大川周明とアインシュタイン [雑学]

「私は誰か」との自問自答に家系先祖を調べていると、何故か大川周明が浮上して来ました。彼の残した作品は世に余り知られていませんが、私が住んでいる図書館には全集7巻があり、旧漢字では有りますが、かなりの文量です。出身は同郷であり私は今でもこちらに住んでいます。しかし、この地で彼を知るものは殆どいません。何故かといえば、A旧戦犯で東京裁判に架けられ、キチガイ扱いされて取り敢えず放免された人だからだと思います。世代から言うと私のお爺さんに当たるのですが、「私のお爺さんは?」と言うと何故かよく分からないことになっていて、「おばあさんは」と言うと、浮気でヤクザな女として扱われているようです。物心付いた時にはいなかった人達なので、よくは分かりませんが、その血筋を引いているとすれば、良く言えば「怒る時は本気で怒る」ってな感じでしょうか?
で、この人に関して不思議に思ったのは、何故戦犯者扱いにされたのか?です。そこに嘗てドイツにいたユダヤ人アインシュタインと重なったわけです。年代もほぼ同時代です。
ヒットラーに指名手配として懸賞金を掛けられるほど大川周明の立場は、ドイツでのユダヤ人が抹殺状態でしたから、からくもアメリカ亡命に成功したことになるのですが、その容疑は当時一般に理解されない相対性理論の時空の扱いに対するものだったと思います。間違っていたら御免なさい!
それで、アインシュタインを救ったのはアメリカでしたが、大川周明を裁こうとしたのは皮肉にもアインシュタインを助けた戦勝国と呼ばれる人達になろうとは。まあ結果的にはもともと裁かれるような嫌疑ではなかったと思うのですが、これは飽く迄私の主観です。
それでです、大川周明のような民間人が法廷に呼ばれるのであれば、他にも呼ばれる人間が居るのではないかと思いネットで調べると、主たるメンバーに岸信介が浮上してくるのですが、何故かこの人その前に刑務所に留置されていて、手出しできない状態だったようです。当時満州のことを一番知っていて実権を握っていたはずなのですが、戦勝国の戦犯からのマークからは外れていたようです。しかし、ここは白か黒かのクエッションマークです。人間は「窮鼠猫を嚼む」の例え通り、助かりたいと思えば、願えりを打ったり、情報提供に回るものです。この可能性は否定できません。つまり、大川周明を売ったのは?
単なる憶測を言うことは言論の自由を保証されているとは言え、禁物ですがそうでも考えない限り、その程度の日本国粋主義者を戦争戦犯の法廷に引き出す訳がないと言うのが自論です。
話は変わるのですが、アインシュタインは、理論から実在に又は現実に行える人に、日本人の一人を対象としていたことは、知る人ぞ知っていると思いますが、ここ一ヶ月ぐらい考えて来た私の感ではどうやらこの人だったようです。考え方は裏表の関係で見事な対称性を秘めています。話は尽きないのですが、まあ、世界で戦争が有りませんように!

お知らせ2 [雑学]

自然現象としては、応用拡張して行くと、上手く行きそうなところまで来ているので、ここで一旦区切って、これらの現象をプログラム化したいと思い、上手く仕上がるまで、このブログから離れることにしました。プログラムの世界は、また違った知識が必要となるので、簡単とは行かなくても、百聞は一見にしかずで、堂々巡りしても同じことなので、必要なことと判断しました。
では、また!
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

干支と釈迦 [雑学]

動物や他の生き物に付いては、ある程度理解が深まったのですが、そうすると、干支(えと)の由来が気になります。調べれば色々出て来ますが、実際のところ定かではなく昔ばなし風のものばかりです。言い伝えでは、御釈迦様に、会いに行った動物の順番説が定説で、猫は鼠に日付を一日騙されて聞かされ、遅れたために十二支から外れて、それから鼠を追いかけるようになったことになっています。

微笑ましい話では有りますが、弾かれているのは他にもいて、インドゾウも入っていませんし、寅は、選ばれていますが人の領域には踏み込んできませんし、竜の様な伝説の生き物もいますから、多分、〜の様な人とすると、方角や順番でも合いますし、御釈迦様が必要な重要視する人物達と矛盾しません。と言っても、固辞付けの様なものでしかならないし、単なる決まり事と考えてもそれまでです。

御釈迦様が、動物をどう見ているか、人をどう見ているかは知りませんが、それなりにやはり理解していたに違い有りません。言わば、相当人望が厚いと言う意味合いが有ります。まあ、どっちかと言うと伝説の人ですから、過大評価、風評、逆用、弟子達の誤行為は、必ず付きまといます。一番誤解を招くのは、あの世の人と考えらちで、この世には存在しない人と捉えがちになる事です。その内、如何様にも言い伝えられ、誤用もされがちになります。私は、実在の人物としか思っていないし、今も生きている人だと言う位置付けです。本人は、認めたくないとしてもです。
物語で言えば、「孫悟空」が有名ですが、私自身は、長編と言うことも有り、何故かまともに読めず、通読できないので、感想だけになってしまうのですが、この作者の意図もやはり、釈迦を大きく描いていて、猿術と言うのでしょうか、あらゆる方法を用いられる悟空にしても、釈迦の前では使えない相手とされています。これは三蔵法師が規制を掛けている訳ですが、なるほどと思っていますが、今はその理由は言いません。物語としては、良く構成されていて、人の興味を引き立てます。
この話は、私が言っている、電子、陽子、中性子とそれぞれの反物質にも適用できる話です。私は電子に付いて沢山述べて来ました。それで、御釈迦様は、中性子の様な人だと感じています。陽子は?と言うと活動家で、教えの人では無くなる様です。
でも、よく考えると、ここが、現代の問題点でもあります。原子は、これらがバランスよく配置されているから安定なのに、今の社会に、陽子らしき人物が見当たりません。駒が揃わなかったと言うのは、このことを言っているのです。
まして、今はその陽子を壊そうとしているのですから、「たいした、たまげだ」の世界です。人類を壊すつもりなんでしょうか。

