台風進路予想屋かく戦へり [気象]
台風について一番知りたいのは、発生した台風が自分に住んでいる地域にやって来るかどうかだと思っています。
気象庁が台風の発生と同時にある程度の進路予想も発表してくれていますが、どのように予想しているのか詳しいことは私には分かりません。予想ですから絶えず日々修正はしているものの、できれば農作物を扱う、又はその影響を受ける職業の人たちにとっては、1日でも早く正確な予想が欲しいところです。そこで考えました。その台風が必ずその地域に来るその地域の条件を。遥か南の海上に発生する台風は見た感じ日本に上陸するかどうかの判断は難しいように思えますが、過去の資料も沢山あるので、似たようなパターンを探せばある程度は高い精度で推論できるかもしれません。しかし、私の場合は過去の統計的資料は使いません。最近頻繁に使われる言葉に「これまでにない…」とかの表現があります。つまり、データを頼り過ぎると、思わぬ被害に襲われることもあり得ますから。
その前に台風に対する偏見的イメージを取り払いたいと思います。先ず、表現として台風を何か生き物かのように表現をしている解説者の言葉を耳にすることもありますが、あの台風の中心にある目と呼ばれる場所は、何もない真空の状態に近い所で、自ら動いているわけでも撒き散らしているわけでも無いと考えました。では、いつどのような時にその目ができて来るかと言うと、熱帯低気圧が北に進路を取り始めた時に、としました。つまりこの時に時計回りと逆の回転が始まります。回転については大分前に触れたことがあったのですが、説明はしたものの、何かしっくりこない感がどうしても残っていたので、修正追加しました。今度はかなりの正確性を得ていると思ってはいるのですが、自然の現象は表現では必ず不完全性を含んでしまうので、取り敢えず設明すると、この何もない空間を作ったものは雷としました。雷は電気を発生させると同時に大気を裂いて何もない空間を作ります。証拠にゴロゴロといった音は、空間が押し出された分だけ大気中の原子が振動して振動波を起こしていると考えています。真空とはバキュームのことでもありますから、上空に溜まった雨雲を集め雨水を作りその雨道筋を導きます。しかし、雨水量が多い時は一気に雨を降らすことはできず、そこに集まる雨が落ちるのを待つ状態が生まれます。つまり、最初に引かれた真空の場所が北にずれていく場合、偏西風に流されてくる雨雲は、待っている間に逃げられた状態となり時間差が生まれ、南に回り込む形となり渦ができることになります。まあ、単純に、純粋的に考えればそうだと思います。では東側の雨雲はどうかと言うと、偏西風とは逆に運動しますから抵抗分速度が遅くなりまた西からのものとぶつかりますから、そこで、中心に落ちて行く前に落ちてしまいます。単純に言えば東側の雨雲の方が雨量が多いとなります。
さて、では台風はどの時点で勢力を弱める又は低気圧に変わるかと言えば、みなさんご存知のように、大陸で大雨を降らして大気中の雨量がかなりなくなった状態の時です。出来れば上陸しない前に消えて欲しいもんだと思っても、台風の役割は大気を攪拌して通常の温度に戻すことでもありますから、暑かった期間が続いた地域はこの例に漏れません。連日猛暑日、熱帯夜が続けば続くほどそこに向かって来るはずです。この時点で答えは出てくるのですが、暑さは気象庁でも毎日観測しているから、記録に残れば後は累積していけばいいだけですが、遥か上空の水分量迄は目に見えないので分かりません。衛星画像でも分からないはずです。分かり始めるのは、暖かい空気と冷たい空気がぶつかって、水滴つまり雨雲ができてからです。「ええ、かんかん照りの上空に水分は無いでしょう」と思うかもしれませんが、推論ではかなりの水分が含まれていて、地上に雨として落ちたいところ張り出している暖かい高気圧が広域に当たるため落ちるに落ちれない状態にあるはずです、そのまま宇宙空間まで上昇して消えてしまえば話は別でしょうけれど、質量を持つ粒子は大気圏からは逃げられ無いことになっているようです。と言うことは、熱帯高気圧は際限無く広がって行くか、地球の重力に取り込まれるかどちらかです。さあ、ここで際限無く広がると言いましたので、視点を変えると、遥か南の高気圧は広がりますが、途中起伏のある大陸にぶつかります、それがフィリピン、中国、台湾、朝鮮半島であり日本列島です。つまり、この大気の群団はそのぶつかりを感じて、もう広がれないので上空に昇るしかなく、それがあの大きな白い雲で、台風発生となります。つまり、発生した時には何処へ向かうか決まっていたと言えないでしょうか。まあ、この辺の議論はかなり複雑さを孕んできそうなので、今回はこの辺で。
今の時点で再び台風となった台風12号が来そうなので、もしよければその点を考慮して自分でも予想して見てみるのも良いかもしれません。「予想屋、かく戦へり!」ってところですか?
