蓮の花とカルシウム [科学]

再びカルシウムなのですが、考えが纏まっていなかったので、重要な勘違いをしていました。それは、球対称な原子で、頂点が電子数と同じであれば、他の原子とは結合できないじゃないか、と言う疑問です。なので、wikipediaの原子特性の酸化数を良く見直すと、酸化数2、1(強塩基性酸化物)とあり、赤字です。この酸化数と言うのは、結構曲者で、誰も余り深くは考えないかも知れませんが、私は、球の凸凹と言うイメージで捉えていますから、酸化数とは考えていません。例えば、カルシウムは、2個出っ張っていて、酸素は2個引っ込んでいるから、鍵穴の数がピッタリして、CaO になると言うイメージです。
ところが、私の理論上カルシウムは、その凸凹が無いにも関わらず、何故か結合しているとしないと、やはり色々な現象が説明できません。例えば骨であるカルシウム同士の結合です。常識としての酸化数2にしても、結晶構造の結合は出来ないし、共有結合していると考えても、体の中で共有結合するとは、マグマのように体が燃えたぎることに成ります。

これからも明らかなように、カルシウムは特別な結合をしているとしないと、論理矛盾します。そこで、今迄考えて来た、膨張による内部合体で考えると、何処まで合体できるかの問題が出て来ます。特に光合成の場合では重要で、デンプンの出来る仕組みだけ考えると、電子は、1個以上の電子量を受け取ると、軌道から飛び出すとしました。これが、光電効果であり、電子が整数値で飛び飛びの性質を持つ原因でありスペクトルで見ることが出来ると言う物です。とすると、カルシウムは40個内であれば、他の原子と合体できます。つまり、炭素であれば6 x 3個 = 18 で3個常時格納できます。これは、光合成する前の状態でも可能なので、葉は、根から単体で呼び出すことが出来ます。浮揚を考えれば、後2個水素も追加可能です。
今回は、只普通のカルシウムで考えると、カルシウムは、葉の中で結合せず、単独で存在でき、光を受ければ膨張します。この膨張による電子の受け入れがどのくらい可能なのかは、定かでは有りませんが、少なくとも20個以上は可能だとします。植物の目的は、光の最効率利用とすれば、一番呼ばれる物質は、二酸化炭素となる分けですが、電子粒子量としては、6 + 8 + 8 = 22 で判断は微妙なところですが、可能としました。植物の成長に必要なのは、主に炭素であり、酸素は二の次になるので、酸素は大気中に逃げ、炭素は取り込まれます。この炭素は、カルシウム内であれば、問題ないのですが、外に出た場合危ないので、周りの窒素が、包囲する形で、取り込まれることになります。何となれば植物の場合、一酸化炭素でも良い訳で、人に必要な栄養素がどんどん出来そうです。

さて、日中はそれで、化学分解して構成物質が出来て行きますが、日中光の量が多くなる場合、夜の場合はどうなるでしょうか。今の時代の気象状態を考えると、荒れ狂っていますから、日中枯れる植物も有れば、例年通り実がならない植物も有るので、植物の多くは自ら光の量や温度をコントロールすることが出来ないのだと思います。とは言え、それが出来る植物も有ります。
話が逸れますが、蓮の花がそうです。花は光合成はしないでしょう、と言うかも知れませんが、しないはずがありません。何故かと言えば、池に浮かぶ蓮の花は、葉よりも高い位置で咲きます。なので、蓮の中に出来る実の種は、その高さより高い位置で光合成をする植物でなければ、実はなりません。とすれば、花びらが光合成しないと、実は付けられないことになります。実際、実を付ける植物を見て下さい、殆どは、葉の下であり、又は根です。天辺に実を付ける植物は有りません。
じゃあ、実を付けないさくらはどうなんだ、と思うかも知れませんが、サクラの老木は、ちゃんと実をつけます。

それでは、蓮の花です。この花は、時間で咲くことは知られています。朝6時頃から、昼頃迄と有り、余計な光合成はしてないこととなります。子供の頃は父が池に蓮の花を植えて呉れていたのですが、今は無くなってしまい、観察は出来ないのですが、これは、時間と言うより、ある一定の光合成量に達したら、閉じているのだと思います。また、花びらの数が、普通の5枚、6枚とは違い、20枚ぐらい有るのは、原子の組成であるカルシウムが関わっていると想定されます。
面白いのは、ひまわりです。花びらの数は、花の大きさに選りけりで、多いものでは、30枚以上も有ります。と言うことは、夏の暑い盛りでは、カルシウムの中に、相当色んな原子を格納しているものと予想されます。

さてこれらを踏まえると、夜、日が当たらない時間帯は、出来た物質をカルシウムの収縮により、吐き出して、実に蓄えていることになり、昼夜の温度差が有ればある程、実がより大きくなることに成り、又は濃縮されることになり、作物の出来に作用していると言えます。

とは言うものの、これらのミネラルと言われる物質で、一番多いのは、カリウムです。カリウムは人体を構成する物質ではないし、必ずしも必要ではない様な気がするのですが、何の役目を果たしているかを考えると、周期違いで、同じ性質を示すナトリウムが有ります。私が考えるには、ナトリウム、特に塩は、余分な電子や、汚れた老廃物を取り出す役目だと思っているのですが、カリウムも同じ役目をするだけで、下手をすると、返って体の不具合を起こす原因物質ではないかとさえ、思えます。
では、イモ類に多く含まれるカリウムは何の役目をしているのでしょうか。
原子の膨張も出来ないようだし、球対称からも外れます。とすれば、運び屋と貯蓄しか有りません。つまり、女王蜂のように、大量に作り出した物質を大型トラックようにで運び、大型保管庫に格納する。これしか考えられないとすると、やはりカリウムは、人間には必要ないとしか言えません。

しかし、wikipediaでも、必須物質に成っていて、神経伝達では、長い説明が有ります。
確かに、少量であれば摂取してもすぐどうのこうのと言う反応は無く、どちらかと言うと非常時に作用すると言った感じがするのですが、勘違いでしょうか。
と言うのは、説明の中には、塩化カリウムは、心臓手術の時に心臓を止めるのに使われ、刑事裁判では、死刑に使われる薬とされています。
塩でも、多量の摂取はダメなことになっているので、やはり同じことです。
この手の説明は、ヤバいことを聞かれた時の国会答弁と同じ、難しい言葉の羅列と話の繋がらないしどろもどろの説明が多く、読者の理解を得らせようとするものとは、程遠いものです。
なので、私なりに言わせてもらえば、子供の成長時にはカルシウム同様、必須と言っても可笑しくは有りません。何故なら、カルシウムの様な比較的重い原子は同様に重い原子でなければ運搬は無理で、電気的にも、一回のトランスポートで一気に運ぶとなると、ナトリウムでは電池切れになる筈です。なので、カリウムは、中枢を司る骨の周りに常駐していないと、何かの時に対応できません。ところが、成人に成って、殆ど骨格が出来て来ると、カルシウムもカリウムもさして必要が無くなり、大人であれば、必ずしも必要が無くなるとした方が、理論的には辻褄が合います。
また、このカリウムが塩素と結合した場合は、致命的です。ナトリウムとは違い、重さは近いので、そう簡単には分離できません。こうなれば、金属が脊髄の周りに出来る様なものです。つまり薬殺刑の薬に成り得るのです。