私の生き物の理解度を示せば、これらの十二支を含め、人間以外の生き物は、それぞれ役目を持って生きていて、全ての生き物は、人間より優れた機能を一つは持っています。彼らの機能の上を行こうとすれば、必ず道具を使用するか、今では、電気や燃焼をを用いる機械を用いるかしない限り、敵いませんし、それ故の喜悲劇は、後を絶ちません。今、日本は、事件事故は起こせない状況にも関わらず、相も変わらず起きています。
余りひどいようであれば、人間が地球にはびこる意味は有りません。他の生き物達だけで十分です。少なくとも私はそう思っています。人間の人間たる所以は、他の生き物達の足りないところを補うために、智と言う授かり物を賜って、この世に生を受けたのではなかったのではないでしょうか。その約束事を破棄するようでは、もはや戦後ではない、じゃ無かった、人間ではない、になってしまいます。

科学技術を否定はしませんが、世の中とのバランス、自然との調和は不可欠です。何が何でもの発想は、何にもしないより悪い結果をもたらす事を、この間知った筈なのに、相も変わらず同じ事をしています。

では、動物には無く、人間だけに有る智とは何かと言えば、哺乳類の回遊生物は、地磁気が何故乱れるのか分かりません。渡り鳥も、気候変動の理由は分かりません。渡って来たは良いが、不作な時も有り、何故なのかは彼らの知能では分かりません。もっと細かく見れば、何故風が吹くのか、雨が降るのか、雪が降るのか分からないし、牛や馬は野生で生きるには、リスクが高過ぎるし、良き指導者らしきものが欲しいと願うところです。そのとき呼ばれるのが、オブジェクトとしての人間であり、彼らもそれを認めて、人間に支払いを求められても、言う事を聞く訳です。飼われている家畜は、飼い主の気持ちを読み解く事は出来ます。一挙手一投足で、分かるのです。なので、聖人が動物に襲われる事が無い、と言うのも、あながち嘘には無らない様です。
私がこれまで延々と述べて来たものは、誰かが、何かが求めたくても自身では無理な事を、変わりに答えているとも言えます。つまり、そのために私が生まれて来たのであり、役割を只、果たしているとも言えます。期待の答えているかは、受け取る側の判断に委ねられます。
これらのルールが守られなくなる時、又は破られる時、無条件に襲いかかります。これが、報いであり、これを常識とすべきです。

生物に関しては、粗方これで、網羅できると思います。細かいところを言えば切りがなくなるので、今日はこの辺までです。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

鬼ごっこ [雑学]

前の原子の消滅は、自然界では起こらないので、人間には知る必要の無い知識であり、何の役にも立ちません。今のテレビ番組が、殆ど役に立たないのと似たところが有ります。情報もうっかり鵜呑みにすると、思わぬ落とし穴だった事を思い知らされる事が、屢々です。後は受け取る相手次第なのですが、正しい情報が、掴めない、伝わらないのには、それなりの理由がありそうです。
あの話を、ちょっと見方を変えて、現実の社会に応用する事は可能です。

人間を形作る物質のうち、人間が制御できないものに、電子が有ります。と言うと、聞いた事が無い人が殆どだと思います。これは、不確定性原理自体がある以上、同じことを言っています。電子を観測すると、電子は観測機器の光に反応して、観測する前の状態では無くなり、違う状態しか観測できなくなると言うものですが、これは、日本には、子供の鬼ごっこにも言えます。「ダ~ルマさんがころんだ」は、後ろ向きに目を閉じ鬼として声を上げている間、鬼に近づき振り向いたとき、動いているところを見つかれば、その子が鬼と成り、見つかる前に鬼に触れば、鬼の負けで、また鬼に成るという子供遊びです。

電子の場合、鬼は観測者であり、近づく相手は電子です。この場合電子は、絶対見つかりません。これは素粒子にもいえる事で、観測は、諦めた方が利口です。
諦め切れずに、仕舞には打っ付けて壊してしまえと言う人もいる様ですが、これでは、誰も遊びに参加しません。殺されたのでは実も蓋も有りませんから。

しかし、これも又笑えぬ側面があります。社会の中では、誰もがこの観測者の立場であり、とある事件もこの観測者次第で、究極のところ電子の本当の姿を誰も解き明かす事が出来ない訳で、これが犯人、あれが被害者とは、相対的なものとなり真価は、結局断定できないとなります。つまり、自分の行動を制御している電子は、制御しようとすると、形を変えて、これがもう一人の自分に移ったとすると、それが一つに成ろうとして出会った時、思わぬ出来事に成る訳です。子供の社会も、大人の社会の鏡写しであり、大人の社会では、本当は有り得ない事も、大人の社会だからと言うことで、不合理を暗黙の了解で黙認出来ることも屢々で、子供は素直ですから、その形が、そのまま他者を自殺に追い込む事だってあり得ます。
それじゃ、駄目だろう、と言ったところで、これは根が深いので、一つを解決したところで、モグラ叩きのように又出て来ます。

この話は、ここで於いて置いて、私が提唱しているのは、確定性原理です。つまり、直接観測は諦めて、別の視点から電子を見る方法です。それには、幾つかの方法、理論を挙げて来ました。しかし、それは解明だけであり、解明できたらその後、人間がどう行動でき、社会がどう変化する事迄は、触れていません。実際、私も不確定なままの人間であり、不確実性な社会に住んでいる一人だと思っていますので、その後の事は、分からないとしなければ成らないのが実状で、ただ、それでは、駄目だと言っているだけに過ぎません。

では、ここからがそういった社会が出来たとしての仮定の話です。電子は、制御できませんから、一般に言われる意志は持ってはいけませんが、電子が逃げない範囲でなら、意志が持てそうです。それでも電子が逃げた場合、逃げた電子がどこへ行ったか分かれば良い分けです。又は、受け取った電子が何処から来たか分かれば、ある程度は判断できます。
これが、原子核の膨張の応用できる話です。そこに、色んな分子が結合する要因が生まれます。規則としては、あくまで、原子核は破裂させてはいけません。そうなったら、終わりです。

しかし待ってくださいよ~、この電子が、地球の裏側迄行ったら、どうなるでしょう。まして、国が鎖国政策を何百年もしていたら、会えなくなり、会えない時間は過ぎ変化も気付きません。しかし、電子は、会いたい方と、会いたくない方の両面に分かれ、船を使ってでも、飛行機を使ってでも会いに行こうとどちらかが動きます。
これが、黒船だとしたら、歴史をどう理解すれば良いでしょうか。
私の答えは当然出ているのですが、見方はどの立場に立っているかによって、幾通りに分かれます。科学的に考えれば、物理的に可能なので、電子が元の形に成る迄、運動は続きます。つまり、真の姿に成る迄です。