火山噴火と雷の関係について [地球物理学]
認識の再定義3 [科学]
氷の性質について考えていたら、今度はドライアイスはどうなのだろうと考え付き、おもしろい結果に辿り着きました。何の変哲もない物質ですが、ドライアイスのイメージは、通常目にするアイス販売ボックスにあるものや、冷凍製品の保冷剤としての個体のものです。で、液体は無いようで、空気中では気体になって、消えていきます。製造方法の考え方としては、二酸化炭素を、圧縮するとできるとなっています。この圧縮することによって、出来る物質は殆どが熱を放出して自らは個体となって前の状態より低温になるようです。と、私も今までは普通にその認識に立っていました。で、今でもそれで間違っていないと思っています。ここで、学校で教えていると思う理想気体の状態方程式 pV = nRT と言うのが有ります。前にも触れておいて、力学的な力の統一に引っ掛かって上手く表現できなかったところです。この方程式はある限られた見方をすると成り立つのですが、私から見れば抜け落ちている所謂バグがある方程式です。例えば密閉できる試験缶に気体を入れ、気体を圧縮していくと、中の気体の温度は下がって行きます。後者の状態をダッシュで表すと p(V-V') = nR(T-T') と表せるのですが、一定の室温で実験したとしたら、試験管の気体の温度は一時的に下がったとしても、また室温に戻るはずです。ですが、掛けた圧力は掛かりっ放しです。ですので、(T - T') の値は時間が経つと0に近づき、p(V - V') の値も、値があるにも関わらず、計算上0に近づきます。と言った見方もできるような誤解を生みやすい方程式です。まして、気体が液体や個体に状態変化することは、想定していません。つまり、ある臨界状態までしか成り立たない方程式です。しかし方程式が作られた時代ならいざ知らず、今ではこの臨界状態を越えた工業技術製品はザラに有ります。今時そんな間違った意味で理解している人はいないだろうと言うかもしれませんが、宇宙的規模のスケールでは当て嵌まらない認識が有ります。例えば星としての地球です。地球内部は高温の6000℃とか言われていますが、実際計測した人は誰もいませんし、これはあくまで仮設であり想定です、これが定説みたいになっているだけです。確かに地下から噴火してくるマグマを見れば、さぞかし内部は高温だろうと想像したくなりますが、内部には別の力、圧力が掛かっているのを抜きにして考えているんだろうと思うのです。ドライアイスで分かる通り、この個体は摂氏マイナス何度以下で個体になり、大気圧の元では気体に変わる代物です。つまり、大気圧の元で、液体や気体になって噴出するものは、元は、もっと低い温度でなければ成り立たないことを意味するではないですか。つまり、内部に行けば行くほど、低い温度ということです。とすると、かなり悩んだ地球の磁場の発生源が、超電導物質と同じ物だとする仮設が成り立ち、宇宙創世時に無くなったとする、ダークマターの謎が解けます。つまり、エネルギーの値のとり方が初めから間違っていたということになるのです。簡単に言うと、星と言われるものそれ自体は全体として、エネルギーゼロであり、その地表で織りなしてきた現象下ではそのように考えるのが当然のような知識、認識が、本当はその局面だけの見方で有って、宇宙全体ではそのような見方をしてはイケないのだと。まあ、どの考えを信じるかはその人自由ですが、真実は一つです。間違っていれば藻屑と消えゆくまでです。それが、金持ちだろうと、貧乏人だろうと。
認識の再定義2 [哲学]
今回はちょっとした命題を用意して考えてみました。
* 水は電気を通すのに氷は電気を通さないのは何故か。
* さかなの楽しみとはあるのか。
* 再度問う、光は波なのか粒子なのか。
