新興宗教の謎 [宗教]

日本には、宗教団体と言われるものは沢山有ると思います。古来から仏に仕えるお寺は有りましたし、葬儀の儀式が無ければ、世間から笑われる程、国民に浸透しています。言ってみれば空気のような存在です。それとは別に、新興宗教と言うものも有って、人々の心の不安から興味を煽り教義を進めたり、社会の不安、理不尽さから、宗教団体に入体する人も居るかも知れません。そのこと自体可笑しな事でもなく、それを否定するのであれば、葬式も上げる事が出来なくなり、供養も出来ません。また、全ての生業も大小の違いこそあれある意味触れています。
これらの事は、それはそれで、認めるしか無いと思いますが、たまに大きく脱線する事も有りました。オウム真理教も、その一つだったと思います。今この事件が残りの指名手配の犯人が捕まった事で、地下鉄サリンの残虐さばかりを報じていますが、私自身、この報道の仕方に危うく自己を見誤るところでした。
あの時代を知っている人なら、その事件が起きた前後の時代背景を知っているはずです。事件が起きる前は、今に成ってバブルが弾けたと言っていますが、その当時は、JAPAN As No.1と世界から言われ、浮かれていた時代です。マスコミもジャーナリストも、それこそ鼻息も荒く、日本の経済発展は日本人の神髄が正しかった事の証明であるかの如き話が続き、好き勝手にお金を謳歌していました。少なくとも私にはそう感じられました。それが、1991年でしたか、浮かれていた国民に突き付けられた問題は、今でも問題がある中東の国での話であり、湾岸戦争でした。その頃私も若かったので、何が問題で戦争が始まったのか分かりませんでしたが、日本は、戦争の一部にも加わる事が出来ず、お金だけ出費する事と成り、それも多額です。その頃から日本は経済的に坂を下り出したのですが、それでも経済雑誌には、「どうした日本!」とか言う活字が躍っていました。オウム真理教集団も、その頃変化を遂げ大きくなったのかどうか知りませんけど、こと政治に関して言えば、政治体制は、今もその頃も同じで、ゾウの歩みです。完全に社会的隙が生まれたところに、事件がある種、功を奏して遂行された、と私は思っています。私自身は、その詳細な事件を知るのは、相当後だったので、当時の記憶としては、そうとしか言えません。

その年の強い思い出としては、ウインドウズ95が出た年として覚えていて、アップルモドキの製品が、ついに日本に上陸したか!と言う思い出の方が有るので、そちらを語らせてもらえば、創始者のスティーブ・ジョブズは自分の作った会社を解任させられているし、Mac OSの神髄は、ビル.ゲイツに奪われた格好と成り、いよいよ本物が生きられない時代に突入したのか、と肩を落とした年でした。と言うのは、新しい製品を世に送り出すには何ぶんにも資金が必要であり、開発もその分遅れるか、無くなるかに成ってしまいます。まして、億万長者のマイクロソフトが、同じものを出したとなれば、ユーザは離れて行きます。とは言え、スティーブは、頑張っていました。本物の良さは、やはりそう容易く消えないのだと。

話を戻すと、地下鉄サリン事件は、幕を下ろした事には変わりないのですが、その分派なのか残派なのか知りませんが、未だ活動しているようです。話によれば、あの大震災は、XXXのせいで、地獄に落とされたとか、福島原発爆発事故は、OOOの理由で天罰が下ったとか言っているそうな。
言うこと自体は、カラス(オウム?)の勝手ですから、刑罰にも当たらないし、こちらも自己判断で受け止めれば良い分けですが、問題は、その事を自己判断できない入門者が未だにいることです。まあ、そのこと自体も別に悪い事でもないし、責められるものでもない、と判断せざるを得ません。今の世の中、偉くなると貧しい人の事迄は、目が行き届きません。まして、この時代迄来ると、もう一度バブルをとか思っている人がいると言う事は、人それぞれ考えも見方も違うし、いくら制度を立派にしたところで、曲解して受け取る人間は、出て来るもんだと思います。
不幸の中には、両親が故有って、自分の子供を育てる事が出来ず、学校にも行けず、働いている子供も結構いるのです。知らないでしょうけれど。

つまり、あの事件を起こした、又は起こさせた根本理由は、霞ヶ関の人間達であり、作用反作用の原理で、起こりべくして起こった、と言ってもそれ迄です。これが事実だとすると、無差別ではなかった事に成ります。あれから17年ですか、霞ヶ関どうこう、永田町どうこうと言う政治家が現れては消えて行きましたが、何も変わっていません。変わっていないどころか、庶民いじめだけは、着々と進行しています。