もし、世界平和を願うのであれば、この姿が一番見える人が首長に成るのがふさわしい事に成ります。今、国連事務総長は韓国のパンギムン氏です。どのくらい見えるかは、分かりませんが、英語が流暢に話せますし、ブレないし、落ち着きは確かなものです。
しかし、世界間の温度差は、実状の複雑さも手伝って、広がっています。
真の科学者に取っては、国等は関係ありませんから、国連にある程度の実権を握って欲しい訳で、アインシュタインもそれを望んでいました。

今の現実を見据えても、解決の道は未だ残されていますが、国連の状況を見ても、道は険しいのが分かります。シリア情勢を見ても、アフガン情勢を見ても、イラン・イラク情勢を見ても、何も進展していないのと同じです。日本は、多くはアメリカの傘に入っていて、他人事で済むところが有りますが、その傘が穴だらけと言うことも有って、たまに何か落ちて来る程度で済んでいますが、傘が無くなった場合の事も、考えておかなければ成りません。日本人の住めもしない、尖閣等私にはどうでもよく、争いの火種を自らばらまく様な事を、一国民がするべきではない筈です。
また、地図上の日本海表記の問題も有りました。私も、子供心に、日本海って日本周辺の海のことを言っているのかなと思っていたのですが、韓国、北朝鮮、ロシア、日本が囲む海の事だと知って、可笑しな表記だな、と思った時期が有りました。友好の笑い話で済む程度であれば、問題はないかと思いますが、とても友好と呼べる状況には有りません。

破綻国家に成る前に、そんな些細な事で、また、戦争したいのですか?

quantum Higgs [雑学]

「神の粒子」が、紙面を踊っています。
神と言う言葉は、宗教でも争いの種になるので、そう容易く使えない言葉です。
なので、英語で検索してみると、God Particle で出て来て、素粒子の扱いではない様です。量子は英語で、quantum ですので、Got quantum で検索すると、検索には、出て来ません。なので、quantum Higgs で検索すると、出て来ます。
どちらでも良いではないか、と思うかも知れませんが、哲学、科学、宗教の区別が付かないと、このブログの意味が無くなりますから、私にとっては、厳格に区別しなければなりません。

私も、宇宙の成り立ちにはかなり言及して来ました。今でもある程度そうだと思っているし、大幅な変更は有りません。追加と訂正で、水素原子が大量に出来る際、電子が飛び出して(電子の海)、銀河系ならその内部を包み込み、それが、重力収縮を引き起こし、核融合を起こし、核分裂ならぬ星々の放出が始まるとした、単純な図式です。それ以上言ったところで、ヒューマンガイドラインに抵触してしまいますので、私にとっては意味が無いし、一般の人に取っても意味はないと思っています。

素粒子理論は、日本の物理学者が先行し、世界でも実験が行なわれて行った、と記憶しています。アインシュタインの「晩年に思う」は、その南部陽一郎先生のグループの翻訳であり、二人は会っています。「君は今何をしているのか。」の質問に対し、「素粒子の研究」と答えており、アインシュタインのお墨付きの認可サインを貰っています。科学の進歩が遅かった日本では、アインシュタインの存在はさぞかし大きく見えたことでしょう。本人もその様なことを言っています。
でも、学者たるものそれでは駄目なのです。学問は、大体成人に成る迄でその人の体勢、骨格が決まります。年老いてからは骨格が無いものに、肉付けは出来ません。私もそれ相当に歳は行っていますが、私の骨格は、高校時代迄で大体出来ており、この時点で、かなりの自信が生まれないと、新しい展開は生まれて来ないのです。つまり、踏み入っては行けない世界です。

ヒッグス粒子は、高加速器で粒子を衝突させて出て来た17番目の最後の粒子とされているらしく、取り敢えず実験は終了となるわけですが、反物質の問題も有るので、これは、未だ続けるのか知れませんが、さて、反物質と原子核内部の粒子との関係は、何か分かって来ているのでしょうか。何か分かった様な人が、「それは今は、何も恩恵は無くとも、これから先多くの事が解明され、何十年後かには、原子力エネルギーの如く役に立つ時が来る。」と言う人がいます。そう言われると、返す言葉を無くしてしまいますが、言い換えればそんな保証は無く、逆に東京電力電力が侮った爆発事故が起こるとも言えます。

私自身は、そんな研究には興味は無く、宇宙創世も、生命誕生も、進化論も独自で理解しています。ブログでは未だ足りない所が有るのですが、大方、論理矛盾無しに、説明出来ます。そう成れば、道徳で言うところの、徳が生まれ、誰もが恩恵に預かれます。
素粒子のこの手の研究理論は、ざっと考えても、初めから論理矛盾しているのですが、主旨から逸脱していますので、止めておきます。
しかも、南部先生もそうなのですが、この手の学説である理論にお目にかかった事が有りません。未完成だからと言う理由は分かりますが、黄金の宝の山を発見するために、多額の費用と時間と労力を費やした結果、宝の山は無かった、と言う結果に成らない事を願うだけです。

前にも何回か触れているのですが、映画の世界なら神と言う言葉を使っても、その世界だけの話なので、割り切れますが、科学の世界で神と言う言葉を使う場合、宗教で神を持ち出すのと、今の時代、同じ比重の言葉だと思います。
宗教で言うと、イスラム教が、一番これに傾いている宗教ではないでしょうか。カトリック教もそうなのかも知れませんが、イエスの教義は継承していないし、どの立ち位置に成るのか、教徒ではないので分かりません。

そこで、例によって喩え話です。最初、霞ヶ関を壊す理由で、民主主義の定義に載っとり、やむを得ず民主党に迎合した少数党は、本分を果たし政権を取って、イザ霞ヶ関を解体する段に入ろうとした瞬間、濡れ衣を着せられ、舞台から引きずり降ろされました。やっと、濡れ衣が晴れて、党に又迎合した時には、時既に遅く、霞ヶ関に牛耳られており、壊そうと思って用意していた、鋼鉄の玉は霞ヶ関をかすめ、方向転換してしまい、何故か自ら居る民主党に打つかってしまい、党は分裂、破壊してしまいました、とさ。

笑うに笑えない話ですが、官僚の立場なら、目出たし、めでたしで、お終いになるかも知れませんが、待ち望んでいた庶民には、堪ったもんでは有りません。これは、素粒子探しの実験にも言えます。