最近ますます迷路に嵌り込んでしまったので、自分が納得行くまで考えているのですが、中々どうしてです。最初の命題については、ネットで調べても、これぞという答えは有りませんでしたので、自分なりに考え直してみたのですが、これが正解に近づけば光が波か粒子かもある程度解けるようなものだと思います。2番目の魚の楽しみとは、古代聖人の書物に有る二人の問答の一節に、川の中で悠々と泳ぐ鯉の姿を見て、「あれが魚の楽しみというものだ」と言ったのに対し相手が、「あなたは魚ではない、どうして魚の楽しみが分かるのか」と切り返した話なのですが、あの言い回しがいまいち理解できなかったので、再度考えてみたものです。つまり、一個人の思い、その人にだけ感じる真実は、果たして別の個人、他人にどのくらい理解できるのかです。魚ではない人間は、魚の楽しみなんかは理解できるものでないとしても、さかなにも人間と同じような楽しみが有るようにも思えます。この話はとりあえず置いといて、水の性態に戻ると、水はある基準0°で性態が変わり氷になることは、既知として知られています。液体の時は電気を通すけれども個体になると電気を通さないと言うのは実は結構難しい問題なのだと思います。電気は電子の流れとして理解があるとして、では、凍ったとき電子はどのような状態になっているのでしょうか?流れないということからして、凍っているとも言えるかもしれませんが、そもそも電子は凍るものでしょうか。一方電子は光の一種とも言われています。と言うことは、光は凍ることもあると言えないこともあるでしょうが、光が凍るとは漫画の世界だけなんだろうと思います。まあこういう議論は通常であれば人は無駄な問答として止めてしまうのでしょうけれど、ある程度答えが出るまでは止めません。では、水が凍ったとき電子はどのような状態になったのかと推測すると、1・振動しなくなった。2・消えた。3・同様に個体(結晶)になった。・・・が考えられますが、ここで別の角度から追求していくと、水は凍ると体積が増えることも知られています。これは、分子の結合の仕方が変わって今までぐちゃっと潰れていたものが、規則正しく配列を組んだために、膨張したとします。だとすると、この結晶構造には、今までにない隙間ができたことを意味しているではありませんか。隙間を埋めるものとして、何もない空間を想像しますが、この何もないと考えられる空間こそが電子が存在し得る空間としたらどうでしょうか。電子が空間になった?にわかには想像し得ないですが、ここで、「君は電子ではない、どうして電子の状態がわかるのか?」として、古事の話をオーバーライドしてみました。確かに私は電子ではないのですが、人間の体を作っている物質というか食べ物には必ず含まれているものだと思います。なので、考えている最中にも、電子のフロー制御を無意識にやっており、日々コントロールしているものだと。ただし、人間凍ってしまったら、死んでしまいますけど。考えて行っただけでも、今までの既知が如何に場当たり的なものか、見過ごされてきたものかと思わざるを得ません。既知でない現象が出る度に想定外と言う言葉を繰り返すんでしょうか。
話を戻しますが、この推測は今までの既知とした物理学の法則と矛盾しません。真空中を伝わる光は媒体としてこの凍った電子空間を伝わってくるとして考え、実際の真空の温度はないので計りようがないのですが、地球はるか上空は、極低温だと知られていますから、矛盾しません。中には宇宙船に乗って真空中の温度を計れば良いとするかもしれませんが、その温度とは、太陽光が温めたその温度計の今の温度です。真空の温度ではありません。つまり、ない物は計れないのです。さあ、答えが出そうです。電子は、空間であり光が波として振る舞う時の媒体であり、ある一定の条件下で空間からある物質と言われるものに変化できるものだと。それが、真実だとするとある種のベースの定義に成り得ますから、すべてをそれに照らして関連付け思考再起動です。実際そうやって一つ一つ照らしていくと、面白いことも出てくるのですが、最後の光は波か粒子かの問いは、そもそも波とは何かと言う実際のイメージを凝らさないと理解できません。では、ちょっとした頭の体操で、よく見かけるイメージし易い海の波です。この場合媒体は海水と考えても良いのですが、実際は海水に接している空気も裏表で同様に動いているわけですから、こう考えました。見るような波には媒体が二つ以上あると。として、海水だけで見ると、これは縦波と横波の90°変換の組み合わせです。原子的に見れば、粒子同士の衝突から生まれ、それから生まれる分子群の伸縮を是正するために上下に振幅して、それを全体的に90°変換すれば、横波です。この説明だと粒子しか出てこないのですが、全体として波としています。では波の元は粒子ではないか!となりますが、もう一つの媒体である空気、大気には何も触れていないので、この次に!
