諸問題 [雑学]

最近余り地震についての記事を上げていないのですが、気にしていない分けではなく、これと言って前兆になる現象が見つからないからと言うのが圧倒的理由です。未だに、余震ごとき地震は続いていますが、新たなる大地震に繋がる兆候では有りません。ただ、何処かの報道で言ってた、「何時来てもおかしくない状況」と言う無責任な発言は止めて欲しい気がします。気象については、気象衛星が今は有るので、それを頼りに予想は立てられますが、これが仇となって、本来人間が持つべき気象予知が麻痺しまっているのです。これも、そのために大気圏を壊して衛星を打ち上げ、気象の異状を作っていながら、この異常は気象衛星が有るから分かるのです、とはトキならぬ、本末転倒です。あの大震災でさえ、まだ観測技術が進んでいないからと言って、地盤を壊しながら機器を設置して行ったら、地震が余計起こるようになったとなったら、シャレにならないじゃないですか。私に言わせれば、そう言うのに限って、地震との関連付けが出来なくて、「ほろげ!」るのです。ほろげとは方言ですが、平たく言えば、大事な予兆を見逃していると言う意味です。

それで最近気になるのが、海洋の異常なのですが、東北の太平洋岸は一部を除いて、未だに復興みち中場なので、はっきりとは分からないのですが、大部、海が汚染されていると言う気がします。これは今に始まったと言うわけではないにしろ、今年は顕著です。もはや、放射能汚染水をどう処理しているのか、してたとしても、処理しきれない水が漏れ出ている分もあるわけで、東電は料金値上げの報道の陰に隠れて、公表には至っていません。それに加えて川から流れ出る工場汚染水もあるでしょうから、特定はさらに難しくなります。他にも世の中の動きが有って、情報が流れる景色状態となって、問題を先送りしています。私も、福島の復興なくして東北の復興無し、と思ってはいるのですが、地方以外の誰かには言われたくないとは思っています。

次は、脳死による臓器移植の話です。これは、医療の世界では、高度な医療に入るのでしょうけれども、倫理や社会に与える影響に付いては何も確立していない分野です。嘗て、アメリカ等では、成功事例とか報道が有ったような気がしますけれども、最近はどうなのか、関係筋でないので、丸っきり分かりません。これは、その後の社会復帰迄が、完了形でしょうから、その後の情報も聞いた事が有りません。でなけれ、モルモットの変わりに人間を使ってミタの話です。
先に結論から言わせてもらえば、これは、私のヒューマンガイドラインに抵触していて、やっては行けない行為となるのですが、生きている世界が違うので、見守るしか有りません。

そこで、私なりに、脳死とは何か。移植とは何かを考えてみました。
生命化学の話は、まだまだ序章で、ここ迄辿り着けてはいないのですが、脳死の判定は、本当は厄介な問題なのです。脳以外の部位が未だ活動しているのであれば、中枢神経を通して中枢迄まだ情報を送っている事になります。その情報が処理されずに、無信号のまま戻って来るわけですから、臓器側は私を必要していないと判断して、活動を停止します。勿論水も食料も取らなくなる分けですから、時間の問題で、異連れ停止します。しかし、今の医療では、点滴で外部から必要な栄養は補給する事が出来ますので、臓器だけは未だ活動は出来ます。その時間を縫って、臓器を取り出し、移植した分けですけれど、果たして、臓器が未だ停止していない状態で、脳が反応しないからと言って、その人の死と断定できるのでしょうか。本当に脳は死んだのでしょうか。一時的に停止したのではないのでしょうか。
それは、名医の判断だけで、一般人には分かりません。死んだと言われれば、両親は、そう信じざるを得ません。それで良いのでしょうか、眠れぬ森の美女の話も有りますから。仮に、体が全停止しない限り、死を認めないと言う法律が有れば、これは、臓器を切り取ると言う、一種バラバラ殺人と言う犯罪となり、死刑又は重犯罪に当たりますが、そのような法律は有りません。この頃は、法務大臣も無責任な人が多く、コロコロ変わります。法務大臣と言えども、人の子ですからで済む話なんでしょうか。

医者になるには、それなりの、学問の成績、論文、実績がなければ成れませんし、お金も相当掛かります。そう容易く誰でも成れるものではないとは思います。とは言うものの、今の学問は、私の見る限り、明らかなるバグが有り、究極的には、学校で習うような綺麗な方程式は無いし、化学反応式でさえ、辻褄合わせだと思っているし、歴史観も偏った物だと思っています。その中で喩え成績優秀だとしても、それだけの事だと、まずは疑って見るのも私には必要です。

では、臓器移植でしか生き延びる事が出来ないと言われている患者の場合どうでしょうか。今回はグッドタイミングで、臓器提供者が出たと言う話になっていますが、これでさえ疑えば、本当にそうだったのでしょうかの話になります。医学会は、前にも触れましたが、捜査の及ばない白い巨塔に守られている世界です。増して、サリン事件のようにはっきりした事件ですら、何十年と解明が続いています。医療ような事件となれば、倫理が絡んで来るので、何百年掛かるか分かりません。今のような法務大臣の元では、「そんなことやめようよ。」で済んでしまいそうな気がします。

この提供を受けた人の人生は、今後続く生命化学の話にも続くので、慎重に考えたいのですが、私の理論では、例え生き長らえたとしても、人並みの社会復帰は出来ません。出来ないところか、治療無しでは生き長らえる事も出来ません。これは、社会的に世間を騒がす行為であり、社会そのものを歪めます。こんな事をして得をするのは誰でしょうか。
一体この医療費は、誰が負担するのでしょう。
そもそも、他人の臓器は、心臓の場合、機械的なペースメーカーの様に使うのかも知れませんが、前にも言ったように遺伝子が違いますから異物です。どの部分迄移植するのでさえ明らかにしていませんが、遺伝子組み換えは、かなり失敗を繰り返し、手術を積み重ねないと、是非の判断さえ出来ません。食料となる植物の遺伝子組み換えさえ、安全は不完全な状態で、この問題ですら余り知られていません。輸入自由化とか言っていますが、その時ですら、この安全性には触れられていません。植物は人体と比べても、比較的実験結果が出るにも拘らず、まだ未解決な問題が山積みになっているのです。
そのような状況で、この手術が公認されているかの如く行なわれるとなると、社会の次なる連鎖が起こることが容易に想定できます。電子波は、風と供に容易に人の体に入って来るのです。
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