原子核が分裂した場合、物凄いエネルギーが出る事を、理論的に立証し、核爆弾で実験をし、成功を収めた暁に、それを最初に落とされた国が、日本であり、怖さを体験しているにも拘らず、理論的にもまだまだ立証されたとは言えず、未だ実験段階で、陽子同士を衝突させ、安定である陽子を壊し、飛び散る量子を計測するとは、いつ何時、自らの身に降り掛かって来るか分からない実験です。
後に、アインシュタインは、核爆弾の事を時の大統領に進言した事を、深く後悔しています。「そう、私が落としたのです。」と。勿論、本人が落とそうと思ったのではなく、本人の意思とは無関係に、核の開発に理論的に貢献してしまったからです。

ですので、事の起こりは、思わぬところで波紋を呼びます。そこに、神の粒子なぞと名前を付けられた、他の宗派、特にイスラム教にとっては、胸を逆なでされる思いに曝されると、想像できます。
ようは、今後の火種を自ら用意し、ハンマーが振り落とされるのを待っている様なものです。
9.11の教訓は、忘れたんでしょう。

これも宇宙開発同様、日本としては担ぎ出された様なものです。

私自身が、争いに巻き込まれませんように!

東洋医学への選択肢 [雑学]

今迄は西洋医学的な、視点から論じて来ましたが、医学と言えども人に優しいと言われる東洋医学も存在します。呼び方はどうあれ、化学物質の薬剤を使わない、生薬を主に使う医学で、鍼灸(しんきゅう)療法も、体に対するかなりの知識が必要になりますが、日本では金儲けにならないのか、余り浸透していません。見方によっては、こちらの方が形として見え辛いので、うさんくさく感じる場合も有り、例の麻原彰晃も若い頃それを生業としていた訳ですので、今では尚更信憑性に欠けた存在です。しかし、それはどの世界でも言える事ですが、医師次第です。なので、どんな場合でも、医師になるには知識と経験を積まなければなりません。
どちらを選ぶかは、時と場合に選りけりで、選択の余地は患者側に残されています。私としては、軽い慢性疾患であれば、きゅう師を選んで、病気の原因を聞きながら、治療する方を選びます。化学物質の薬剤は、症状を抑えるには有効かも知れませんが、元々体の組成にないものを使う訳ですから、副作用は覚悟しなければなりません。

西洋医学では、西洋人の体系が大柄で、比較的症状が見分け易いという理由から、そちらを重んじられているのでしょうけれども、東洋人にそのまま当て嵌まるとは、疑う余地は有りそうです。

西洋医学では、体の構造を分解出来る迄分解し、合理的に治療を行なう仕組みですが、では何故原子レベル迄掘り下げないのでしょうか。せいぜい細胞迄です。しかも、そのレベルでは何千通りの組み合わせが有り、当然真の正体は分かりませんから、事有る事に翻弄される事になります。原子レベルであれば、体を構成している原子は数種類しか有りませんし、原子の性質が分かれば、組み合わせが多くなっても、翻弄される事は有りません。また、他の分野にも応用が効きます。

私から見れば、今の医学は未だそのレベルであり、多くの試行錯誤が続くものと思われます。で、今回はその話ではなく、その逆になるかも知れませんが、老子の言葉に「五官を閉ず」と有ります。この意味が分かるでしょうか。
これは解釈としては色々考えられますが、医学的に考えれば、目、鼻、耳、口、脳の事だとすると、病気であり、極端な話、死を意味しています。
そもそも、老子の言葉は、短いのに最初から難解です。と言うより、誰でも理解出来るような構成には成っていません。
この意味は「自殺のすすめ」とかの意味ではなく、私自身は、世間のしがらみを振り払うと言う意味に解釈していて、普通の人であれば五官を閉じる様な事をすれば、病気に成ります。又誰もそんな事を進める事はしないし、受け入れられません。
しかし、ここには重要な意味が隠れています。中には、生まれつき、盲目であったり、難聴だったり、唖だったりする子供もいますが、健康体で生まれて来れば、子供の頃は、何の疑いも無く世間一般の常識を受け入れ、五官から取り得る情報を全て吸収します。しかし、この一般常識が、本当の常識かどうかは、暗黙の了解みたいなものが有って、誰も保証はしていないと言うのが、老子の考えだとしました。それが、曖昧であっても時代の流れで変わることは、今では常識と成っています。例を挙げれば、安全神話がそうでした。それまでは、事が起きる迄、安全神話こそが常識でした。その他にも、日本の歴史上では、悪い例が沢山有ります。戦国時代がそうであり、世界大戦もそうでした。

この例からも、病気に成る事は必ずしも悪いものとは成らず、所謂、拒否反応とも取れます。つまり、空即是、善即悪、悪即善と成る時があるとの喩えです。
これに従えば、学校の成績が優秀な人間が、必ずしも善行を行なうとは限らないし、未来に繋がる展望を開いてくれる訳でもないとも言えます。
かと言って、そう言う人を否定する気は毛頭無く、問題になるのは、時代の流れ、空気を読めず、過去の栄光に酔いしれ、そこの留まってしまうのが災いする時です。

風や光は、五官を開いていれば、否応無く吹き荒れ、受容してしまいます。逆にその風を利用して、上手く世間を利用する人達も当然出て来ます。見立てでは、若い人達であれば、アイドル歌手や、芸能人、スポーツ選手が挙げられるか知れません。でも長く活躍出来るのは、ごく少数です。活躍出来なくなれば人生終わり、とけじめがつけられる人であれば、それはそれで良いのか知れませんが、一旦階段を踏み誤れば、どこ迄落ちるか未知数です。まあ、どちらを選ぼうが成功者はごく少数だと捉えれば、その道も有りとなるのですが、何分にも両極端となります。

それを踏まえた上で、医療を考えれば、西洋医学では、五官を閉ずの発想は、まず有りません。病気は医者が直すものであり、そのためには、医薬品は欠かせない事になり、治療しなくても直るもの迄、薬で治そうとします。それが、病気が病気を呼ぶ副作用であり、延々と続くことに成ります。

