レベル7 [原子力]
この国の復興に付いて考えているのですが、言葉では何とでも言えますが、復興は無理というより、もう滅んでいると言った方が正しいのではないかと思っています。どういう形で滅んでいるかと言うと、人との繋がりが、今迄の繋がりでは生きられないと言う形でです。
仮に福島原発事故が、レベル7まで行ってしまったとしたら、どうでしょうか。
もう福島県とその周辺には住めません。農業、漁業、林業はもう成り立たないし、福島の太平洋側の交通網は、閉鎖されます。
かといって他県に移り住んでも、生きる糧は有りません。地元の人にさえ行き渡らないのに、これでは争いになります。
第一そんなのに予算を割いてばかりでは、どうやって運営して行けば良いのでしょうか。世界からの義援金といえども、限りが有りますし、他国も自国の災害に備えなければなりません。もはや、江戸時代の素朴な生活にも戻れない状況です。
日本人は自然を甘く見ていました。気にしなくてよい人間ばかりを気にしています。例えば自民党に対する民主党。管理する側される側のように。
私は人間至上主義や物質至上主義の立場には立っていません。人間は宇宙の一部であり、地球の一部だと思っています。そう考えれば、地球の異常に気付いていなければならないのに、特に気象庁の地震担当者さん、事は重大ですぞ。私でさえ、ある程度予知できたのに、なぜその時、原発停止命令を出せなかったのでしょうか。それは結果論であり、分からなかった事だとして逃げられますか。
つまりこの国の防災危機意識は、まるで無かったということであり、そういう危機が無いものとして、築かれた社会構造といえます。
私は、情けなく悔しくてなりません。地震を予知したところで、その規模の大きさを押さえる事はできません。津波も想定を超えてしまえば、逆に被害が大きくなる事も分かりました。しかし予知できれば、原発は止められます。誤報だったとしても最悪のシナリオ迄行ってしまうよりはましです。これは今後も大いにあり得るのです。
福島は同じ東北ですが、そんな原子力発電による電力は使わなくても計画停電も有りません。問題は東京都です。あの派手なイルミネーション、過保護な迄の消費電力照明、眠らない町東京、色々渦巻く強欲、そんなもののために、失って来たものは、計り知れません。これからも失うであろう財産、そう考えると色々見直さなければなりません。それは今後の災害次第ですが、今の制度では、助かるものも助かりません。
立ち止まりましょう。
仮に福島原発事故が、レベル7まで行ってしまったとしたら、どうでしょうか。
もう福島県とその周辺には住めません。農業、漁業、林業はもう成り立たないし、福島の太平洋側の交通網は、閉鎖されます。
かといって他県に移り住んでも、生きる糧は有りません。地元の人にさえ行き渡らないのに、これでは争いになります。
第一そんなのに予算を割いてばかりでは、どうやって運営して行けば良いのでしょうか。世界からの義援金といえども、限りが有りますし、他国も自国の災害に備えなければなりません。もはや、江戸時代の素朴な生活にも戻れない状況です。
日本人は自然を甘く見ていました。気にしなくてよい人間ばかりを気にしています。例えば自民党に対する民主党。管理する側される側のように。
私は人間至上主義や物質至上主義の立場には立っていません。人間は宇宙の一部であり、地球の一部だと思っています。そう考えれば、地球の異常に気付いていなければならないのに、特に気象庁の地震担当者さん、事は重大ですぞ。私でさえ、ある程度予知できたのに、なぜその時、原発停止命令を出せなかったのでしょうか。それは結果論であり、分からなかった事だとして逃げられますか。
つまりこの国の防災危機意識は、まるで無かったということであり、そういう危機が無いものとして、築かれた社会構造といえます。
私は、情けなく悔しくてなりません。地震を予知したところで、その規模の大きさを押さえる事はできません。津波も想定を超えてしまえば、逆に被害が大きくなる事も分かりました。しかし予知できれば、原発は止められます。誤報だったとしても最悪のシナリオ迄行ってしまうよりはましです。これは今後も大いにあり得るのです。
福島は同じ東北ですが、そんな原子力発電による電力は使わなくても計画停電も有りません。問題は東京都です。あの派手なイルミネーション、過保護な迄の消費電力照明、眠らない町東京、色々渦巻く強欲、そんなもののために、失って来たものは、計り知れません。これからも失うであろう財産、そう考えると色々見直さなければなりません。それは今後の災害次第ですが、今の制度では、助かるものも助かりません。
立ち止まりましょう。
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