*この文の終わりに:私の疑問は、子供の幼稚な疑問のようなものからはじまっています。つまり、学校の勉強とか研究論文とは無縁です。
認識の再定義1 [哲学]
最近考えていることに、人間の頭脳の認識について定義し直さないと、説明が上手くいかなくなるという問題が自身の中に出てきて、自分なりに再定義してみました。物理学では解決済みの問題として、光の二重性、波と粒子が有ります。物理学を志すものでなければ二重性は考える必要はなく、返って煩わしいものだと思います。「どっちでもいいじゃん、今日も朝日が昇るご飯が旨い!」それで十分。なのですが、それでは済まなくなる事象がまま出てきます。他人に物事を伝える時、果たして正確に受け取ってもらっているのか、どうなのかです。これ、確認しようとすると、途端にパラドックスに陥ります。どういうことかというと、物事を判断するのには、大まかに分けると波の立場で理解して人と、粒子の立場で理解している人と二通りに分かれるのだと思います。本人が意識していようといまいとに関わらず。だとすると、認識がその時点でズレが生じ、これが大きくなると分裂という事態になります。自然がそれを許容しているとすれば、人は素直に受け入れるのが妥当だと思うのですが、相反するものを同時に受け入れることはできません。これも自然は禁じています。つまり、物質を有するもの生命体を有する限りこれは永遠の課題であり、そのいたちごっこを覚悟の上で人生を歩まねばならないという結論が導きられます。話はこれで終わりになるのですが、そこで人間が思考する上で、最低限の基本原理は何かと探し求めたところ、この二つの定理が浮かびました。
1、人が波として存在する時思考はしない。
2、人が粒子として存在する時思考する。
と言うものです。
これで、あまたの現象を説明できるかどうかですが、これと同等な格言にデカルトの方法序説に出てくる「我思う上に我あり」、パスカルのパンセ「人間はひとくきの葦に過ぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。」がありますが、その当時光についてはあまり知られていなかったので、私が追加して定義し直したものです。しかし、デカルトの考えでは、’思わない時考えない時’、については触れていません。とどのつまり、これでは二つの現象が生じてしまいます。思わない時は、存在しない。存在する?なので、追加しました。思わない時でも存在は可能であると。私自身は創案者ですからこれで説明は足りると思っているのですが、これ、そうでない人が読んだら「なんのこっちゃい!」となると思うので、かいつまんで説明すると、波として存在するとは光の速さ又はそれ同等のスピードで移動している場合です。粒子として存在するとは三次元の座標がはっきりしていて、時間が追加できる場合です。時間がなければ死又は思考停止状態、脳死を意味しています。これでも不十分だと思いますが、追い追い適前展開していきますので、まずはここ迄としました。1の場合は信徒でなくともキリスト教をある程度理解しないと慣れないと思いますが、現代風にアレンジしても理解できると思います。一つ例を挙げると、移動時とは思考の実行時でもあるので、この時、思考の停止が起こり非連続となり粒子側の人から見ると見ることができません。存在しないのと同じことです。しかし、これでは現実の現象を上手く説明できなくなるのでプログラムの世界で使われている表現を借りれば、デリゲートが自然と働くことになっていて、イエスはそれをよく理解していましたので、それを特定の人、彼が選んだ弟子たちにお願いしたということです。弟子たちは彼が移動したことを、人々に通知する義務が発生します。これで、比連続はある程度回避したことになります。これに対し2の場合から始まる人たちは移動する必要がない人達です。日本の天皇制や王制は粒子説だけで充分足ります。が、これも時間の経過と共に色々問題が生じてくるのは、歴史が証明しています。最大のピンチは婚儀の時です。それさえ乗り切ればある一定期間は安定です。では、1の場合の婚儀はどうかというと、移動が前提ですので時空さえ見誤まらなければ、自ら相手と出会えます。
さて、ここで矛盾が生じます。国を挙げた婚儀の場合、どちらか一方しか取れません。ロミオとジュリエットにも似ていますが、全然違うものです。いずれか一方を滅ぼさない限り全肯定全否定はできません。必ず二分するのです。
じゃあこの話は愚問でこれで終わりで片付けていいのかというと、残念ながら無視できません。日本を度外視しても今世界を震撼させている問題の根底にはこの矛盾が隠れているのです。第二次世界大戦、太平洋戦争もある種この根本の矛盾が隠れていた戦争だったと思います。視野の狭い見方かもしれませんが、どちらが正しいとか正しくないとかではなく、この矛盾を理解していなかった時代に起こった悲劇と言わざるを得ません。
ざっくばらんに説明しましたが、今回はここ迄としました。
気象庁の自然現象注意予測に物申す [生活]