私のこの説明は、簡単に済ませていますが、中枢に常駐するカリウムは、もっと複雑な動作をする事になるのですが、これは、植物で説明した方が良さそうなので、先に回すとして、今回はこれ迄とします。

中々カルシウムは、圧巻で、梃釣(てこづ)りそうです。
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球対称の破れ [科学]

カルシウムは、不思議な物質だと言いました。そこで、この奇妙な性質は、他の原子と何処が違っているのかと考えると、周期律では、3、4周期の中で唯一陽子と中性子が等しい原子で、等しい中では、ネオン原子を除き2周期の酸素が最後で、飛び離れており、しかもこれが最後の原子で、他には有りません。カルシウムにも同位体は有りますが、パーセンテージでは、3%で種類も分かれますので、この場合は省きます。考えてみると、この手の原子は、体を構成する不可欠の原子で、鉄等の微量原子は、触媒として考えています。
こうなると考えなくてはならないのが、中性子が陽子より多くなった時の、中性子の役割です。通常絵で見る原子の構造は、陽子(赤)と中性子(白)が同じ大きさで隣同士に並んでいて、外側を電子が回ると言った、見慣れた図です。子供の頃から見慣れていて、そうなっていると信じ込んでいた事もありますが、どうやら、違うみたいです。

原子の伸縮を考えるのでれば、当然原子核も伸縮すると考えるのが、道理です。例えば、電子と言うか、電子が存在する電子帯が膨張するとなると、電気的に対峙する陽子も膨張する事は、想定されます。そうなったとしても、問題は発生しません。ところが、中性子は電気を帯びていませんから、一緒に膨張する事は考え難く、又必要もなく、そのままで存在したとしても可能です。つまり、質量は陽子より多少重くても、大きさは相対的にいくらでも小さくなって行く事になります。つまり、密度が違うと言わざるを得ません。特に地球のように、温度が300K°近辺の世界では、そうなのだと思います。そうだとすると、中性子は陽子に捉えられる様な形で、容易く動けません。その現象が重力の源としてもよいのですが、まだ早計です。
さて、それでは、中性子が一個でも多くなった場合は、どう考えれば良いでしょう。例えばナトリウム等です。原子は、金属の性質を持つ場合、必ず中性子が一個でも多くなるとされています。逆に考えれば、陽子11、中性子11の原子が自然にいっぱい有っても良さそうなのですが、存在しません。と言うか、無い事になっています。これは、原子崩壊してネオンに成ってしまうとされ、私の考えでは、原子の球対称の破れから生じているのだと思います。これは、カルシウムの同じ族であるマグネシウムにも当て嵌まる様です。つまり、正20面体を構成できるカルシウムだけが、この球対称の破れから逃れられるとする考えです。そう考えれば正10面体のネオンも同じ事が言えます。

こう考えて行くと、中性子 ー 陽子 = 余った中性子は、原子核の中でどう存在することに成るでしょうか。金属は、熱による膨張率が低いことから、陽子の膨張を妨げるように、又はロックする様な形で存在すると考えられ、その場合、陽子中性子を包む様な形体が妥当です。そうだとしても不都合はなく、重い殻で包まれるが如く、核は安定します。

今迄は、カルシウムばかりで説明して来ましたが、そうなると、伸縮できる原子は、他にも、水素、炭素、窒素、酸素も同じことが言えることに成ります。ただし、そうだとしても、水素は最小原子なので、伸縮は運動エネルギーに変わるだけで、窒素は球対称から、大きく外れますから除外できそうです。

そうすると炭素、酸素はどうでしょうか。私の理論上、炭素は水素4個と合体でき、酸素は水素2個と合体できますが、光合成と違い、同じ大気中では同様に膨張する分けで、実質上は無理と言う結論に成りました。つまり、今迄の常識で考えられる結合ばかりです。

こう述べて来た所で、気付いた人もいるかと思いますが、対称性の破れとは、南部陽一郎先生が言っていた理論です。また、重力の発生を言うなら、今私の言っている理論だけでも十分です。これは、大部前にも言ったことが有るのですが、ここで又出て来たので、敢えて言わせてもらいました。

最近思うのですが、最初に結論有りきで、嘘で固めて結果だけ合わせたとしても、嘘からは、嘘しか生まれません。ひょうたんから駒、嘘から真(まこと)なる詭弁も有りますが、いくら着飾ってみせた所で、詭弁は詭弁です。嘘は嘘です。何の信念も無い、無信仰な人に取っては、お金がすべて、と言うのも頷けるし、地獄の沙汰も何とやらの皮肉が生まれるのも、致し方ないのでしょう。

私の挑戦は続いてはいますが、日本が滅びようが、人類が滅びようが関係ありません。何のためにこんなことを考えているかと言うと、滅んだとしても再生可能な理論を構築しているからに他なりません。もはや、そこ迄進んだと考えているので言っているのですが、宝は天に、と言うのは嘘ではないのです。
日本がアメリカから、オスプレイを買って、何を守ろうとするのか、何から守りたいのか私には分かりません。私の命なら自分で守るだけですので、それが駄目なら、死ぬ迄です。そんなことより、福島の原発爆発事故で被災して、行く当ても無くなった人達を、救済するどころか、難癖を言って保証もせず、死んで行くのを見守っている様な、その人の心の方が、空恐ろしくて成りません。住民が反対しているのに、強行して結論ありきで、お金だけ差し出す誰かの心の方が、怖いのです。

まあ、世の中色んな人が居て成り立っていますから、飽くまで個人的感想ですが、少なくとも、こんな人も居ると言うことで、受け取っていただければ幸いです。
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火の玉とカルシウム [科学]