ここ迄来ると、信仰心を持たない普通の人は、信者を笑えません。実際の話、どちらがどうだとは言えなくなるのです。よっぽど強い信念を持っているか、運が良いかでない限り、消え行く運命です。アレフとか言いましたっけ、彼らは未だ何もしていません。他人がどう思うかは知りませんが、彼らの言っている事も、私としては残念なのですが、一理あります。魚を捕り過ぎたと言うことも事実であり、津波に関して言えば、私もかなり触れましたが、第一原発に波が集中したのは、単なる偶然で私も片付けていますが、そうでは無いと言うことに対しては、言わせておけばとしか言い様が有りません。それに比べても今の政府のやり方は、一理も有りません。どっちが正しいんだと言われると、疑問符です。

報道は中立の立場に立っているとは言え、どうしてもどちらかに偏ってしまいます。ここは、冷静に推移を見守るしか有りません。

時間の認識 [宗教]

時間については、過去にも書いているのですが、あれから大分時間も立っていて、私自身の認識も変化しました。つまり、時間が経ったと認識しています。あれはあれで今でもそう思っているのですが、かなり偏った表現だったなあ、と感じています。今はもっと具体的に表さそうと思います。
時間については、実在するものではなく概念だと考えています。なので、新しく考えた記憶の理論から言えば、時間は記憶の中にあり、記憶細胞の変化、つまりそれによる空間の変化が無い限り、時間の経過の認識は有りません。
よく年を取ると年の立つのが速いとか言います。これは、それだけ、記憶の変化、細胞の変化が無くなって来た、と言えるかも知れません。

ここ迄は個人の時間軸です。社会の中でしか生きられない人間は、環境の変化による時間軸も当然持たなくてはなりません。又は持っています。生まれて来る新たな命、亡くなって消えて行く命の変化も、人間の摂理として受け止めなくては行けません。

もう一つの時間の定義が、今ではセシウムによる原子時計の時間です。この概念では、世界共通ですから、世界の出来事をその時間軸で表す事が出来ます。これは、何かを解明するのに重要なのですが、慣れないと日付変更線が有りますので、日本時間しか必要ない人には、アメリカ時間で言われると、今日なのか、昨日なのか、面食らう事が有ります。とは言え、この辺迄は勘違いも自ら気付きますが、時間って進むものなのか、後戻りはしないものなのかと考えた時、粗方の考えは、進むものと答えるでしょう。確かに同じ場面、同じ事象は、起こらないにしろ、とある周期で繰り返しています。人はそれを予言とか言ったりしますが、何年、何月、何時何分に日食が起こる事は、あらかじめ知る事が出来ます。しかし、これを予知とは言わないようです。科学的に証明されている検知となるようです。でも、私から見れば同じ意味なのです。

ここでふと思い出しました。話は逸れますが、聖書の行(くだり)には、復活の兆し見たいな行があって、「日傾き茜色になる時、日沈むを知る。地震が来るの、偽予言者が現れても未だだ。」と言った箇所があった?と思います。もう、聖書は目を通してもいなく、今は、改訂、捏造と言うことも多々有るので、定かではないのですが、聖書ではなく、誰かの著作だったかも知れません。当時の本は、Book-Offに消えてしまいました。
しかし、思い出すと、今の日本の状況を言っているかの如くに思えます。その当時今のイスラエルに地震なんて日本みたいに有ったのでしょうか。偽予言者が現れる程、宗派が乱立していたのでしょうか。ここは、イエスが時間空間をどう見て、天国をどう見据えていたのか分かりませんが、今のこの日本の状況に当て嵌めると、何故かピッタリします。余り架空の話はしたくないのですが、これを立証化すると、イエスは未来の世界で、とある事象の落とし穴に落ちて、その時空に産み落とされた事になります。今でも、20XX年から来て、何年にこんな事件が有ったとか訳分からない話をする予言者が世界にいますが、私にはそんな未来は見えませんので、架空の話と言うだけです。
只、そう考えないと、割の合わない体験も有り、その話は機会があれば、したいと思います。又そのころは、天動説で、時間を表していましたから、三日の後に復活すると言ったイエスの言葉は仮に間違っていたとしても、今の地動説の立場のその三日は、太陽が、ある絶対座標から見て3度目に元に戻る時間になるので、あながち今の三日ではない事にもなります。