ここで、視点を変えて、個人レベルではなく、社会レベルで見てみましょう。
国の中枢機関がある中央を頭部、地方を手足として考えれば、戦後の経済成長を上手く説明出来ます。しかし、最近頭脳の方が、脳軟化症(ジキルとハイド)になって来ているのか、血の巡りが悪くなって来て、もっとちゃんと血液(税金)を回して欲しいと命令が下ります。しかし、今迄も輸血(赤字国債)で持たせて来ているので、これ以上の輸血には支障が出て来て、手足の方も上手く動けません。そこに心臓破裂(原発爆発事故)という重い疾患に襲われ、応急処置で入院手術となり、取り敢えず一命は取り留めたものの、予断は許せない状況となりました。心臓近くの部位は、がんが発生し出し、これもちょっとやそっとじゃ治療出来ない状況で、名医もお手上げ状態です。何とか完治させたい訳ですが、体力そのものも衰えて来ており、もっと輸血量が無いと、手術は難しいとの報告が有り、様子を見る状態が続いています。
体が弱ると、色々な所に病気を併発してしまい、今度は尿漏れ(洪水、土砂災害)が止まりません。パンパースも品切れ状態です。そこに、隣国で悪いウイルス(オスプレイ)がはやり出して、一番先っぽの親指が危ない状況になると警告が出されました。名医の一人(沖縄知事)は、断固防ごうとしていますが、脳の方は疲れて来ているのか、親指の足ぐらい切ったって大した事は無いと判断しています。それと、又肺(若狭湾の原発)に転移しているがんが、何時体に襲いかかるか分からない状態が続いています。

こう見れば、日本が今如何に危険水域に居るか分かりそうなものですが、名医だったらこの病状をどう判断するのでしょう。「お金が掛かりますが、お金が出せないと言うのであれば、申し訳有りません、ご末期症状です。」としか言いようが無い筈です。

この病気と日本の状況は、根本が同じ問題です。先に、病気が病気を呼ぶと言いました。後のは、お金がお金を呼んでいて、当然解決できないのです。これが、少しでも人道的なやり方であったなら、人道的な解決方法が取れたかも知れませんが、残念ながら、論理的にも他の解決方法は有りません。
イエスが、宮入りの際、道端の露店を蹴飛ばして進んだのを、気が狂ったと思ったでしょうか。
違うのです。撒いた宗教は、何も無ければ宗教だけで刈り取れます。つまり、撒いた種を自分で刈り取る事が出来るのに際し、それを利用しようとする商売人も仲間に入れてしまえば、刈り取る時に、商売人を仲間に入れなければならず、これが刈り取りを難しくし、ややもすると失敗します。政治家でマスコミを嫌う人がいるのは、それを知っている人です。マスコミの思惑次第で、足を掬われるのです。とは言え、政治に思惑があっては行けませんが、仲良く解決するにはお金が手っ取り早いのも事実です。

資本主義を掲げて国造りをして来たアメリカも、国民自体が変化して来てるみたいです。
さて、日本の行方は?

電気予報の見方 [雑学]

話の続きではないのですが、気になったので一つ、
節電の夏とか言われているので、電気予報は毎日、新聞で確認しているのですが、今日の東北電力の電気予報は、ピーク時が午後2時台で、76.2%です。今の時期は、暖房も冷房も使わないので、使用率が下がるのは分かるのですが、去年の今頃は、電力が足りなくて、東京電力から電気を貰っていた事になっていて、これは、「NHK」テレビからの情報なので、情報源は信頼筋の情報です。去年と今年と何が違うのでしょう。理解出来ません。
去年は壊滅的被害を受けた地域では、当然電気は使わないし、避難所も全てが完成してはいなかった筈です。条件は去年の方が良かった筈なのに、電気が足りなかったとは何が原因したのでしょうか。
それとも、今年になって、新たな電気を作るシステムが稼働したのでしょうか。それとも去年は、別の発電所が長い間トラブルに襲われたのでしょうか。
しかし、そんな話は聞こえて来ませんでした。東北電力に聞きたいところですが、仕事柄、御役所的なところが有るので、期待は出来ません。

電力会社の事は、丸っきり素人ですので想像も出来ないのですが、お役所的なものと断定すれば、隠蔽、贈賄、闇手当は、当然ながら可能であり、全国で協定も結べますので、一種独占連帯企業です。
ここで今、自然再生可能エネルギーで、一番困る所は何処かと問うと、東京都です。良いとか悪とかの意味ではなく、人口比率から見ても、電気の消費量から言ってもそうなります。なので、海外のエネルギーを頼るか、原発に頼るかしなければなりません。事実過去はそうでした。原発がフル稼働しているものと仮定して、東京都は、柏崎、福島があれば、余裕で足りていた筈です。東北でも女川があれば、今でも余裕な所を見れば、相当余裕だった筈です。ですから今迄電気の事なぞ、心配しなくても気にせず過ごして来れました。しかし、一旦不具合が生じれば、疑いは疑いを呼びます。

そもそも東北電力とはどう言う区分け方で決められたかです。新潟県は地理上、東北ではないのですが、何故か電気は東北に組み込まれています。東北でなければ可笑しな問題が生じるのでしょうか。別に関東甲信越の区分け通り、そちらに組み込めば良いのではないでしょうか。そしたら、柏崎だって、公然と関東に電気が引き込めます。過去の経緯は知りませんが、資料も乏しく、素人には分かりません。それとも、東北も東京も名目上の区分けで、どちらでも融通出来るシステムなのでしょうか。事実、東北と東京だけは、節電数値目標が設定されていません。それならそれで、一つになれば良いと思うのですが、合理化をすれば困るのがその会社の経営トップ達です。
当然霞ヶ関役所内部も、困ります。今は霞ヶ関ではなく、永田町に移っているのか知れませんが。
送電にしても、距離が遠ければエネルギーロスがかなり生じ、コストを考えれば、なるべく近場から送電するのが良い訳ですが、なぜ福島、柏崎と考えると、柏崎の場合特に、疑問符が付きます。どうなっているのかさっぱり分かりません。

只言える事は、万が一爆発事故が起きても、被害が最小限で済む立地を選んでいる事です。つまり、想定外ではなく、想定しているのです。まあ、政府も東電も一蓮托生ですから、詭弁はちゃんと用意していますから、後から何とでも言えます。

これらを踏まえて、今の状況を考えると、関東地方は天気がぐずついていて、冷房はさして使う必要がありません。東北電力が、余分な電気を関東に送っていると仮定すると、今はさして送らなくても足りるとなります。そうなれば、電力は余ります。はっきり言って、総電力量の23.8%の電気量は、相当な量です。関西の節電数値目標を、上回ります。まして、これはピーク時を想定していますから、時間帯によっては、更に余ります。ここは、関東が暑く、東北が涼しい時、又その逆の場合を見て行けば、謎が解けそうです。
また一つ新聞の見方が増えました。