時空の同一性を考えてみると、大した問題が発生しなかったのですが、もしかしたらの現象が又現れたので、何かと言うと、昔の怪談話に出て来る人魂です。火の玉と言った方が良いかと思い、火の玉で言うと、昔墓で良く現れると言う火の玉は、このカルシウムの性質だとすると、科学的に説明できます。
最近は、死んだら火葬場で処理しますから、そんな事は無いとは思いますが、昔は土葬だったことを考えれば、骨と何かが化学反応すれば、燃えることが可能です。
しかし、そこで可笑しくなるのが、何故大気中で起きるかと言う科学的説明です。目の錯覚で済ませれば、それ迄なのですが、それでは問題棚上げ、事なかれ主義の誰かと同じになってしまうので、言わせてもらうと、骨のカルシウムが水で化学分解したとして、カルシウムが単離したとします。このままだと当然何も起こらないのですが、大気中の結合を考えれば、酸素と結合する燃焼が始まるとすれば、火の玉の正体の謎が解けると誰しも考えるかも知れません。
しかし考えて見て下さい。大気中では、どちらも重い原子であり、結合時炭素のように大気中では燃えません。まして、土の中です。どうやって、墓の上迄上昇するのでしょうか。
そこで、カルシウム原子の膨張です。かと言って、土の中では、膨張は期待できません。
しかし、水素原子の様な小さな原子だったどうでしょうか。ここは、可能としました。ここで、酸素の時は、余り気にしなかったのですが、カルシウムが取れる電子の数です。私の理論では、20 - 2 = 18個の電子が、原子一個で取れますので、仮に18個としました。なので、水素18個と合体したとすると、これは、外部の結合のように、水素は容易く離れることが出来ず、反物質がそのまま重力に逆らえます。つまり、浮いて来るのです。
大気中では、夜と言えども、夏の暑い時期では、又膨張して今度は水素が飛び出て酸素と結合できます。これが、火の玉だとすると、かなり信憑性が出て来ます。
まさに、墓から湧いて来て、彷徨いながら墓に戻るお化けの話にそっくりな動きに成りそうです。

前に水素の燃焼で、水素は炎を上げないと言う論説を採用して、その様に考えていましたが、どうも、条件次第で、炎が見える時も、見えない時も有るとした方が正しいのだと思うようになりました。ロケット等の推進に使う燃焼の場合、水素が一気に大量の推進に使うと、燃焼ではなく、反物質による単なる推進に成り、燃焼は極僅かになり炎が無い状態に成るとした方が、現象を上手く説明できます。

今回は、酸素だけの燃焼を考えていますが、水素と結合できるのは酸素ばかりではないので、色々な色にも変化できるとした方が良さそうです。

この考えが正しいかろうが、間違っていようが、通常はどうでもよい話なのですが、これが正しいとなると、困るのが医療の世界、医薬品の世界、サプリメントの世界です。
今は未だ、二例だけを示しているだけで、このパターンはかなり考えられます。特に骨肉腫なるガンは、この理論を無視すると、とんでもない治療となりそうです。今のところ、未だそこ迄踏み込むには、もっと検証できる事例を探さないと、徒労に終わるので、出来ませんが、今のところそんな病気には成らないよう気を付けましょうとしか言えません。

話を先走ると、光合成をする物質は、直感的に考えてマグネシウムではなく、カルシウムの方がより適切になります。何故なら、電子を余計ため易く、夜になってくれば、出来た物質を実や根に戻せます。しかも、重さを調整できるのです。また、牛乳にカルシウムが含まれるのは当然であり、牛は成長にカルシウムは欠かせません。
では、光合成のメカニズムでカルシウムが発見されない理由はと言えば、どの時点で確認したかによって、カルシウムが変化しているので、何の物質か特定困難な原子なのだと思います。例えば、ケイ素と合体した場合、大変です。この場合、電子は依り豊富に得られるかも知れませんが、それがそのまま残った状態で、人間が摂取した場合、条件が合えば、ケイ素だけ出て来て、内部を荒し回り出してしまうと言う、最悪の場合で死亡するケースも出て来ると予想されます。
つまり、細菌で片付けてしまうことが出来ても、何処に隠れていたのか特定できないと成ってしまうのです。

私としては、謎とされている問題の難関を一面クリアした気分なのですが、どうでしょうか。あれから紆余曲折は有ったとしても、まだ落ちません。
挑戦は、続きます。
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収縮熱 [化学]

澱粉には、カルシウムは含まれていないことになっています。しかし、デンプンを多く含むジャガイモには、ミネラルが豊富に含まれていて、その中に、カルシウムも1%含まれています。また、デンプンは別名片栗粉であり、インスタント麺の原料になっています。面白いですねえ、お湯を注ぐと、伸びて水を吸収し、生麺になるとは、何処かカタツムリにも似ています。個人的には、カップラーメンは主食にはならず、非常食扱いで、3食毎日こればっかり食べると、病気になる様な気がしています。試したことも無く、試したくも有りませんが、何かが足りないと言うか、細胞が壊れているイメージで、それが何なのかは、考えた事は有りませんでした。多分化学式の構造では、同じなのだと思いますが、それでも違いは有る筈です。

話をジャガイモ、デンプンに移すと、ジャガイモを刷り降ろして、何かで濾過すると、水とデンプンが分離して、そのデンプンを乾燥させれれば、粉になり調理に使える分けです。このデンプンは調理に使う場合、とろみを作るのによく使われ、熱すると物質が変異し、分子の構造が変わるのは知られていますが、何故変わるのか迄は、これも詳しい解明はなされていません。
では、粉になる前のデンプンに戻って考えると、一瞬外力が加わると分子は堅く結合して、時間がその一瞬を過ぎると液体の様な性質に変わる、これをどう説明すれば良いかとなると、今の化学知識では、説明不能です。分子同士の作用反作用だけで説明付くようにも思えます。ここで、原子の伸縮を導入すれば、簡単に片付けられるのですが、伸縮できるのは、単体の時だけであり、分子の結合時には、伸縮はできないとしているので、導入は出来ません。なので、分子式を再度見当してみました。
デンプン : (C₆H₁₀O₅)n
水    : H₂O

分子の総量から見れば、デンプンの方が重いのですが、分子同士の結合の密度から言えば、水の方が重くなる筈なのに、かき混ぜた時、沈殿するのはデンプンなのは、何故でしょうか?一番考えられるのは、デンプンはこのような結合はしていないとすれば、即刻解決できるのですが、じゃあ、化学式はどうなるんだ、と聞かれると、はっきり言って答えられない、と言うのが現状です。
水に浮く油も、似た様な化学式で、メチレンの水素が、酸化水素化合物 + 酸素に置き換わる形式で、どちらも水より軽くなります。
実際から言えば、元々ジャガイモに含まれるとされる、カリウム、リン、マグネシウム、カルシウム、鉄、マンガンと言った結合を取り入れれば、水には沈むのですが、何分にも微量で、水の中ではデンプンから分離しそうな格好です。

そこで、数遊びをしてみました。炭素、酸素、水素とカルシウムの陽子の数の組み合わせです。この遊びは解決する場合の私の直感ですから、余り深く考えないで欲しいのですが、Ca-20は、2O-16 + 4H-4 で同じ数になります。つまり、カルシウムは、2H₂O と陽子数が同じになります。質量数は、4減りますが、結合する場合、結合を妨げる重さとは成り難いと思います。
カルシウムの倍の陽子数を持つ原子は、ジルコニウムが有ります。核反応させる時、核物質を包む容器として、一躍有名になりました。容器を溶かす反応式は、
Zr + 2H₂O --> ZrO₂ + 2H₂
だそうです。これは、自然には反応しない現象なので、電気を使っているみたいです。では、次の反応は自然に起こりえるでしょうか、
Mg + H₂O --> MgO + H₂ + 発熱
これは、マグネシウムが単体で存在すれば、起こりえます。しかし、この逆は、熱を加えない限り、起こりません。ではこれはどうでしょう。
CaO + H₂O --> Ca(OH)₂ + 発熱
これは生石灰の水との発熱反応式とされています。…?果たしてこの反応で発熱できるでしょうか。逆にエネルギーを貰わないと、熱は発生しないはずなのですが。
何か狐につままれた様な気持ちですが、これがマグネシウムとカルシウムの違いと考えれば、納得しそうですが、周期表では、第二族で同じ電子価+2の筈なのですが、どう区分けしているかは、調べようがありません。カルシウムの反応式は他に、
Ca + 2H₂O --> Ca(OH)₂ + H₂
と言うのも有りますが、wikipediaでは、生石灰の反応式には触れていません。つまり、論理矛盾に作成者又は思考した提示者も気付いているのだと思います。