それでさっきの続きですが、マクロな天界では、きっちりとした規則、法則で説明できますが、こと人間の大きさとなると、その働きである法則、周期が当然あると思っているのですが、定かでは有りません。まして、それより小さい化学反応が作用するミクロの世界では、不確実さは、否が応でも生じて来ます。ですが、時間が定かでなく、事象が前後したにしろ、当然起こるべき事象は有るはずです。その本来起こるべき事象が、ある確立で周期を乱す事象に遭遇した場合、例えば交通事故のような、人為的事故は、どうなる事になるでしょうか。例えばこの事故が、死亡事故だった場合、亡くなって困るのは、亡くなった本人では無く、本来この人を必要としていた周りの人と言うことになります。亡くなった人の時間は止まったままです。周りの人の時間は、物理的には進みますが、当然必要とする事象の時間は、御預けになり、止まったままになるのではないでしょうか。
この場合の時間は、概念的にはどう表現する事になるでしょうか。

周期は巡って来ます。しかし、同時進行ではないので、生きてるほうは死んでる方を待たなくてはなりません。ここは、抽象的表現になりますが、具体的となると説明に自信が無いので何とも言い様が有りません。つまり、人間時間とも言える時間合わせです。でなければ、外的調和は保てません。数的には虚数と言う概念も有ります。

ここで、頭をちょっと冷やして、西暦を考えてみると、紀元前と紀元後と分かれています。日本に生まれた者に取っては、他国の暦と言ったイメージが強いのではないでしょうか。日本には天皇制による年代の表し方が今でも継続して使われているし、それで記述したところで、何ら違和感は有りません。どちらでも都合の良いように使えます。
ところが、西暦は西暦で深い意味が有って、後付けにしろ、救世主の生まれた翌年から始まっています。この暦の捉え方は、人夫々だとは思いますが、結構重要な時間軸です。天皇制では崩御した翌年から年号が変わり、新しい年号の一年が始まります。実際、西暦もそう言う意味で始まったと思いますが、新しい一年は始まりません。別段始まる必要も無いと言えばそれまでですが、通常であれば、始まりに根拠が有るので、終わりは必ずあり、終わる時には区切らなければならないはずです。終わっていないのでしょうか?終わりは無いのでしょうか?それとも、未だ終わりは来ないのでしょうか?それとも、本当はとっくに終わっているのでしょうか?
いずれかだとは思いますが、何故か随分長い年月だと思います。

さて、自動車事故のように考えれば、救世主は、周りに必要な人がいない限り、復活は意味が有りません。キリスト教が必要でない人には、意味は無いと思います。中には漠然と勧められるまま教徒になっている人もいるかと思いますが、逆に踏み絵に有って、死んだ人もいるでしょう。これが国レベルの話で、人殺しが正当化されるのであれば、もう法律は意味が有りません。裁かれるのは幕府だったかもしれませんが、それを先の大戦で、清算にしたかのようなカモフラージュは、大いなる地球の目から見れば、裁かれる対象です。西暦が未だ終わっていないとすれば、裁きは未だ終わっていないのです。とすれば、何とか復活するのを防ぎたい、無かった事にしたいと思う人もいる訳で、イエスが生まれた時に、ユダヤ王が、幼子を大虐殺したというのも、頷けます。

まあ、救世主が復活しようが、しまいが、人間の意志とは無関係に流れる時間、周期と言うものが有って、或る現象を待ち望んでいる人もいるはずです。または、それが何なのか、追求しなければなりません。でなければ、人間として生まれて来る意味は有りません。その辺にいっぱい居る、カラスや鳩と同じです。
最近意味の無い殺人事件が、続きますが、それを犯す人達の共通意識は、生まれて来るのも偶然、他人が生きているのも偶然、死んでしまうのも偶然、殺されても偶然みたいな、安易な発想が有るような気がします。勿論学校で人生の意義あるものに付いては、教育で教えると言うのは皆無に等しいのかも知れませんが、何でもかんでも教育に任せられるものでもなく、家庭だったり、地域のコミュニティだったりするのでしょうけれども、それも何か希薄になっているような気がします。

