大学入試 [雑学]

大学入試で、ハイテクカンニングの文字が踊っています。私にとってはどうでも良いことなのですが、目障りなので少々言わせてください。受験とは、そもそも何でしょうか。知識の戦争なのでしょうか、一種の知識のスポーツなのでしょうか。
問題なのは大学に入ってからなのではないでしょうか。私は大学は出てませんし、学問は一度捨てた人間であり、もう墓場に足を一歩踏み込んでいるので、学歴による社会的差別などどうでも良い立場です。だからこそ見える立場もあるのです。
私は子供の頃から暗記は苦手でしたし、人が見向きもしなくなった大事な問題を考えるのが好きな子だったので、受験は本当に嫌でした。私の頃は、本当に受験競争が激化した頃で、何が嫌かって言えば、とにかく詰め込み型の教育システムでした。英語、数学、国語、歴史、化学、物理、地理すべて詰め込まれました。
特に失敗だったのは、中学の時でした。中学では、英語数学国語の三科目しか有りませんでしたので、集中して勉強すれば、一二番にも成れる勢いだったのですが、これが仇となりました。学校の教育は、官僚公務員達を育てるシステムであり、盲目で国家に従える人を育てるシステムです。今解かれてない問題を解決する人を育てるシステムではなかったのです。
が〜ん、いきなりノイローゼです。原因が何なのか当の本人には分かりません。三角関数は将来どこで使うのかも分かりません。英語を未来の自分がどこで使えば良いのか見えなくなったのでした。
挫折した私は、真の学問を求めざるを得なくなり、専門書を読みあさりました。特に西洋の専門書を買って来ては、昔の人が何を考えていたのか知りたくてしょうがなかったのでしたが、試験の嵐は高校に入っても続きます。試験などは、もうどうでも良かったのですが、卒業だけはしなければなりません。適当にやっていましたが、先生は私の実力を見抜いており、特に学校で専門に行った世界レベルのIQテストで、とんでもない奴がいると目を付けられました。名前は公表しませんでしたが、周りの反応で分かります。

それはそれとして、専門書には、前にも言いましたが、哲学ではデカルト、カント、ショーペンハウアー、フロイト、ニーチェ、バートラン・ラッセル、…。物理では、ガリレオの天文対話、ファラデーのロウソクの科学、ニュートンのプリンキピア、アインシュタインの晩年に思う。等は、私の精神の支えであり、東洋ではなんと言っても老子、荘子が支えでした。

今思えば、もうその時から私は負け組であり、その時の勝ち組が今の日本を作っているのでしょう。でも今の日本の状況は、勝ち組が国を滅ぼそうとし、負け組の私のような者が世の中を救おうとしているとしか思えないのですが、どうなのでしょうか。

今大学は歪んでいるとしか思えません。もう学問を捨てたとしか思えません。学問は、未来の人類に残す遺産なはずです。暗記が得意な人は、試験が得意か知れませんが、逆に未来に残す捨て石のような理論を考えるのは不得意なのではないでしょうか。

私には、大学がどんな人を採用したいのか分かりません。経済的に考えれば、生徒はお客さんであり、試験で振り落とすのは、お客さんを追い出すことになるのではないのでしょうか。
大学に入れば、全ての生徒が世の中に打って出るような論文を考えられるとは、思えません。

カンニングしてまで入りたいのであれば、お客さんですから入れて上げるのが筋ではないのでしょうか。大学の名誉に傷つくからでしょうか。私から見れば、全ての大学の名誉はとっくに消えています。

学問は競争ではありません。選別をするというのであれば、試験をする前に、もう分かっていることで、推薦で決められるのです。それじゃ、予備校や塾などの金儲けの商売が成り立たないじゃないかって。そもそもそこが、悪の根源なのではないでしょうか。
タグ:大学入試
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