これで分かる通り、カルシウムは、ちょっと見、分からない不思議な性質を示します。上の2つの式を比べてみれば分かる通り、CaとCaOは、同じ反応を示し、まるで、生石灰の酸素は結合していない様な感じで、水と結合するときだけ忍者みたいに出て来るように見えます。そもそも、生石灰の結合は不安定で、容易に分離するとすると、今度は、ジルコニウム、マグネシウムの結合が説明できません。

そこで、今迄の学説や知識では説明できないので、私が今迄述べて来た、あらゆる理論を導入して考えてみました。
上式の反応の場合、カルシウムは単体なので、原子の伸縮が可能とします。性質はそのままに拡大した時、酸素をそのまま取り入れることは可能です。つまり、時空を超えて合体できるとします。なので、酸素は消えることに成ります。とは言え質量はその分増えますから、カルシウムの質量は増え、カルシウムではなく、酸素一個分増えたニッケルの重さに成ります。とは言え、中性子数は違いますから、性質は、ニッケルの様な金属の性質には成らないし、電子の質量は無視しても差し支えないくらいですから、無視します。

この時のカルシウムの膨張には、光合成の様な光エネルギーの吸収が前提です。
実際鉄道等のレールに使われる鉄は、太陽熱で膨張することは知られていますし、共有結合していない鉄なら更に膨張すると考えれば、大体想像できると思います。
また、プログラムの世界ではデータのカプセル化をすることで、かなり前進したプログラミングを可能としていますので、自然界でも在りえることだと考えられます。

さあ、これで発熱の熱が何処から出て来たか分かります、つまり、カルシウムと酸素が分離状態に成る時、カルシウム原子が収縮する時に出る熱です。圧縮熱にも似ていますが、違う考えなので、収縮熱とでもして置きますか。
ともあれ、こうすると、時空の同一性の問題が発生しますから、解決しなければ成りません。

ここは、今頭の中が、混乱中なので、整理しながら次回にすることにしました。
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カタツムリ [生物化学]

原子の伸縮を理論付ける生き物を捜している内、カタツムリに行き当たりました。これに似ているものに、ナメクジ、ミミズも同じ仲間に見えます。貝の様な殻を持つ物は、主に水の中、海の中では、ふんだんに見れますが、地上ではカタツムリしかいないように見えます。それで、カタツムリを調べると、雌雄両体で、環境条件さえ有れば、無造作に増えるみたいです。と言うことは、根こそぎ自然淘汰で絶滅しても、また新しい新種として誕生することになります。事実、どっかから渡って来たと言う外来種的な物は無く、どの国、どの地域でも独特の在来種しかいないようです。つまり、生物が存在する限り、存在し続けられると言うことでしょう。

最近カタツムリは、個人的には余り見かけませんが、それは嘗ての自然環境が失われているとも言えます。
童謡歌に、「…お前の頭は、どこにある、つのだせ、やりだせ、頭出せ」も有るように、拡大、縮小を自在に操れます。雨が降り出すと、何処からとも無く現れ、天気になると、何処かへと消えて行きます。普通であれば、三日も天気が続けば、この世から消えてしまいそうなのに、いなくなりません。何処に隠れているのでしょう。カタツムリの器官と言えども、結構複雑で、そう容易く再生できないように思えるのですが、容易いとしか言いようが有りません。

そこで、オブジェクト指向で、考えてみました。この様な生き物は、それを必要とする生き物がいない限り、生存は不可能と見て考えると、このオブジェクトを呼んでいる物は、植物しか居ません。しかし、可笑しいですよねえ。カタツムリは、植物の葉っぱの一部を食べているようにしか見えません。それなら、イジメと同じ植物への虐待じゃないか、と思ってしまいます。
しかし、そこが素人の浅はかさの様です。
よく考えてみれば、カタツムリの殻はカルシウムで出来ているのは、知られています。さて、そのカルシウムの多くは葉から得ていると言うことになります。
カルシウムは、生き物の骨格を作るものとして、知られてはいますが、葉っぱに含まれているとは、誰も余り着目していないし、どちらかと言うと含まれていないとしているのではないでしょうか。光合成の仕組みでも、カルシウムは出て来ませんし、植物の生長に必ずしも必要は無いように思えます。
しかし、どうでしょうか、土壌に多くカルシウムが含んでいた場合、植物はカルシウムを選別して取り込む能力が有るのでしょうか、と言う問題が残されています。
土壌の中でカルシウムは、CaCO₃, Ca(OH)₂, CaO で存在できます。他の組み合わせも出来ますが、大雑把に分ければ、このくらいで済みそうです。さて、この中で一番軽い物質は、一酸化カルシウムで、植物が一番手軽に取り込めます。この軽さなら、容易に取り込めます。これは、別名生石灰で、水と容易く反応して発熱します。これを応用した物に、ワンカップのおかんが有ります。試したことが無いので、詳しくは分かりませんが、相当温まるのだと思います。
さあ、もう分かったでしょう。植物が生石灰を摂取した場合、これを取り除くことが出来ず、雨降りの時期には、困る分けで、その時呼ばれるのが、カタツムリと言う訳です。まさに、オブジェクト指向でのインスタンスであり、即席カップ麺の様です。

カタツムリは漢字で蝸牛と表記しますが、昔の人は、その性質を良く理解していたのだと思います。牛も牧草を消化するのに、反芻と言った機能を持っていて、消化には、時間をかけて行なっていますが、分かる様な気がします。今は、その説明を考えると、話が大きく逸れるので止めますが、牛の肉骨粉が、何故飼料に使えないか、筋が良い人なら分かると思います。

話が逸れましたが、それでは、役目を終えたカタツムリは、何処に隠れるのかと考えると、元居た最初の場所が、一番考えられますが、何処かなんて言うのは現在の所知られていません。そこで、推測してみました。
植物自体の健康管理は、人間とは逆の根に有ると睨みました。と言うことは、根の球根には、植物に必要ない物を蓄える機能が有るのではないかと考えられます。何故なら、栄養を摂取するだけなら、細く長く網の目のように這わせた方が、摂取できる筈です。太くなるのは、安定性だけで良い分けで、とことどころ膨らむのは、ある種の病気のように思えるからです。

