新興宗教の謎 [宗教]

日本には、宗教団体と言われるものは沢山有ると思います。古来から仏に仕えるお寺は有りましたし、葬儀の儀式が無ければ、世間から笑われる程、国民に浸透しています。言ってみれば空気のような存在です。それとは別に、新興宗教と言うものも有って、人々の心の不安から興味を煽り教義を進めたり、社会の不安、理不尽さから、宗教団体に入体する人も居るかも知れません。そのこと自体可笑しな事でもなく、それを否定するのであれば、葬式も上げる事が出来なくなり、供養も出来ません。また、全ての生業も大小の違いこそあれある意味触れています。
これらの事は、それはそれで、認めるしか無いと思いますが、たまに大きく脱線する事も有りました。オウム真理教も、その一つだったと思います。今この事件が残りの指名手配の犯人が捕まった事で、地下鉄サリンの残虐さばかりを報じていますが、私自身、この報道の仕方に危うく自己を見誤るところでした。
あの時代を知っている人なら、その事件が起きた前後の時代背景を知っているはずです。事件が起きる前は、今に成ってバブルが弾けたと言っていますが、その当時は、JAPAN As No.1と世界から言われ、浮かれていた時代です。マスコミもジャーナリストも、それこそ鼻息も荒く、日本の経済発展は日本人の神髄が正しかった事の証明であるかの如き話が続き、好き勝手にお金を謳歌していました。少なくとも私にはそう感じられました。それが、1991年でしたか、浮かれていた国民に突き付けられた問題は、今でも問題がある中東の国での話であり、湾岸戦争でした。その頃私も若かったので、何が問題で戦争が始まったのか分かりませんでしたが、日本は、戦争の一部にも加わる事が出来ず、お金だけ出費する事と成り、それも多額です。その頃から日本は経済的に坂を下り出したのですが、それでも経済雑誌には、「どうした日本!」とか言う活字が躍っていました。オウム真理教集団も、その頃変化を遂げ大きくなったのかどうか知りませんけど、こと政治に関して言えば、政治体制は、今もその頃も同じで、ゾウの歩みです。完全に社会的隙が生まれたところに、事件がある種、功を奏して遂行された、と私は思っています。私自身は、その詳細な事件を知るのは、相当後だったので、当時の記憶としては、そうとしか言えません。

その年の強い思い出としては、ウインドウズ95が出た年として覚えていて、アップルモドキの製品が、ついに日本に上陸したか!と言う思い出の方が有るので、そちらを語らせてもらえば、創始者のスティーブ・ジョブズは自分の作った会社を解任させられているし、Mac OSの神髄は、ビル.ゲイツに奪われた格好と成り、いよいよ本物が生きられない時代に突入したのか、と肩を落とした年でした。と言うのは、新しい製品を世に送り出すには何ぶんにも資金が必要であり、開発もその分遅れるか、無くなるかに成ってしまいます。まして、億万長者のマイクロソフトが、同じものを出したとなれば、ユーザは離れて行きます。とは言え、スティーブは、頑張っていました。本物の良さは、やはりそう容易く消えないのだと。

話を戻すと、地下鉄サリン事件は、幕を下ろした事には変わりないのですが、その分派なのか残派なのか知りませんが、未だ活動しているようです。話によれば、あの大震災は、XXXのせいで、地獄に落とされたとか、福島原発爆発事故は、OOOの理由で天罰が下ったとか言っているそうな。
言うこと自体は、カラス(オウム?)の勝手ですから、刑罰にも当たらないし、こちらも自己判断で受け止めれば良い分けですが、問題は、その事を自己判断できない入門者が未だにいることです。まあ、そのこと自体も別に悪い事でもないし、責められるものでもない、と判断せざるを得ません。今の世の中、偉くなると貧しい人の事迄は、目が行き届きません。まして、この時代迄来ると、もう一度バブルをとか思っている人がいると言う事は、人それぞれ考えも見方も違うし、いくら制度を立派にしたところで、曲解して受け取る人間は、出て来るもんだと思います。
不幸の中には、両親が故有って、自分の子供を育てる事が出来ず、学校にも行けず、働いている子供も結構いるのです。知らないでしょうけれど。

つまり、あの事件を起こした、又は起こさせた根本理由は、霞ヶ関の人間達であり、作用反作用の原理で、起こりべくして起こった、と言ってもそれ迄です。これが事実だとすると、無差別ではなかった事に成ります。あれから17年ですか、霞ヶ関どうこう、永田町どうこうと言う政治家が現れては消えて行きましたが、何も変わっていません。変わっていないどころか、庶民いじめだけは、着々と進行しています。

ここ迄来ると、信仰心を持たない普通の人は、信者を笑えません。実際の話、どちらがどうだとは言えなくなるのです。よっぽど強い信念を持っているか、運が良いかでない限り、消え行く運命です。アレフとか言いましたっけ、彼らは未だ何もしていません。他人がどう思うかは知りませんが、彼らの言っている事も、私としては残念なのですが、一理あります。魚を捕り過ぎたと言うことも事実であり、津波に関して言えば、私もかなり触れましたが、第一原発に波が集中したのは、単なる偶然で私も片付けていますが、そうでは無いと言うことに対しては、言わせておけばとしか言い様が有りません。それに比べても今の政府のやり方は、一理も有りません。どっちが正しいんだと言われると、疑問符です。