頂上決戦 [雑学]

私の言う頂上決戦とは、古来の英雄の士が集う場です。なので、これを集らせ、導けるのは、イエスだけなのですが、権限は丸っきり有りません。まして、時間も空間もごちゃごちゃです。なので、気が狂いそうになる人は、ご遠慮ください。ですが、なるべく懇切丁寧にとは、心掛けたいと思います。
ここは、イエスが亡くなる時から、歴史のドラマのフィルムを逆回しする様な世界です。
ここで、既に問題です。時間は戻らないでしょう、と誰しも思う筈です。確かに同じドラマは、起こりません。自然はフィルムが記憶しているものではないので、歴史のドラマは筋書きの無い一回こっきりのショウです。しかし、植物の種子は、遺伝子を記憶するとき、一番最後の変化を取り込み折り畳んでから、変化を先に芽から出して置かないと、変化出来ないのではないでしょうか。情報の世界では、後入れ先出しとか言う事だと思います。
この植物の原理から言えば、地に落ちたイエス霊魂は、時間が逆転するかのように、行動します。まあ、こんな事は特に官僚思考の人は、認めがら無いでしょう。つまり、日本経済が右肩上がりな事ばかり想定していたのに、下がって行く事は想定していなかったと言うのと同じです。もっと、右肩上がりの経済を探すのも一興かも知れませんが、例えば宇宙開発とかそうかも知れません。
ここで又悪い事例が出て来ます。経済が自国から自ずと湧き出る文化では無く、アメリカから水を引いているのです。「ホリエモン事件」を忘れたのでしょうか。これも莫大な富がアメリカに流れる結果と成りました。軍事機を買うのも、そうです。今宇宙開発を牽引しているのは、ITの技術開発にもはや参入出来る頭脳が無く、資産だけを持て余しているバブル民間企業です。良い例ではない筈なのに、NHKが率先して流しています。そんなにアメリカに資金を横流ししたい財務省とかとは、何なのでしょうか。アメリカの経済は、日本の暴力団のゆすり資金源が無ければやって行けないのと同様、日本のゆすり金庫が無ければ、とっくに消えていた国です。私の言っている事が間違っているでしょうか。過去の事例を良く見れば、該当する事象が有る筈ですが、二枚舌だか三枚舌だかに言いくるめられると、はいそうですとなってしまうのでしょうか。それは、鶏が3度鳴く前に、の喩え通りなのかも知れません。
と言った具合に決戦場では、あらゆる誘惑と誤謬と錯覚が瞬時に交錯します。大概の人は、そこ迄は至ら無く、平凡に終わってしまうと言う、ジレンマに襲われるかも知れませんが、平凡又はどん底を治めて来たからこそ到達出来る頂点でもあります。

時間の逆転は、そここそに見れます。例えば、親子の関係もそうです。時計と言う時間は共有していますが、体内時計は、子供は未来(活動)に、大人は過去(静止)に、つまり老いの方向に向かいます。これが自然な形に思えるのですが、最近は子供の事などほったからしの親もいるみたいで、不自然さらしさこそ人間らしさみたいな親も居るみたいです。否定はしませんが、後々困るのは、本人達ではないのでしょうか。

歴史上の人物史に詳しい人なら、どんな時代にどんな人物が登場して、何をしたかは、知っていると思います。しかし、よく考えると、全て思いを遣り遂げれずに散っている事に気付かれないでしょうか。宗教と言えども所詮私の言う仮定の話です。これを実践しなければ、何の意味も有りません。だからと言って、最初から実践出来ないものと高を括るのは、それが起こると困る人達か、今この世の束の間の幸せだけを噛み締めている人達だけです。そんな人達はさて置き、私の言う時間の逆転は、物理現象であり、物理法則であり、何人も避け得ません。
この舞台の場では、全ての宗教、団体、機関が融合し、混沌状態に見えますが、法則はちゃんと働いています。ここは国とかの国教は有りません。煩わしい法律も働きません。在るのは、その人そのものであり、正しく働く法則だけです。ここで、個々人が全て判断しなければ成りません。が、個人の能力には限界があります。私の判断材料は、今迄もずうっと述べて来ました。元々一つだったものが、分配されたのですから、風を光を読まなければなりません。ここでは鏡写理論が役に立ちます。自分がどう他所から写っているのか、判断出来ます。登場人物も併せ持たなければ成りません。世相も判断しなければ成りません。同時性も考慮しなければ成りません。判断材料は、今はその時ではないとなれば、トリカブトならぬ他宗教が立ちはだかります。ここで、駒が揃っていないと成れば、舞台から去らなければ成りません。
しかし、舞台から中々降りれない集団が在ります。贅肉を沢山蓄えた国家機関みたいなものです。自浄で降りられないとなれば、ミツバチをスズメバチが襲うが如く、襲いかかる集団が発生します。自然な行為です。
それが、オウム真理教だったのではないでしょうか。今でも未だこのような、事体が発生する要因は残っているのですが、やられる側は、反省はしないんでしょうねえ。私の見立てでは、未だ別の集団が残っています。私とはもう交差することは無いでしょうけれど、これは大きくなる危ない集団です。
知らない振りをするのは、私の本望でもないので、一応警告はしておきます。

これは、イエスが弟子達に残したような教義ではないので、神髄迄は触れませんが、興味があるのであれば、考える方法は、既に述べています。

ここ迄大部突風並みに飛ばして述べて来ましたが、生命化学には、倫理も必要なので、取り敢えずこの世界は終了して、又生命科学です。
タグ:頂上決戦
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

諸問題2 [雑学]