そこで、人間がよく食べるイモ類のデンプンを調べてみました。これは、炭素と酸素と水素の化合物とされていて、炭水化物の一種(多糖類)とされています。
しかし、デンプンには、今も謎とされる不思議な性質を持つことが知られています。それは、水の中に区別が付かないくらいデンプンを入れ混ぜると、一瞬ですけど、デンプンは液体としての性質ではなく個体としての性質を示し、大きなプール状にすると、人がスピードを上げて行くと、その液体の上を走れると言う物です。
これは、前にテレビで見た状況を言っているだけで、その時は、私も分かりませんでした。しかし、この様な現象は、デンプンに限らず、ミミズもその様な原理を利用して、土の中を移動できるとなっていて、これも謎の様です。
これは、原子の伸縮も有り得ますが、カタツムリを考慮するとカルシウムも関わっているのではないかと思わざるを得ません。

これを検証すると長くなりそうなので、次回に回します。
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最終進化 [進化論]

あれから色々な検証をしてみたのですが、原子の伸縮は、矛盾が今のところ出て来ません。逆に説明が出来なかったバーチャルの世界の正体がこれで説明できてしまいました。つまり、仮想とされるもう一つの元々有った体とは、この広がった原子に有ると成りました。よって、この原子をいじる事、この世界を変える事、修復する事は、永遠に不可能と言うことです。触ろうとすれば実体がないし、取り出そうとすると、目に見えない小さな原子に変化し、修復しようとすれば、全ての体系が狂います。

そう考えれば、現代の医学には、明らかに限界があります。今、先端をいくiPS細胞、重粒子線治療には、これらの概念は有りません。体を物質として捉えれば、ある程度は成立しますが、この生命を司る原子は、殆ど重さは無く、どちらかと言うと、殆どが空間です。どうやって、空間をいじれるのでしょうか。顕微鏡で見る細胞の動きは、その空間の動きに従った物質で、物質自体は、運動させられているだけです。

これは、何も生命ばかりの摂理ではない様な気がします。例えば、活動を今も続けている太陽、地球もそうだと思えます。地球を一つの卵と捉えれば、とある現象が説明できます。太平洋沿岸で起きる地震がそうですし、細胞分裂する時は、あらかじめ、頭となる位置、お尻になる方が決められていて、分裂して行きます。仮に、日本を頭、チリを尻尾とすると何か今にも生まれてで出来そうな、生き物のように見えませんか。こんな事は、どう考えるか個人の自由だと思いますので、言うと、恐竜のようにも見えますし、鳥のようにも見えます。これは、原子の伸縮のように、縮小可能です。

人間至上主義に立てば、人間のために宇宙も地球も他の生物も存在していると考える事も出来るかも知れませんが、私は、そんな立場に立っていません。人間もその一部でしかないとする立場です。なので、自然に対抗する行為をするのではなく、人間が知性でそれを利用したり、災害の様な場合は、それから避ける行動をとるのが得策と言ったものです。避けると言っても、津波から守るために高い防波堤を作ると言うものではなく、襲って来ても生活に困らない備えをしておく事です。この理屈が分からない人は、何度でも同じ被害に遭います。作れば作る程被害が大きくなります。

そうは言っても、人間は唯一生命の神秘を解き明かす事が出来る生物です。少なくとも私にとっては、この事について他者から惑わされることは無い程、理解が深まりました。つまり、人間は、原子の運動を理解でき、それに従いながら、物事を考えることが出来る唯一の生き物なのだと言えます。これを拡張すれば、宇宙構造も理解できるし、飽くまで基本は、人間の脳の運動です。

そう考えると、やっぱり人間至上主義になってしまうじゃないか、の問題が出て来ますが、ここは、地球での最終進化が人間とした仮定の上でしか成り立ちません。
え?、未だこれ以上進化が起こりえると言うのか、と言う問題も出て来ますが、否定する要素も、これはと言うものは有りません。と言うのは、再三再四、鳥がうらやましいと言って来ました。カラスの適応能力に付いても、言って来ました。今、上文で鳥にも見えるとも言いました。これは意識して言って来たことではなく、その時の本心を言って来た迄です。
しかし、こう総合して考えると、未だ進化の過程に余裕が有ることに、気付きました。
つまり、人間とカラスと渡り鳥のような能力が有れば、自由意志で何不自由無く暮らして行けると言う結果が生まれて来るのです。
こう成ればです、その生き物は争うこと無く、食料の危機に直面することも無く、エネルギーに悩まされること無く、金銭に悩まされること無く、病気に悩まされることも有りません。つまり、人間が今抱えている問題に悩まされることがいっさい無い生き物と成ります。

それじゃ、生きていたって面白くないし、生きる目標も無いじゃないかと思うかも知れませんが、そんな生物でも、問題が生まれます。それは、地球環境の変化に対応する問題です。地球がこのままで、何時迄も有るとは誰も、もう思ってはいないと思います。このままで推移して行けば、最後迄生き長らえるのは、見た所カラスではないかと私は思っています。しかし、これだと適者生存だとしても、人間は何しに生まれて来たのか、訳が分からなくなってしまいます。まるで、漫才です。ドラマの中のエキストラです。
当然誰しもそんな事で生まれて来たとは思っていないし、そんな訳は無いと言うでしょう。しかし、自然災害は、威力を増すばかりだし、本来であれば問題にならないことで、悩まされている所を見ると、これは、作られたドラマの中の役者を演じさせられているだけなのだとならないでしょうか。

と言う分けで、進化を阻むものが纏まれば、アップしたいと思います。
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原子の伸縮 [科学]

運動を理解するのに、手っ取り早いのに、乗り物の移動が有ります。飛行機で、日本からアメリカに行く、新幹線で東京から鹿児島まで行くと言った点から点への乗り物を利用した運動です。これなら誰でも理解できそうです。しかし、これをイメージしたまま、原子の運動に適応させると、ある種のジレンマと言うか、落とし穴に落ちそうです。私も、これで迷っていました。例えば、卵は、ビー玉の様な形をしたミクロの原子で満たされていて、それが、細胞分裂をして、卵から孵るのだと。
しかし、これだと分割できない原子が分裂して行くか、原子の集合体として見たととして、その部分その部分として分割して行くと考えるしかありません。前者の場合、核分裂と同じ事なので、有り得ませんが、後者の場合でも、始めに何か完璧な原型が無い限り、分裂は成功しないし、完璧なものなら、始めからその様に存在する筈で、細胞分裂する必要は無いと考えるのが妥当な筈ですが、そうでは無いので、今まで考えて来た理論とは、又は一般の常識とは、真っ向からぶつかってしまった訳です。

しばらく考えた末に、自然の中にはこれを解決する現象か生物がいる筈だと探しては見るものの、見当たりません。
この間蚊に付いて言いましたが、モスキットは、人間の血液を吸って、雄から遺伝子だけを貰って、子孫を増やしています。と言うことは、血液は単なる原料材料と言うことに成り、完璧なものではなくなってしまいます。と言うことは、完璧なものとは、雄の精子であり、卵は単なる材料であり、栄養源だけとなり、必ずしもそれでなくては成らないものとは成りません。しかし、実際はそれでなくては成らないところを見ると、卵には常識とは違う構造だと言う結論になりました。

