科学の宿命 [科学]

物質が最終的には何からできているかは昔から人間が悩んで来た問題です。
歴史的にはデモクリトスの原子論ー不生・不滅・無性質・分割不可能な無数の物質単位。
アリストテレスの四大元素論ー火・空気・水・土。
これらの研究者達は、どちらも物理学、天文学、気象学、動物学、植物学、数学、哲学、音楽と全てにおいて秀でた人達です。つまり物質を理解するには自ずと他の学問も考えなくてはならない付属の学問なのです。私のブログも最初から読むと分かるのですが、物質について新たなる発見があれば、付属で他の現象も見えて来るので、同様に説明しなければならなくなるのです。前にも言いましたが、学問は一枚岩であり、どれかが成立しなければ、間違いなのです。必要がない虚構の学問なのです。
今回、地震や津波で、ほとんどそればかりのブログになってしまいましたが、科学者であれば、ここぞとばかりに思考を駆使して原因を究明したり予測したりと自ずと働きます。もしそんな思考が働かない科学者がいたら、それはもう科学者ではありません。偽善者か、ペテン師です。
過去の先人達が残してくれるからこそ、何処がまずかったのかも分かりますから助かりますが、新たに再構築する際には、すべてが上書きされる自体にもなります。それが科学の宿命でもあります。
前に素粒子物理学の危うさについて書きましたが、ではミクロの世界をどう探求したら良いかを提案したいと思います。何が有用であり、何が不毛なのか説明したいと思います。

物質の単位を区切るのに、陽子、反陽子、中性子、反中性子、電子、反電子だけで十分宇宙や地球を上手く説明できるのです。これで6個の物質が有りますから、これらの相互作用をそのままクォーク6個に置き換えれば同じ理論になるのです。つまり今の素粒子物理学は、他の学問とは無縁でもあることからも、行き詰まりの袋小路の学問なのです。この不毛な学問に巨大な加速器を作って研究するのはやめて欲しいのです。では他の方法はと言うと、前に人間時空というブログを書きました。ほとんど読まれてはいないのですが、ここに解決方法があるのです。これは宗教とも関係して来るのですが、これは考えが間違っていると自らの命を絶つことになりますので、私自身怖いところもありますが、いずれ誰もが通る道です。これは後でもっと詳しく説明したいと思います。
ところが、素粒子の学問は、痛みも伴わないエンドレスゲームですし、原発事故同様、一歩間違えば、破滅が待っているのです。これが日本の経済にどのような悪影響を与えるか分からないのでしょうか。

人間は月のような遠いところから見れば、大きさ的には素粒子のような存在です。
ですから、人間としての振る舞いが分かれば素粒子の振る舞いも理解できできるとした方が、人の役に立つし、逆に言えばそうでない研究、施設は負の財産となり人の道からも外れるのです。
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