この間、O157について触れたので、無視できないと思ってアップするのですが、今日新聞ニュースで見ると、食中毒対策で千葉大大学院の発表で、酵素あると重症化と言う記事が有りました。病原菌を突き止めたのかと思いきや、一酸化窒素NO があると、感染力が強く、毒素を増していると言う話です。ニュースとしてはマイナーな話だとは思うのですが、気になったので一言。
実験ですので、結果がそうなら成果であり、対策の視点も立て易くは成るかと思いますが、このNOは、自然界に、又は生レバーにそんなに存在できるものなのでしょうか。私の記憶では、この窒素化合物は、工場の燃焼ガス、特に清掃工場とか、自動車の排気ガスからしか出て来ない物質と記憶しており、最近では排出規制が厳しくなっていますので、そんなに存在しないと見ています。また、一酸化窒素と比べても、分子の自転、回転は少なく、人間に特に直接外を与える事は少ないし、取り込んだとしても、アンモニアとして排出する機能が、体に備わっている筈なのですが、何故これを持ち出したのか理由が分かりません。大気中では、窒素と酸素が殆どと言われていますから、自然に一酸化窒素が出来る筈は無く、有ったら、大気中がNOだらけとなり、体が酵素パワーで分解され、生物は誕生しなかったと思いますが、違っているでしょうか。第一、何の物質が酵素で活性化するのも明らかにしていませんし、結合のパターンは単結合なのか、二重結合なのかはっきり謳っていないし、曖昧です。なので曖昧で終わります。

それと、今の国会の行方なのですが、法案が参議院で可決されれば、成立となり一件落着と成るのですが、果たしてその後民主党は何処へ行くのでしょう。又は、これから任期迄、何をしようとするのでしょう。官僚が用意したシナリオは、今の政権混合チームが、もはややって呉れたので、もう用済みです。当然官僚側は、公務員改革は、これ以上遣らせないだろうし、総理大臣には、恩を売ってあるので、大手を振って言えます。民主党が分裂しようが何しようがカラスの勝手ですから、良いのですが、来年迄空転させる気なのでしょうか。それも、百歩譲っていた仕方ないとしなければ成りませんが、解散総選挙に成れば、事体は更に深刻です。
元々、自民党は、消費税だけは上げたかった政党であり、今度政権を取れば、即刻消費税を上げることも予想されます。又は2014年に粋なり10%に成る事も予想されます。
見たところ、自民党にはリーダーにふさわしい人は見当たりません。ドングリの背比べです。官僚と同じ保身政党です。私に言わせれば、XXX教のペテン師宗教団体と、変わり有りません。今のところ、マトモな党だと見えるかも知れませんが、野党だから言える突っ込みも有るし、それが一番マトモに見えたのが、民主党だったでは有りませんか。何度騙されれば気が済むのかと言えるくらい、騙されています。
私にとっては、誰が、どの党が政権を取っても、同じなのだと判断せざるを得ません。なので、どうにも成らないと言うことで、終わります。

それと気象なのですが、やはり気象前線に異常有りです。気象庁等で使う天気図には、明らかにバグが有ります。それは、低気圧、高気圧の高等線の表し方で、平面図では、山、谷と言った分かり易い図に成っていますが、実際それで事足りるんでしょうか。私は、遥か上空と低空とでも区別しなければ気象は読めないと思っています。確かに平面図に、3Dを交えて表現するのは難が有りますが、テレビでは、今時3Dを使ってバーチャルな虚構を作っていますから、やろうと思えば、出来るんだと思います。また、気象衛星画像は、白い雲の動きしか、観測できませんので透明な部分の動きは、分かりません。実際は気圧も変化しているだろうし、山なのか、谷なのかも見えません。また、白い部分の雲でも、下の部分は見えません。私の理論では、上層の雲と、下層の雲の動きの違い、速度の違いから雷が発生するので、衛星からでは観察できない事と成ります。
で、何を気にしているかと言うと、やはり、地震でかなり破壊された地盤の上空の大気です。ここ数日では有りますが、上層の大気が居座っているとしか思えない兆候が有るのです。別の言い方をすれば、動けないでいる大気が有るのです。
普通であれば、梅雨前線がそろそろこちらにも北上しても良い頃なのですが、南部に停滞したままです。なので、梅雨入りが発表されてから、マトモな雨が降らず、快晴な日が続きます。夏が来たのかと勘違いする様な天気です。一周間予報でも、降りそうに有りません。ここは、もうちょっと注視したいと思います。

それからタコのニュースです。やっと、福島県沖の食べ物であるタコが、販売されたようで何よりですが、注目したのは、タコからの放射性物質が検証されなかった事です。前にタコは物質をコントロール出来るとしていました。やはり、その様です。タコの生活圏を考えれば、定住型であり、海の海岸脇底を餌場としている筈ですから、一番放射性物質を食べている筈ですが、体からは検出されないと言う事は、栄養に成らないものを区別し、時と必要に応じて取り出したりしていると言えないでしょうか。答えは自ずから出て来ます。タコ墨です。この墨は、防御のために使っており、言わば外敵が嫌がる物質です。それは、有機水銀だったり、放射性物質だったり、他にも色々あるか知れません。ひとは、タコ墨は滅多に食べませんので、調べられてはいないとは思いますが、黒色とは色々な物質が混じり合わないと出来ない色だと思います。この黒の生き物で最近上げたものにカラスがいます。
考えてみると、カラスは下手物食いです。よくあんなの食べて食中毒に成らないものだと感心しているのですが、カラスも消化出来るものと出来ないものとを、区別出来る能力が有ると言えないでしょうか。この点では、人間より遥かに優れていると言わざるを得ません。
とすると、タコはいかなる劣悪な環境下でも、生き長らえて来た生物だと言えます。

それと、先のブログにも触れているのですが、官僚の思考回路に付いて一言。今回の法案の成立の仕方で思ったのですが、官僚思考とは、それが合っていようが、間違いであろうが、先に答えを決めておいて、それから辻褄合わせをするみたいです。一旦決まれば逃げ道として、重箱突きをして、追い込み錯覚に陥れる方法の様です。期限ギリギリ迄役者に演じさせておいて、最後には思惑通りに運ぶと言った寸法でしょうか。
官僚と言えども人であり国民であり、優れた人では有ると思いますが、生活第一の生活者は、公務員だけでは無い筈で、その作った屋台骨が崩れかけているのに、作った本人達が逃げて、国民に押し付けるとは、如何なものでしょう。親戚一同の中に、公務員は一人もいませんので、公務員制度がどうなろうと、知った事ではないのですが、私の理論の邪魔だけはしないで下さい。
私も、答えを決めて理論の展開をしていますが、決して自分の都合に合わせて行っている訳では有りませんし、修正は絶えず行なっています。第一これを読んだからと言って、金銭に困らないはずです。
タグ:諸問題2

日本の思い出 [雑学]