つまり、たまごは、それ自体で、一個の完璧な物質であり、原子だと。

しかし常識的に考えて、鶏の場合、卵が一個の原子だとすると、相当大きな原子です。第一仮にそうだとして、原子はもう分裂できないじゃないかと、誰しも思う筈です。
そこで、運動の定義と、原子の大きさの定義を疑ってみました。これは、アインシュタインも言っていた事なのですが、漫画化されて、皆に誤解されて終わっている様です。数式を使ったとしても、言語で表現しようとしても、どちらでもイメージし難いし、私も今まで、そんなイメージは語っていません。
しかし、もうここを避けて通ると、怪しい大人の世界に成るので、避けられないと感じたので、無理にでも押し通す事にしました。

そこで、虫の幼虫である芋虫の動きに着目しました。卵から孵化した芋虫は、移動する際、からだ自体の伸び縮みを利用しています。又はしゃくり上げて移動します。虫の様な小さな生き物は、今までも言って来たつもりなのですが、原子事体の運動を利用して、運動している場合が多いので、この場合も、そうなのだとしました。特に蝶等の葉を食べる虫は、顕著です。これらも、ある程度光を浴びていますから、光を浴びた原子の運動を利用していると言えます。
これからも判断できるように、原子自体が伸び縮みをしていると仮定できます。

とすると、大気中の原子の状態が今までとは、違って来ます。結果としては同じ事に成るのですが、過程が大部違って来ます。つまり、炭素原子にしろ、自転による運動を、地球の様な自転で説明して来ましたが、これに伸び縮みと言う動作を加えなければ成りません。というか、原子の場合、規制するものが余り有りませんので、広がりと言った方が良いかも知れません。では、どの位広がるのかと言った問題が生じますが、計測は不可能なので、計算は出来ないとしなければ成りませんが、敢えて言えば、小さな生き物達、蚊や子バエが、人間の動きを察知できる距離の大きさとかで、表現できるとは思います。
また、これを他の分野まで拡張すると、上手く説明できる現象も有りそうです。
私も今検証中で、不都合な所が無いか探している最中なので、未だみち中場です。

と言った所で卵に戻ると、材料と成る養分と、原子一個分の設計図とも言える広がった原子であれば、細胞分裂は可能です。つまり、一体と成った系をそのままに、それに合わせて、材料を組み立てて行けば良い分けで、それを細胞分裂とすれば、論理破綻しなく成ります。

さてこうなると、化学の常識が崩れます。原子がそんなに大きく成ったり、小さく成っりされたら、化学結合をどうやって説明するんだと。

確かに説明は大変に成り、マンガチックに成りがちです。ですが、よく考えてみて下さい。化学は、自然の中の現象を、断片だけ捉えた独立した体系で物事を考えています。物理学も生物学も大して無関係に展開していますし、実験で検証している事は、有る結果で出来た物質を利用したものばかりで、その前は、その後はの検証は、問題外です。
大気中の原子の重さを量りましたか、大きさを測りましたか、全ての種類の原子を単体で計測しましたか、と問い直せば、きちんと答えられる人がいるでしょうか。

こうなると、物理学でも同じ事が言えます。原子自体が大きさを変えられるものなら、分割して物質を探しても意味は有りません。何処までも際限なく小さな物質が出て来る事に成ります。私の理論は、それを規制していて、科学の世界で通用するもの、ヒューマンガイドラインに抵触しないもの迄としていますから、問題ないのですが、それを延々と繰り広げている人達もいるので、いやはやです。

これで言える事は、学問にこれでお終いと成るものは何一つ無いと言うことです。
だから、ヒッグス粒子を求める話で無く、そんなものでなくても、現実の世界で求めなければ成らないものが、他に沢山有ると言うことです。

それで言うと、コンピュータの世界での、オブジェクト指向から出来たOSは、理にかなっています。私の卵説もこれから大いに拡張できると考えています。
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地球の末路と火星 [科学]

あれから色々迷った末に、辿り着いた一つの結論に、火星にかつて生物が存在していた可能性が出てきた、と言う現実味の無い様な、理論として成り立たない様な結論が出て来てしまいました。
私はそう言う話は、好みでないし、どちらかと言うと嫌な話になるのですが、そうした方が、地球での未知の出来事を、上手く説明できる現象も有り、今は生物が生存できないとしても、遥か過去の事は誰も未だ検証はしていないし、かなり難しい事も有るので、課題にすると堂々巡りのパンドラの箱になるので止めますが、では何故その結論が出て来たのかの説明です。

考えていたのは、星の内部の構造と地殻の物質に付いてでした。太陽は太陽系の主星なので、地殻は未だ存在しないとしても、さて、太陽の中心部の物質は何で出来ているのか、考えると、常識として知られているのは、太陽は核融合していて重い物質で出来ているとされています。それも考えられる一つの理論だとは思うのですが、それで考えると、地球はそれが成立し難い星なのです。これは前から不思議と思っていた事象なので、調べてはいたのですが、いまいち納得がいきませんでした。と言うのは、地球の表面と言える地殻には、核物質と言った重い原子がかなり有ります。それは、流星が運んできた事になっていて、元々地球には無かった物質となっています。そうだとすると、少なくとも流星が落ちて来た痕跡が、何処かで見つかる筈なのですが、見つかっていません。海に落ちたのであれば、それも考えられるのですが、カナダ、オーストラリアと言った大陸は、嘗て海の底に有った地歴は無く、オーストラリアは大きな地殻変動は無いとされる大陸なのではないでしょうか。ウランとかどういう状態で採掘しているのか知りませんが、採掘できると言うことは、地球の規模から見れば浅い場所に有ると言うことで、どうも理屈に合いません。

で、その前に考えていた卵説から引用できる事象が脳裏をかすめたので、鶏の卵を見てみると、中心から黄身、白身、殻となり、地球で言えば、コア、マントル、地殻に当て嵌まり、卵で言えば、コア、マントルは重い物質でなくても良い分けで、寧ろ地殻が重い物質、又は結合力が強い物質、堅い物質で有った方が、安定すると成ってしまいました。つまり、地球の中心部分は、軽い物質の方が安定するのです。これは、重力の法則から言ってもそうなります。内部が流動的な場合、重い物質が有ると、重力に反応して太陽なりの重い物質に引っ張られます。なにで、外部に出ようとする力が働き、結果的には、地表に出て来るのです。そう成れば、ウランが地殻に有る事も、悩む必要が有りません。

そうなると、地球が卵であれば、地球の未来がどうなるかある程度見えて来ます。それを探していたら、火星が出て来た訳です。私が見た所、今の火星は死んだ星です。太陽系の出来方は、もう述べていますので、触れませんが、理論的には火星はもっと大きくなければならないところ、爆発か何かの原因で、軌道上に一部散らばったと思われる流星群が有り、その時は、それだからどうだと言う現象が結びつかなかったので、内心保留にしていたのですが、ここで、地球の末路が今の火星の状態だと言うことに成り、出て来ました。