報道は中立の立場に立っているとは言え、どうしてもどちらかに偏ってしまいます。ここは、冷静に推移を見守るしか有りません。

六角形の物質 [生物化学]

医薬品や健康食品等の化学成分を調べているのですが、特に脳、神経系の医薬品には、炭素結合に他物質が結合するベンゼン環のようなものが、多く現れます。遺伝子細胞には、炭素だけの分子構造は無く、必ず窒素が入ります。では体の中に、この分子が丸っきり無いのか、と言うと有りそうです。コレステロールもそのようです。ベンゼンとは少々違いますが、どちらも体には良いイメージが有りません。
でも待って下さいよ、医薬品ですから、たまにしか飲まないとは言え、この様な分子構造が混じっていると言う事は、何処か神経が麻痺すると言うことではないですか。私も医者通いで、神経系の薬は飲まされていましたが、思い出すと、車の運転は避けるようにとは言われてました。

なので、論点を変えて考えてみました。この六角形の構造は、生物の中にも良く見かけます。蜂の巣等はよい例ではないでしょうか。ミツバチは複眼を持っており、図形の六角形を複眼で認識するようです。と言う事は、体を構成する物質が、それから出来ており、答えは自ずから出ます。花粉です。
人間も花の蜜を食べられない分けではないですが、面倒なので、ミツバチの巣からちゃっかりいただいている次第なわけです。
さて、複眼には六角形、五角形と有るようで、よくよく花を見ると、五角形か六角形の花が目立ちます。ベンゼン環は芳香性もありますし、花にもそれぞれ固有の臭いが有ります。彼らは、臭いと花の形を臭覚と目で確認し、花粉を高性能一眼レフで見るように見分けているのか知れません。そうだとすると、巣を作るのはお手のもんだと言うことになります。目でなぞって決まった位置で折り返せば良い分けです。直線は初めから見えています。

そう言えば、ベンゼンは分子量は、C₆H₆ で78に対し、水は18 なのに水に浮き、混じり難く、化学式だけで考えれば、燃え易い物質です。しかし、この対称的な閉じた構造は、酸素との激しい反応を抑え、密度を減らしています。と言うより、水の方が、ずば抜けた磁石のような綿密な結合をしていると言った方が正しいのかも知れません。この辺は、事象をもっと拡張して、色んな方向に持って行けそうですが、薬の話から脱線し過ぎなので、止めておきます。

と思ったのですが、長年の懸案事項の中に、ふと思考が脳裏をかすめたものが有って、忘れないうちに、メモってみました。蜂は、植物の受粉機構が呼び出したオブジェクトと言えると思います。まだ蜂が存在しなかった太古の時代、受粉が成功できない植物が多かったに違い有りません。植物には意志は当然有りませんから、種子を残せず大地に落ちるものが多かったと想像で来ます。これだと死んだ状態のままのように感じるかも知れませんが、活動は太陽光と水が有る限り止まりません。プラスとマイナスの性質を持つ二種類の花粉は、他の栄養素を取り込みながら、引き合い別の種を残します。この種は、何処から来たのか、自分自身を知り、今後どうすれば良いかもある程度、突然変異の形で現れるとすれば、それが、蜂の卵になっても矛盾は生じません。蜂は自分を作ったオブジェクトを知り、行動できます。つまり、受粉を手伝えば、新たなる新天地が開けるのです。
こう考えると、これは全ての昆虫類に共通に言える事です。前に、サクラの花のタイトルで、書いたブログとも矛盾はしません。あのブログは、今のアイドルグループの歌手の主題歌に沈滅してしまいましたが、あれも、かなり自信が有った作品です。
この一連の自然現象は、時間が掛かるように思えるかも知れませんが、自然はコンピュータ用語で言うところのマルチタスクであり、事象が未知で可能性が青空天上の場合、あっという間に起こりえます。速度は、スーパーコンピュータ以上です。

話を薬に戻しますが薬は、時と使用方法と誤診による病名違いで、思わぬ副作用や更なる悪化も起こりえます。かと言って、一般人は薬の成分に付いて知識を持ち合わせている人は、皆無ではないでしょうか。言ってみれば医者を信じて、使用するしか有りません。私に言わせれば、OOXX宗教を、疑う事無く信じるのと変わり有りません。
私も薬に付いては、最近やっと果敢に調べてはいますが、この六角形の部分が、神経伝達を塞いで、一時的に麻痺させ、残りのこの部分が悪性な部分と正常な薬の成分と交換させるとか、考えているわけで、かなり難が有ります。比較対象できるものが有れば良いですが、二輪草とトリカブトの違いでさえその場になれば、判断に迷う事を考えれば、薬は尚更区別が付きません。
考えたくはないのですが、脳死状態を作る薬を投与されられているのに、最善の薬だと言われても、誰も判断できません。医学の世界は、機密性が高く公開も専門用語が多くネット上でも情報がそんなに有るわけでもありません。wikipedia等は善良な人達が無償で行なっているだけで、それだけの知識を持ち合わせていないと言えば、それ迄です。最善の策は、病気にならない事と成りそうですが、社会性が強いので、それも難しいとも言えます。

今回は、ここで閉じて、次はオウム真理教の分派についてです。
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