前の続きは、殆ど出来ているのですが、何故か文章としては出来が悪いと言うか、伝わらない様な気がしているので、取り敢えず話題を変えて、日本の文学に付いての思いでを振り返ってみました。と言って日本の文学に付いては殆ど門外なので、戯言になるのですが、子供心に理解はしたいと思って読んでいました。
でも、先に嫌悪感ばかりが走って来るのですけれども、今の時代は、日本の文学はどういう位置づけかは、噸と分かりません。未だにマトモには読めません。

明治の文豪と言えば、夏目漱石、正岡子規とかが有名なのか知れませんけれど、どちらも早死にの人と言うイメージです。早死にが悪いとか言っているのではないのですが、ではその後の世界は、継承されているのかとなると、それで完結している様な気もします。科学の世界は、この世の現象が解き明かされる迄続きますから、個人的レベルでは無く、世界的に継承が続きます。

夏目漱石と言うと、坊ちゃんとか有名だと思いますが、何がどうなのか、とんと分かりません。その他にも三部作とか有ったと思いますが、何が本筋なのか彼女の事なのか、ただ、「Stray Sheep」だけは気になりました。
漱石が絶賛した、門下の芥川龍之介の作品も、初期の作品は読めません。ただ、寓話形式の「鼻」「羅生門」「蜘蛛の糸」「杜子春」は、作品としては中々だと思います。ただ、読んでて疲れます。後期の「歯車」「西方の人」で、やっと時空が見えます。つまり、今迄誰も踏み込んだ事のない、この世の成り立ちに触れていたのですが、これくらいだと、私も読めます。なのに、絶え切れなかったのか、その世相では禁じてだったのか、若くして命を絶っています。その頃だったと思いますが、アメリカでは、アインシュタインの名声が高まり、日本でも知られるようになります。なので、龍之介も彼の事に付いて若干触れています。子供の頃の思い出として「かわいらしいものにゾウ」と書いていたと。又こうも言っています。「ゾウよ、お前はコスモポリタンだ」と。当たっているとは思いますが、祖国のドイツの指揮官ヒットラーに懸賞金が掛けられ、指名手配されている以上、国を思う気持ちを持てなかったのは、当人にしてみれば当り前です。
彼の作品の「彼第二」は、当人はおろか、後にこの軌道を通る人にも狭き門を与えます。それが誰かは、言いませんが、背理法で出て来ます。

その後を継承していると言えるのが、太宰治だと思うのですが、初っ端から、自殺未遂しているので、作品なのか、遺書なのか、どういうジャンルにはいるのか見当が付きませんが、外国での評価は、「駆け込み訴え」が一番良かったと記憶しています。彼も亡くなる前に、私の電子波に繋がる作品を残しています。

文学だけでなく、日本の哲学書、科学書には目を通したつもりなのですが、学問には、国教がないはずなのに、日本の域を出ていないとしか言いようが無く、その点まだ芥川龍之介の方が、扉を開けてくれたと言う意味で、後世に残るものだと思います。まあそれを、気が狂ったと言って、国民が別の道に引き返したところで、待っているのは国民総心中だった訳で、最悪と迄は行かないものの、近かったのではないでしょうか。

しかし、この手の問題は、時代が過ぎたからと言って去った分けではなく、ある人達に取っては、未だ残っているのだと思います。例えば、不確定性原理をそうだと思う人、国家や政治を信望している人達に取っては、未だに続いている問題なのだと思います。
私も、それは先行き不透明ですよと言っているつもりなのですが、その立場で生きている人に、そんなことを言っても馬耳東風なのだと認めざるを得ません。

話が大きく変わるのですが、今問題になっている事に、脱法ハーブが有ります。
これに関する事故が絶えず、周りにも迷惑をかけているので、防がなければならない分けですが、これが、法に触れる物質かどうかを判定するのが難しいらしく、抜け穴だらけなのだそうです。この検証を妨げているものに、この間迄触れていた、向精神薬があるそうです。しかしこの手の問題は、社会背景が大きく絡んできます。報道は、それを使用した個人だけをターゲットにして、番組を構成しますが、根幹から絶やすには、その背景をセットにしない限り、情報が一人歩きするだけです。では、多く発生している人口密集地帯を見れば、大概は色んな意味で揺れています。大阪もかなりの問題を抱えていますし、それ故、橋本市長が浮き上がっています。その中で、向精神薬を必要とする患者は、多いものと思えます。
そうだとすると、それは見えない部分にしろ、地域全体にじわじわ広がります。ここが問題源だと思っているのですが、何故、こう言った人が増えるのかが問題です。通常地域社会が健全であれば、薬なぞに頼らなくても、生きて行けるはずです。被災地もそうだとは思いますが、地域が破壊されているところでは、復興軌道に乗る迄、かなり続く傾向だとは言えますが、何故インフラが整っているはずの都会みたいなところで、起こるのでしょうか。マトモに考えれば、都市の破壊が始まっていると言うことです。確かに改革は、ある種の破壊が伴いますから、一部の現象として起こるのは想定できますが、気軽に脱法ハーブを買えるのは、社会がある程度許容していないと出来ません。
考えてみれば、脱法ハーブは、高価なものです。これは、良い意味での社会に還元は出来ません。強いて言えば、税収が増えるのかも知れませんが、脱税もやろうとすれば出来ます。元々脱法ですから。皮肉なものです。税収を上げようとする行為が、思わぬ形で現れる事にもなるのでしょうか。医療も同様に言える様な気がします。法が定まっていないから売れる、法を定めると向精神薬が作り難い、となれば、イタチごっこです。抜け穴は、延々と続きます。次第に社会も悪くなります。

今のところ政治も不安定ですから、皮肉混じりで言えば、不安定が不安定な人を呼び、生活保護を必要とし、不安定な人が向精神薬を必要とし、不安定な人が脱法ハーブを必要となり、負の連鎖が止まらなくなります。そこに科学者が、不確実性の時代だからなどと緒膳立てしたら、付ける薬も無くなります。

私に一言と言わせてもらえば、どちらの社会に住みたいのですかです。不確実性な社会か、確実性の社会かです。確実性の社会は、そう容易くは訪れません。かと言って、今の社会に甘んじていれば、この様な社会から脱却は出来ません。選択は今迄でも有ったし、残されていた道もあったのですが、遅れれば遅れる程、道は閉ざされます。まるで、蜘蛛の糸の様なものです。一言でした。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。