こう見て行くと、今人類が認識している時間の概念は、実に曖昧です。西暦は考えようによっては、起こりえるはずの事象迄の時間ですから、待っている時間で本当は虚数で表さなければならないはずです。つまり、マイナスの時間とも言えます。
この間の時間では、何でも有りです。懸命に生きるのであれば、最短時間で行けますが、道筋が開けなければ、時間は永遠とも思えるくらい長くもなります。

時間は全ての現象に関わって来るので、語れば切りがなくなるので、今回はここ迄です。
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シリア情勢 [宗教]

最近賑わしている国際情勢の中に、シリア情勢が有ります。私も世界の情勢からは離れてしまって、自己理論に没頭していましたが、白い虚塔に住む学者でもないので、もはや無視できなくなりました。
アジアの片隅に暮らしている日本人に取っては、遠い国の問題であり、文化の違いや、宗教の違い、民族の違い、歴史の違い、経済の違いから何故そんな武力による弾圧が起こるのか、分からないと言うのが本音ではないでしょうか。日本では、未曾有の災害に見舞われ、その後も度重なる自然災害に見舞われそれどころではないと言う、国情下には有りますが、対岸の火事は、無視してても、異連れやって来ます。

経済的には、ギリシャの問題も有るのですが、世界史を相当勉強しないと、一般人には、多々理解できないところが多いのではないでしょうか。

そこで、私なりにざっとお復習いをしてみました。
時は、ローマ帝国前後に股がりますが、地中海近隣諸国は、圧倒的なローマの軍事力、兵士に守られた未完成な法治国家の支配下に有りました。その中でユダヤの王国から、イエスキリストが生まれ、人々はローマの圧政から解放して呉れる救世主が現れたものと勘違いし、それが違うものだと分かると、十字架に掛かる罪人のうち一人を免罪に出来、助けられるのですが、キリストではなく、イエス・バラバを選んでしまいました。運命だとしても、これが事態の発端です。バラバは、どちらかと言えば過激派です。つまり、近隣諸国は武力でローマの圧政を解決する道を選んでしまった、と言えます。こうなれば、いくら絶大な帝国でも反乱を押さえる事は出来ません。奴隷はいなくなり、戦う兵力も失われて行きます。
奴隷と言うと、変な誤解を与えるかも知れませんので、もう一つ気の効いた使い方をすれば、出稼ぎ労働者で無期限付きとも言えると思います。

ローマ帝国もさすがに、無駄な血を流す事に目が覚め、解決策にキリスト教を国教に据え、事態の収拾に当たりました。しかし、時既に遅く、ユダヤ王国は宗教二分し、人民はてんでバラバラになり、その後出て来たイスラム教徒とも対立する嵌めとなり、ユダヤ人は祖国を追われる様になりました。

地理的に見ればシリアは今のイスラエルに近く、当時のユダヤ王国を考えれば同じような領地だったのでは無いでしょうか。と考えるとシリアは昔のユダヤ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒と同居している国と考えられます。そこへ近代国家の統治政府が加わると、収支が付かなくなります。つまり、どちらがどうで武力弾圧が起きているのか、精通したものでないとニュース、報道だけでは分からないのです。

話は変わりますが、災害であれ、争いであれ、何であれ今迄住み慣れた土地を無くす事は、次なる環境に適応する迄大変です。まして、ユダヤ人のように異国と併存しながらでは、尚更です。もはや、先祖の血はどこえやらです。

イスラムの教えの国は、他にも地中海沿いに或ります。また、中東にも或ります。今の時代何かと争いの種になっているような気がしますが、では、イスラム教とキリスト教の違いは、何処がどう違うのでしょうか。私の主観で申し訳ないですが、イスラム教は、唯一絶対神のアラーの神を祀っていて、他はいっさい寄せ付けていません。私に言わせれば、抽象的(象徴的)な神で、実体が定かでありません。現に自爆テロとか、過去の航空機乗っ取りビル爆破自爆テロだとか、神の名を唱えて軽々しく命を捨てる行為が出来る宗教が、国際的に受け入れられるのでしょうか。
嘗て大戦時には、日本にも特攻隊と言った自爆テロ行為が有りましたが、これは天皇の名の下にだったでしょうか。
そんなことを言うと、お前は非国民か、と言われそうですが、まあ、それが気に触るのでのであれば、オブラートに言って、鬼畜絶滅行為となるでしょうか。とは言え、鬼畜なんていないと思いますが。
また、どちらかと言うとイスラム教は、思慮も無く、生めよ増やせよの教えだと思います。それで、増えて行った結果行き場を無くして、そんな行為に走る事になるのでしょうか。それとも、世界が全てイスラム教に変われば解決するのでしょうか。その結果が、今現実に起こっているシリアの情勢なのでは無いでしょうか。
国軍が、自国の民を武力で押さえつけ、残虐非道な人殺し迄するとは、日本では、考えられません?そもそもこれはNATO側の捏造であり、イスラム勢力の解体にあるとする、見解もあります。つまり、煽動されて情報だけが一人歩きして、引くに引けなくなる状況です。