生命だけなら、今まで述べて来た条件を満たせば、どの星だろうが誕生します。なので、今では無理だとしても、今の地球に近い条件であった火星であれば、火星人まで生命が育まれた可能性が、出て来たのです。
それが事実と仮定して、では何故火星は、生命が無く成ったのか、どこまで、生命の進化が有ったのかの問題が出て来ます。何故ならその実績が、そのまま地球に引き継げるからです。私のブログを読んできた人達なら、分かる筈です。

では、火星はどう言った、現象で今の火星に成ったのかと考えれば、一番妥当なのは、地殻部分が何かの原因で、吹き飛んだとすると、太陽系も大した変化も無く、安定した変化と成ります。多分その時は、水星は未だ誕生しておらず、火星ももっと太陽に近かったと成ります。しかし、地殻が壊れる現象は有り得るのかを考えると、今の地球の状態を考えれば分かります。仮に火星がその当時、地球より大きかったとすると、より重い物質で地殻が形成されたと想像できます。そうすると、ウランの様な核分裂する物質が余計に有った事と成り、生命が滅んだ時点で、自然分裂が進み、連鎖反応が進み同時に地殻が吹っ飛び、今の比較的軽い物質だけで、形成されるようになった、と見る事が出来ます。なので、生命が存在していたとする痕跡化石も、無くなり検証も出来ません。どこかで、火星の微生物の化石が見つかっていると成っていますが、有り得るとしても、私にとってはさして重要では有りません。

地球が今後、どのような変化をして行くかは、遠い未来の話で、今は目先の問題を解決して行くしか有りませんが、少しは心の片隅に入れておいても、そんは無いと言う位置付けで、関連事項は別として、これはこれで、完結です。

ここから違う話なのですが、何かイジメの問題がクローズアップされて、連日報道が有るのですが、どうなんでしょうか、私から見れば、大人が立派な姿を見せれば、自ずと子供は見習う筈なのに、それ無しに、制度や何かで解決しようとすれば、より複雑化し、解決に道を閉ざす様な気がしますが、大人は気付かない振りをして、法案だけは通そうとしています。偉い人は、幾ら言ったって分からないんでしょうねえ。
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卵説 [科学]

前回では、光を無としました。仮に無から電子、反電子が生じたとします。しかし、これだけでは、すぐ電子と反電子が対消滅してしまい、光に還元します。つまり無に帰します。実際真空中と言われる宇宙空間では、起こりえる事です。
今の物理学では、光か電子かを厳格には、区別していないと思いますが、ここだけの話で区別すれば、光はこの世では、最高速度でC=一定で表されますが、電子は反電子の御蔭で質量を持ちますから、C よりは速度が減ります。
では、この場合、電子の大きさはどうでしょうか。測れるでしょうか。不確定性原理で測れないことになっていて、単に量子となっているはずです。
では、原子に付随している電子の大きさは測れるでしょうか。これも測れない筈です。何故なら、量子が有る一定の量集まった定量値が、一個の電子になっているからです。
では、原子核の大きさは、何を基準として測っているのかと考えました。
私は今まで、教科書にある通り、小さくてイメージし難いですが、有る一定の大きさで、原子核の種類事に、大きさは決まっているものと思って来ました。
しかし、よくよく考えると、迷信を信じているのと同様、有る一定の大きさと言うものも無いのではないかと考えないと、矛盾してしまう現象がある事に気付きました。それは、人間の瞳孔の動きです。目は光を当てると、瞳孔が収縮する事は知られていますが、それは、目の筋肉が調節しているからだとされています。それはそれで説明になっているので良いのですが、この筋肉の動きとは、条件反射みたいなもので、人間が自ら意識して動かしている訳ではない筈です。現に暗闇から急に明るい所に出ると、痛いくらいの眩しさを感じます。つまり、筋肉の調節を自らする前に、瞳孔が動いていて、後から筋肉が吊られて動くものですから、そう感じるのではないでしょうか。と言うことは、原子自体が持つ特性であり、人間の意志とは無関係なものとなりそうです。
さあ、そうするとどうでしょうか。原子は自らの運動状態や、周りの運動状態によって、大きさを変える性質があるということになります。
これは、原子の電子空間だけで考えても、成り立ちますが、私の理論は、原子核の物質も同様な量子として考えていますから、原子核も状態によって大きさを変える事となります。
一般相対性理論では、質量には触れていますが、大きさについては、何も触れてはいないし、それは、ジャンルの違う化学の世界の話で、そこまでは責任を負っていませんので、責めようは無いのですが、今の時代はそれでは済まないのだと思います。

さて、この考えをそのまま受け入れると、大きさを決める基準が、非常に曖昧となって来ます。地球と言う同じ重力場で大きさ質量を決めている分には不都合が無いとしても、初期の宇宙とか、他の銀河系とかとなると、違った尺度が出て来るかも知れません。大きさが曖昧となると、原子一個と言えども、大きいとも言えるし、小さいとも言えるし、小さい世界にも、宇宙と同じ営みがあるとも言えるし、今の宇宙像は、実は原子一個分の大きさで、宇宙はそれ以上に大きく、我々が見ている宇宙は、実は陽子のような、小さな球体の上から覗いている小さな小動物が見ている様な一小片の世界で、無限に大きい世界かも知れません。

そうやって拡張して考えて行くと、小さい世界と言えども、そこで起こりえる現象は、大きな世界でも起こっていると考えても矛盾は生じず、宇宙の初めは卵の様なものから生まれたとする卵説でも良い分けで、核爆発の様なビッグバンから生まれたとする理論よりはマシだとなった訳です。実際そうすると、ブラックホールとは、初期の星団とは、と考えた時上手く説明でき、今後の宇宙の活動も簡単に出て来ます。それは述べませんが、これでも問題は出て来ます。先に言った細胞分裂です。

生命が誕生する時は、その生命の形は卵の時に粗方決まります。つまり、魚になるか、鳥になるか、動物になるかです。その時細胞分裂で、形が出来上がった時、Hello World! となって世の中に出て来る訳です。そうだとすると、原子も細胞分裂みたいな性質を持っている事となり、初期の段階で分裂して行ったのが、それぞれの各原子と言うことになり、それだと、ウランのように陽子と中性子が沢山有る原子も、元々水素原子の様な単原子から分裂して行ったと言うことになり、質量は別個に考えても、大きさが何とも合いません。ここで困って考え直した訳です。

幸いにも、瞳孔という現象を見つけ出し、大きさが条件によって変わるものだったら、それを理論付けて展開する事が、可能ではないかと。
今は未だ、それを展開していませんが、可能となった場合、化学の常識が変わります。それは、想像してもらえれば分かると思います。

