反対なビジョンです。科学法則では、これは成り立ちます。プラスとマイナスの要素ですから、他に障害物が無ければ、引き合います。ここで、私が考えたDNAを持ち出せば、中枢迄伝達する媒体は水素でしたよねえ。水素は半面の性質を持ち、プラスにもマイナスにも成り得ました。つまり、左右対称に分かれる事が出来ます。これを、運動の違いで分離する事も可能なのです。なので、時間軸が違って来ますが、人間の個人レベルでも、分かれて存在できる事が可能です。とすると、イエスの今後の決め事に関わる重大事は、半面人間にも重大事ですので、荒野で会ったとしても分身みたいなものですから可笑しく有りません。ジキルとハイドの様なものです。
イエスは、あらゆる誘惑を退けます。半面人間は、そのようなビジョンは人間には不可能であり、私に従っていれば今の総理大臣、大統領、独裁専制君主にでも成れますと、イエスに諭します。イエスは、飽くまで人間の卑屈な邪道からは何も生まないと、自分自身を戒め、問答は終わっています。
ここで気をつけなければならないのは、もしこれを勝負の世界として捉えるなら、十字架に掛かって死んだのはイエスの方ですから、悪魔と言われる方が、勝者であり、それからの世界を導く事に成ります。

まあ、どちらの世界も知りたいのであれば、官僚のトップか、総理大臣に聞いてみれば、何か教えて呉れるかも知れません。

私は、ここに居ます。

何か話が途中で挫折するのか、上手く運べません。それに比べれば、今の総理大臣は、話だけは流暢ですねえ?今回もこの辺にして、次回にしたいと思います。
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