この生めよ増やせよの理念は、何故か戦後の日本に似てますねえ。今度は、年金制度が崩れるから生めよ増やせよですか?その後年金制度が、仮に上手くいったとして、そのために生まれたのであれば、目標達成時点で、余剰になります。その余剰人員を今度どうするつもりなのでしょうか。そんな時には決めた本人達は、もう生きていないから、知らないよ〜ですか。そんな〜!


では、キリスト教はどうかと考えれば、あくまで教徒のための教義であって絶対神ではなく、イエスが感じ取っている天に居る父の教えです。死後どう伝わったかどうかは別として、実体はあります。また、生めよ増やせよ的ではなく、逆に教えの中に、肉体と魂を滅ぼすものを恐れよ、と言っている事から、人間は何もしなくても生まれて来るし、それを止める事は人間自体に出来ないし、目的は永遠です。
また、自殺は禁じていますし、ましてテロ行為はもっての他です。

こう比較すると、どちらが正しいのか区別付くでしょうか。
私の実感としては、どちらが正しいとか、正しくないとか比較対象にならないのです。キリスト教は、それが成就した時、その役目を終えます。イスラム教もその時には合流して役目を終えそうです。なので、ゴールは同じ結果となり、結果論ですが、人間同士の争いは無くなり、平和になりそうなのですが、成りません。
何がそうさせているのでしょうか。思うところ国同士が抱える経済問題だと思います。長くなりそうなので、次に回します。
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心の彷徨い [宗教]

どうしても筆が進みません。色々考えが浮かぶのですが、事の重大さが、今ひしひしと込み上げて来ます。誰も予想だにしなかった東日本巨大地震、これからも起こるであろう災害、復興の遅れに依る二時災害、原油ショック、放射能汚染、その他。

これらを考えれば、これからどう対応したら良いのか、これは実に難しい問題です。多分今までの政府の対応では、しばらく何も進みません。今避難生活をしている人達は、何年かそこには戻れないのです。もう太平洋岸で生活は難しいのです。
経済的に冷え込んだこの情勢に、追い討ちをかけた状態です。

又ネットで彷徨っていたら、肝心なニュースを見逃していました。時事ドットコムのこれです。
【ホノルル10日ロイター時事】しばしば噴火を起こすハワイ島のキラウエア火山で10日、大きな噴火があり溶岩が約43メートルも噴き上げた。同火山は5日に活発化し噴火を繰り返している。
 米地質調査所(USGS)によると、噴火は2カ所で起ており、二酸化硫黄ガスの排出量は日量1万トンと先週の水準の30倍に達した。しかしその後は、半分超減少したという。高熱の溶岩により、5日以降で78エーカーの雨林が破壊された。これまでのところ、人的被害も家屋への被害も報告されていないが、USGSは火山活動の監視を続けている。
 ハワイ火山観測所のマーディー・レーン氏は「雨が降ったことが幸いした」としながらも、「最大の危険要因は二酸化硫黄の拡散であり、警備隊は現場に近づく時は有毒マスクを装着している」と述べる。
[時事通信社]

巨大地震が次の日に起こっていますから、もうこの時点で警報をだしていなければならなかったことになります。まあ後の祭りと言ってしまえば、それ迄ですが、噴火はまだ収まってはおりません。USGSの情報では、昨日もwatch、色orangeとなっています。余震も同様に収まっていません。気象庁はこれだけ関連があるのに、まだ関係はないと言い張るつもりなのでしょうか。
これでは救える命も救えません。最もあなた達は救世主でもないから、救う義務もないか。
ここで何故キリスト教で調べていたのかですが、真の信者なら良い情報を上げているのではないのかなあ、と思ったからです。ここで聖書の一部を引用すると、