気象庁の自然現象注意予測に物申す。
御嶽山が7年ぶりに噴火して、土曜日の行楽シーズン昼真っ只中で起こったこともあって、大した犠牲者がでました。気象庁では予測困難な小規模の爆発で前兆現象もそれと判断できる材料に乏しく発表までには至らなかったとしています。では、その前に何か注意報を出していたかというと、台風の進路予測を出していて、関東地方に注意予測を出していました。しかし、2014.9.29現在予測は多少ずれ被害もなく台風は去ろうとしています。あくまで予想ですから被害がなくてメデタシですが、今年は予想に反してそれ以上の被害が出たことも事実です。何でこんなに想定外が多いんだろうと思うのですが、予測の精度を高めるにはさらなる技術が求められるそうな。物理学としての不確定性原理では予測は確率的でしか求められず、観測技術機器を高めたとしても、その機器が現象の一部に入るため更に新たな現象が生まれ予測困難にすることは知られています。つまり、正確さも、どっかで妥協しない限り際限のない技術開発競争、経済的資金の損失を招くことを意味しています。
(2014.9.29の追記:今回の御嶽山の水蒸気噴火は地殻変動による火山噴火でないことから、気候の雨の量によるものではないかと推測しました。つまり、今年はゲリラ豪雨、短時間に降る雨の量が記録づくめだったこともあって通常の水はけでは追っつかなくて、内部に留保してしまったがために起こったマグマ熱に達した溜まり水の逃し弁的爆発ではないかと推論したわけです。そちらの地域に住んでいるわけではないので正確さには欠けるかとは思いますが、今年は8月に例年になく短時間降雨が有ったこと、2007年には台風が来たことから推測すれば条件は満たしています。又観測データの微震の始まりがその降雨がマグマに最初に達した時点で、その水が滞留する間は小康状態で、時間の問題でいきなり爆発するパターンとすれば、グラフの説明はつきます。同じ条件での爆発は自然現象で爆発による変動がありますから無いにしろ、これが原因だとすると、周期性は成り立ちません。お天気次第です。)
そもそも今の温暖化によるとみられる近年に始まった想定外の今までに体験したことのない災害は、人間が引き起こした乱開発による環境変化が原因であり、そのリスクがどういうものであるかやっと自然現象としても具現化してきたことであって、始まったばかりなのだと思います。マスコミ関係の人たちは、マイナス思考に陥るために表立って余り言いませんが、そう言った社会作りをしてきた人間社会への批判はタブーなのかしないようです。私自身はそういった被害地域には住んでないので、その現象を金満体質の地域で起こっている意思を伴わない自然の逆襲劇としか捉えていません。自然でさえそうなのにまして人間をや、という意味では、神戸で起こったバラバラ殺人事件もニュースとして賑わしています。これも私的には今までにない考えられない事件なのですが、暑い地域で起こる事件なので理解するのに前提事項を足して考えると、この容疑者と言われる人物は例え犯人でないにしろ犯人にされるだけの資質を持っていいて、仮に捏造で事件をでっち上げられたとしても、もはや逃げられないほどの人物のようです。報道から順次明らかにされる情報だけだと、別個に犯人がいないと辻褄が合わないのですが、誰もそこまで考えたくはありません。言えることは、自然現象を予測するにしても犯人を特定するにしても大した手間暇がかかり地道にコツコツ積み重ねならないということであり、それでも困難さは残るということでしょうか。今のイラク攻撃にしろ、一部だけ取り上げれば妥当な空爆のように思えますが、そもそもその原因を作ったのはどちらなのかと地道に調べると、あれれ?という状況です。できれば、その手の情報、状況に踊らされるのは勘弁してくれ!と言いたいのですが、実権は東京とか言う中央が握っているので、なんとも致し方ありません。
デング熱に物申す
その話を終えたところで、グッと視点を変えると、今の内閣なのですが私的には最悪のシナリオに近づいたとしか思えません。ここが日本の模倣型民主主義の行着いた先なのでしょうか。向かうところ敵無の専制政治に成り下がってしまったと言わざるを得ません。一応民主主義のルールに則り公明正大な選挙の結果なので、これが国民の総意だと認めざるを得ませんが、あのグリコ森永事件はどこへ行ったんでしょうねえ、そうあのキツネ目の男の正体は迷宮入りのままでここまで来ましたか。この隠蔽工作、または裏操作、メディア的にはいつもどこかの国がやり玉に上がっていますが、これが今でも自国でも行われている事実だとしたら、報道関係の人達は今立ち向かえますか?まあ大概の人にとっては何のこっちゃいでしょうけど。
縦書で表示しなければならないものは縦書で [生活]
ウインドウズ&リナックス&マック購入時の選択方法 [生活]
ページを縦書きにするとは? [コンピュータ言語]
*追記:取り敢えず直したのですが、htmlのコードならインスペクターで見れると思うので省略します。次からは応用編に入りたいと思います。