それでは、原子自体の分裂は、何処までも際限なく続くじゃないかと言う話にもなりますが、理論上はそうなります。成りますが、そんな事延々とやっても意味はありません。加速器を使ってやっている人達もいますが、意味は無いどころか、庶民が理解できないことを良い事に、庶民の生活を圧迫していますし、隠蔽も出来ます。彼らは、実験に使う陽子を何処から持って来ているかに付いては、不問にしています。さて、何処から持って来たかに付いては、一番近くに有った、福島原発の放射性廃棄物から持って来るのが、手っ取り早いと考えていた筈です。ところが、あんな事故が起きて、原発全停止の事体になると、困る訳です。実験が出来ません。そこで慌てて、問答無用で再稼働させるために、マスコミを使って、神の粒子なる荘厳な儀式を放送した、と考えれば辻褄が合います。
これが事実かどうかは別として、最近この手の事件報道が絶えません。
多分報道関係者は、誰もそんな知識を持ち合わせていませんから、本筋を見失いがちですが、しょうが有りません。政治家ですら何の事やら理解できないのですから。言ってみれば、AIJの社長みたいなものです。蓋を開けてみたら、犯罪者に成っていた、類いの話です。

話が又逸れてしまいましたが、それでは、その分裂を規制している物質の運動速度の話を今度はしたいと思います。
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ビッグバーン説と卵説 [物理]

ここまで理論を展開すると、どうしてもぶつかると言うか、矛盾を生じてしまうのにエネルギーの概念が有ります。地上で暮らす分には、一般に知られているエネルギーの概念で十分だと言うことで、誰も疑うことは無いと思いますが、宇宙スケールになると、そうも行きません。
考えていたのは、宇宙空間を運動しているとされている、宇宙線や光、電子です。宇宙を眺めれば、星々より圧倒的に何も無いとされる空間の方が体積的には多いわけで、その間を色々な光が交差していると考えられます。太陽系であれば、太陽から輻射される光が殆どですが、中には他の銀河から届く光も有るわけで、それ故に銀河も観察できます。
でも待って下さい、この光は、遥か昔の過去の光もあれば、ちょっと前の光もあれば色々あることにあります。さすがに、光より速い粒子は存在しないこととなっていて、つまり未来から来る光は無いことを、実験で示しています。

芭蕉の句に、「月日は百代の過客にして、行き交う人もまた旅人なり」があります。ネットで見ると唐の李白の「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客」をもじった言葉とされ、解釈のされ方は色々あり、ここは私なりに解釈すると、一時代の歴史の人々が、時を超えて会えた事を詠んだ句だと思っています。李白となると、それがもっとはっきりしています。
国語の試験問題で、そんな事を書いたら、先生の逆鱗に触れ、学校でもいじめに会いそうです。実際そうでしたから、今でも色んなケースで起きている事だと思います。義務教育では、国語は必須科目ですから避けられませんが、国語が0点でも別に気にしてはいませんでした。今もし私があのような教育現場の中高学生なら、学校には行きません。遠回りでも、別に学問を究めるしか有りませんから。
芭蕉の句では他に「…岩にしみいる蝉の声」も有ります。これでも分かる通り、芭蕉は科学的に物事を考える才能が有った人だと思います。詳細は、この場合の主旨では無いので省略しますが、学会の論文が、何ページに及ぶに対し、たった一行で表現すのですから、大したもんだと思います。

さて、これを踏まえても、光は過去の光も含まれていると考えなければ成りません。とすれば、今現在の姿は見えない事でもあり、それで、宇宙の構成を考えるには、元々無理が有ります。なのに、何故ビッグバーンが有ったと考える事が出来るのでしょうか。答えを出そうとする人達は、答えを求めてはいけないものに、何かの理由で答えを押し付けているとしか思えません。なので、私はヒューマンガイドラインの乗っ取って、答えは無いとしました。

それで本題なのですが、過去の光と今の光は、混ざらないのでしょうかと言う疑問です。波は、重ね合わせが可能です。であれば、混ざる筈ですが、それは問題視されていませんし、私自身が光を何か勘違いして捉えているとした方が良さそうです。なので、しばらく考えて、光をこう捉えました。光とは、人間の目に見えるものではなく、光が無いから見えない物を光を通して見えるものにするもの、としました。とすると、李白の詩は、こうも訳せます。「地上の万物は、天上界の逆回しのドラマの現象であり、光で照らされる物体には、何百年の開きが有る」としました。これも何の事やらの訳に成りますが、春の夜の宴席で詠んだ詩なら、単純に、天地の定めで、栄枯盛衰は世代が変わって行くと逆に転じる、でも通じる気がします。

李白はどうあれ、そうすると光とは、無でもあります。質量も0な筈です。しかし、同じ物とされる電子は質量を微小ですけれども持っている事に成っています。数字上では、0は何回足してもゼロです。ですから、プラスの質量を使うのであれば、マイナスの質量がなければなりません。これを反物質としていますから、理論上成り立ちます。そうやって、粒子全部に反物質があるとしていますので、全体としては質量は0です。と言うことは全宇宙も質量ゼロでエネルギーゼロです。

今知られているビッグバーン説は、高エネルギーから始まっているとされていますから、私の理論とは明らかに矛盾します。つまり、ビッグバーンは無かったとする立場です。

それでは、宇宙の始まりはどうだったのかですが、これは大部前に述べているので重複は避けるとして、科学的に考えれば、核融合だけで済むのですが、残念ながらそれでは生命誕生は、化学的結合の組み合わせで、それがビッグバーンと同じ確率論に成ってしまうのです。一般的なビッグバーンよりは、かなり確立が高いのですが、所詮は不確定性原理みたいなものと変わりありません。
それでも良いじゃないかと諦めてしまう事も可能なのですが、それだと生物学の卵から誕生する時に起こる細胞分裂が説明付かないと成ってしまいました。
これを宇宙に拡張できる卵説とすると、この細胞分裂は、設計図がもう出来ていて、決定されています。なので、蛙の子は蛙であり、鶏の卵は鶏にしか成れません。人間とて同じ事です。これらの生物に崇高な理念があると認める事は難が有り、逆に宇宙その物が初めからそうして出来たとした方が、本能任せでやっている自然な事となり、スッキリします。

なので困るのです。それを認めて考えると、今まで組み立てて来た理論が大幅に見直さなければ、論理破綻してしまう事に気付きました。これは、私の理論だけではなく、一般に考えられている化学の世界も、もっと改訂が必要となります。
今回は改訂までは、言わないで、次回にしたいとは思いますが、今まで、結構、人の悪口を言って来た経緯もあり、何をやってんだ口調が、いざ自分の理論が、その嵌めになってしまうと、もう良いじゃないか、ここまでやったのだから、もうやめたって、罰は当たらないと言い訳したくなります。
しかし、程度の質の差はあれ、やろうとしないのであれば、族、賊と変わりなくなります。幸いにも、今まで手の込んだ力説をして来なかったのは、不幸中の幸いです。何とか次回でやってみますか。
その前に、このブログだけでも、補足が生まれましたので、その後となりそうです。
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