荒野で悪魔との三つの問答、
もしお前が神の子なら、石をパンに変えてみろ。
人はパンのみに生きるにあらず。
もしお前が神の子なら、ここから飛び降りてみろ、天使が支えてくれると書いてある。
主たる汝の神を試みてはならない、と書いてある。
もし私にひれ伏すのであれば、この国の栄華と権威をお前に上げよう。
あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ。

手元に聖書がないので、確かこんな感じだったと思います。しかし、この悪魔と呼ばれている人は、今の世の中では、一般の普通の人であり、イエスこそ可笑しな人となっているようです。
何度も言いましたが、何を信じるかは個人の判断です。イエスを信じるのであれば、死んだ方がましだと思う人もいるでしょう。
USGSの情報は貴重です。ハワイはアメリカの国だったんですねえ。

続・三位一体 [宗教]

イエスの事ばかり書いたので、ユダが片手落ちになりました。説明します。弟子の中で唯一三位一体を理解していたのは、イスカリオテのユダでした。なぜそんな事を断定できるのかって?今の時代は復活の時代です。ユダに会えない事は無いのです。
芸能人を見れば分かります。芸能人?そう私は流行の方法で真理の大海原を泳ぎきりましたから良く森羅万象が見えるのです。まあ芸能人の名前は、時が来れば言えるかもしれませんが、今のところは控えるしかありません。
話を元に戻して、ユダも聖霊を扱えたのでした。しかしユダは、過去にも長老側についており、つまり権力の強い側に付かないと気が済まない性格です。そこが今の時代では仇となってしまいました。まあユダはユダでその人生を選んだのですから私としても救いようがありません。イエスをローマに売ったのはユダです。どうしようもない事でも真実は変わりません。ユダは弟子としてではなく自分の道を歩むしか無くなり、放浪の身となりましたが、決してほかの弟子より悪かったということではなく、出来過ぎだったのです。でも今の時代では一役買いました。天国の門から入って来ているので、盗人ではありません。又良く理解していたと言っても、所詮は物真似で、しっかりしたものではありませんでしたので、よく周りが見えないようです。同じ立場に二人は立てませんから。

ところで元小泉首相が言った三位一体とは此れ如何に、どう考えても、これこそ意味不明である。イエスの厳粛な教義に比べて、なんと貧弱な発想なんでしょう。キリスト教の人気にあやかったのかどうかは知らないが、イエスの時代だったら磔です。この人まだ生きてる?せめて三税一体くらいに変えなさい。失礼ですぞ!

三位一体 [宗教]

人は時に、キリスト教の三位一体が分からないと言う。宗教の中では、唯一聖霊が出て来るからなのか?皆さんは分かりますか。イエスは神という言葉は使っておらず、天に居る父と子を守る聖霊と子としている。順番ではそうです。コンピュータのOSで言えば、ルート、デーモン、ユーザーです。やはり多くの人は、ホームページを見ても誤解してるようだ。これでは堂々巡りの落とし穴に陥ってしまう。

天に居る父だけなら子はイエスだから父の元に還るで終わりですが、ここに聖霊が出て来るだけで話が混柄がるのはしょうがないですが、私はこう理解しています。
天に居る父の許しを得て、子が生まれて来る時、つまり復活する時、弟子達とは別れますから、時空が生まれます。その時空の中を伝書鳩のように伝えて行くのが聖霊であり弟子達の後の仕事になります。又、子が間違った方向に行かないようにする権限も持つ事になります。その事については、多少人間時空でも述べていますので、一読願います。この父と聖霊と子が一体となる時、キリスト教は終焉です。教会の判断ではなく、自己判断の責任です。何人もそこから逃げられません。

では、この成せる業とは何か、ここが問題なのですが、人は誰と繋がっているか、人類はどう回っているかです。この繋がりが分からないと、人類は権力金力競争力武力の力に押しつぶされてしまいます。これを回避するための業です。これが完遂した時、天の国が現れるはずでした。しかし、今のこの世界は天国でしょうか。まだ判断が分かれるところです。イエスを神とするなら、悪魔も存在することになります。では悪魔とはどんな物でしょうか、本来あるべき人の道から外れる人達としましょう。外れる人は何処へ行くのでしょうか。そう進化から外れるのです。野生の動物は外れた後の姿です。もちろん、嘗てはそれも一興であり、生きる方法でもありますから、必ずしも不幸とは限りません。しかし、今人の道に外れる人は何処へ行くのでしょうか。考えただけで恐ろしくなります。イエスは言ってました。天国の門より入らず、天国に入る者は盗人なり。今の時代は混在しているようです。

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